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京都桂店
『安定とは、変わることである』
投稿日:2019/1/18
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photo by volvo
codi by moriya
2017年の1月、私は所沢店にきました。
2019年1月、私はまだ、所沢店にいます。
めでたくひとつの店舗で過ごす最長記録を更新しているわけですが、
顧客とのつながりや仲間との連携など良い面も多い中で
ただなんでも長ければ良いというわけでもない点も感じているこの頃です。
こと写真の成長については、特に気を付けなければならない部分が多くあります。
そのひとつが「いつでも同じ写真が撮れる」という、幻想的な安定です。
「いつでも同じ写真」というのがいいか悪いか判断ができない場合にはまた別の機会に説明をしますが
私の考えでは「いつでも同じ写真」というのは安定ではなく衰退であると考えています。
もし、撮影というのは唯一無二で被写体は一期一会であると認識をするのなら
「いつもと同じ写真」という考え方自体が矛盾しており、説明がつかないからです。
しかしこのようなことを言えば、次にこうした意見が出るとも思います。
「被写体に合わせた写真ももちろん重要だが、まずは安定することが重要じゃないか?」
たしかにひとつのスタジオで写真が慣れるというのは良いこともあります。
もしカメラマンがスタジオで「どうやって撮ろうかな」なんて迷っていたら誰だって不安になりますよね。
スタジオに慣れ、いつでも安定的に写真を提供できるというのはひとつの技術であり、メリットです。
「まずは安定させること」という考え方も、一理あります。
ところがこれには落とし穴が存在します。
それは場所に慣れる=安定するでは無いという事です。
この謎を解く鍵は新人カメラ研修でも口すっぱく話していた「シャッターを押すまでの過程」にあります。
(詳しい内容が知りたい方はご連絡ください)
物事には全て目的があり、その目的を達成するために適切な過程を踏んで作られていきます。
例えばカレーを作ろうとすれば野菜と肉を切り、少し炒めてから水を入れ、ルーを入れて煮込むという過程を踏みます。
これがもし、炒めてから野菜を切ったり、ルーを入れてから炒めたりすれば、カレーにはならず、カレー味の何かになります。
写真も同じです。
「その人を撮る」という目的に沿って場所や構図が決定されますが、
「いつでも同じ写真」というのは場所や構図が先にあり、そこに「その人」が配置されます。
カレーではなく、カレー味の何かになってしまうのです。
写真というのは最後はシャッターを切るという動作が決まっている事から
結果物だけを見ると過程が違っていてもわかりにくいですが、適切な順序で撮らなければ手段は目的化し
美しい写真にはなりません。
でも、被写体によって毎回撮影を変えてバラバラでガチャガチャした不安定な写真になったらもっと問題じゃないか?
という疑問も出てくると思います。
これに対する答えは「安定してはいけない」という事ではなく「安定の本当の意味」を理解しなければいけないという事です。
私が思うのは『安定とは被写体によって変わらないことではなく、被写体によって変えられる事』です
被写体を観察し、現状を見極め、自分で規定して写真を変えていく人が、本当の安定を生み出します。
つまり「本当の意味で安定させられる人とは、変えることができる人」であると考えます。
場所に安定するのではなく、人に安定しなきゃならない。なぜなら、写真を撮る目的は「その人」を写し出す事だから。
ここでも注意しなければいけないのは「変わっちゃわない事」です。
被写体によって変わって「しまった」写真は、安定しません。
和室で七五三を撮影するという行為は、いつでも同じです。
しかし、どこに立ち、どのようなポーズで、どのようなイメージを持って撮影するかはその時によって違います。
着付けに入る直前まで彼女と少し話をし、少し照れ屋さんであること、そしてまつげがとても長い事を確認しました。
その後、彼女の着付けが仕上がる前に、和室を観察しました。
いつも通り代わり映えのない和室の中において、障子がやたらと輝いて見えました。
冬のど真ん中に訪れる西日です。
撮影者であれば誰でも見つけるであろう西日が、障子を開いたら和室を横切っていきました。
「もう少し彼女を観察して、使える時がもし来たら使ってみよう」そう思ってとっておきました。
ある程度七五三として撮るべきものをとりながら観察し、髪飾りが右側にあることや
彼女の写真に写る姿勢が自然で、カメラを見ない事に理解があるように感じました。
そこで、先ほど見つけた光を呼び戻してみようと思い、また障子を開き和室を横切る西日を召喚しました。
西日はツールです。
この西日を利用してどのように「その子らしさ」を生み出そうか。
思い出したのは、まつげでした。
西日が扇子を通過するように配置し、いつもの和室よりも明暗差がはっきりするようにして
ポーズの細かい所はもはやコーディネーターの守屋さんが
言わなくても配置してくれるので、集中して彼女の横顔にフォーカスを当てました。
このポーズそのものはよく撮影します。
しかし、微妙な扇子の位置、そして光に対する立ち位置、彼女だけの特別感は
失われないように再設定しました。
撮影者として、何のためにシャッターを切っているのか?
これだけは心に刻んでこれからも撮影に臨みたいと思っています。
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