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TWIN
投稿日:2017/9/29
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直感的に良いと感じる写真と言うのはどこか華やかさをもっているように思います。
華やかさと言うのを定義するのは難しいけど、端的に言うなら特徴が誇張された写真というか、普通じゃないと言うか、、、
そのように写真を見ながら私たちは色々な討論を繰り広げていますが、それだけでは写真の核心に対して物足りない感覚をこの写真が教えてくれたような気がします。
最近自分の考えが整理できないので困っていますが、この写真には直感的ではなく何か後からジワジワと感じるものがあるように思ったからきっと私は今パソコンを打っているのだと思っています。
なぜこの写真について今、タイピングをしているのかを考えてみて頭を絞ってみると、出てくるのはやはり統一感なのでしょうか。
統一感を得るための定義は「その写真専用にすべての構成がなされてる事」
その写真専用に、と言うことは、結局は被写体である彼女専用にと言うところに立ち戻ります。
彼女と写っているそれ以外のものとが接点を持っているかは重要なポイントです。
社長の写真分析にこのような文章がありました。
まずはデザインされている写真・・・
バランスとは少しちがった話だ。バランスは四角形の中にあるいろいろな要素がうまく調和して構成されている部分にポイントがあるとすれば、デザインされているというのは四角形の中にあるいろいろな要素が調和して構成されていることを基本にして一つのイメージが形成されていることを言う。これも、どこかの本に書かれているのではなく文章を書いてみるとそうなるのだ。バランスを基本にして四角形の中に色々な要素がお互いに関係を持ちながら一つのイメージの中で物語的なものが含まれているものを好む。
この言葉の通り、もし直感的ではなく理論的に良い写真と言えるものがデザインされた写真であるならば、先述したように被写体である彼女とそれ以外の要素との連結がされてなければならず、ただの物の配置や、三角構図などと言った人間が長年の歴史によって発見した普遍的なバランスだけでは良い写真とは言えないのかもしれません。
この写真の核心ポイントは倒れた椅子と、全てを連結させる広角の選択だと考えています。
彼女とそれ以外の要素が連結される為には彼女を知らなければいけませんが、その彼女の特徴が表そうとしているのが椅子の置き方にあります。正確にはわたしとあなたの間にできた関係性から生まれた置き方かもしれません。
もちろん椅子は通常このように使うものではないですよね。
でもここに普通に椅子を置いたのでは彼女が彼女らしくなく、ただ誰が座っても同じになるのではないか?
直感的にそう思いました。
この上に座ってもらった時にどのような体勢になるかは、不確定であり彼女がどう座るかはわからない。ただ何か生まれる根拠があったのは確かです。
例えば赤ちゃんを相手にしていて後半に笑顔を引き出す可能性が高まるのは、色々な方法を試して赤ちゃんを知っていくからですが、
この小さな椅子をこのように置いて、もしこの上に彼女が座ったとしたらどのような体制になるか?を知るにはこの写真のシャッターを押すまでの撮影時間で得た情報と作り上げた関係性が元になります。
彼女はすごくはしゃぐというタイプではなかったですが、こちらの小ボケに失笑で応えてくれる優しさを持ってたのは私にとって関係を作りやすい要素を持っていたのかもしれません。
ふざけた行動に笑いながらも応えてくれる姿を見たら、思わず椅子を倒してみたくなり、それにどのように反応するかを知りたかったのかもしれません。
その倒れた椅子に何とかして座ってくれる真面目さを持ってる事も分かっていたし、女子力の高さも持ち合わせているのもわかっていたので、雑な座り方はしないと勝手に思っていました。
だから、この座り方について私からの指示は1つもなく、ただこの上に座ってという、普通に椅子を置いている時と変わらない指示内容だったと思います。
だけどなんとなくこの座り方になるだろうと判断できたことによって、座った後の微妙な修正をする必要が無く、修正をしないということは彼女が自然体でいられるということです。
広角がすべての要素を連結させる役割を担う事には準備が必要です。
この写真を撮るにあたり、このように撮ると事前に決定していなければできることではなく、とっさの広角では後ろのクマさんや左手前のスツールは準備できません。
まずは24mmを使うという事を決めておきます。
個人的に広角が綺麗に見える条件は縦のラインだと思っていますので、フレームの縦線と本棚の縦線が平行になるように設定しました。
そして全ての構成要素が自分のイメージした場所に来るように配置をし、上に書いたようにこれまで気づいた関係と彼女の人となりを鑑みた誘導をします。
最後にカメラを見た状態で「椅子変だね」と言うことで表情も連結されます。
よく、技術と人に深く入る事が別々の事のように言われ、どちらが得意で、自分はどちら派かという議論が交わされます。
技術が必要だからと指先のダイヤルいじりに精を出したり、人が重要だからとエッセイばかりを書く事も間違いではありませんが、正解ではないと思います。
2つを分ける行為は写真の発展を妨げます。
2つがリンクして初めて写真が撮れるというのは変わりようのない真実だと私は思います。
華やかさと言うのを定義するのは難しいけど、端的に言うなら特徴が誇張された写真というか、普通じゃないと言うか、、、
そのように写真を見ながら私たちは色々な討論を繰り広げていますが、それだけでは写真の核心に対して物足りない感覚をこの写真が教えてくれたような気がします。
最近自分の考えが整理できないので困っていますが、この写真には直感的ではなく何か後からジワジワと感じるものがあるように思ったからきっと私は今パソコンを打っているのだと思っています。
なぜこの写真について今、タイピングをしているのかを考えてみて頭を絞ってみると、出てくるのはやはり統一感なのでしょうか。
統一感を得るための定義は「その写真専用にすべての構成がなされてる事」
その写真専用に、と言うことは、結局は被写体である彼女専用にと言うところに立ち戻ります。
彼女と写っているそれ以外のものとが接点を持っているかは重要なポイントです。
社長の写真分析にこのような文章がありました。
まずはデザインされている写真・・・
バランスとは少しちがった話だ。バランスは四角形の中にあるいろいろな要素がうまく調和して構成されている部分にポイントがあるとすれば、デザインされているというのは四角形の中にあるいろいろな要素が調和して構成されていることを基本にして一つのイメージが形成されていることを言う。これも、どこかの本に書かれているのではなく文章を書いてみるとそうなるのだ。バランスを基本にして四角形の中に色々な要素がお互いに関係を持ちながら一つのイメージの中で物語的なものが含まれているものを好む。
この言葉の通り、もし直感的ではなく理論的に良い写真と言えるものがデザインされた写真であるならば、先述したように被写体である彼女とそれ以外の要素との連結がされてなければならず、ただの物の配置や、三角構図などと言った人間が長年の歴史によって発見した普遍的なバランスだけでは良い写真とは言えないのかもしれません。
この写真の核心ポイントは倒れた椅子と、全てを連結させる広角の選択だと考えています。
彼女とそれ以外の要素が連結される為には彼女を知らなければいけませんが、その彼女の特徴が表そうとしているのが椅子の置き方にあります。正確にはわたしとあなたの間にできた関係性から生まれた置き方かもしれません。
もちろん椅子は通常このように使うものではないですよね。
でもここに普通に椅子を置いたのでは彼女が彼女らしくなく、ただ誰が座っても同じになるのではないか?
直感的にそう思いました。
この上に座ってもらった時にどのような体勢になるかは、不確定であり彼女がどう座るかはわからない。ただ何か生まれる根拠があったのは確かです。
例えば赤ちゃんを相手にしていて後半に笑顔を引き出す可能性が高まるのは、色々な方法を試して赤ちゃんを知っていくからですが、
この小さな椅子をこのように置いて、もしこの上に彼女が座ったとしたらどのような体制になるか?を知るにはこの写真のシャッターを押すまでの撮影時間で得た情報と作り上げた関係性が元になります。
彼女はすごくはしゃぐというタイプではなかったですが、こちらの小ボケに失笑で応えてくれる優しさを持ってたのは私にとって関係を作りやすい要素を持っていたのかもしれません。
ふざけた行動に笑いながらも応えてくれる姿を見たら、思わず椅子を倒してみたくなり、それにどのように反応するかを知りたかったのかもしれません。
その倒れた椅子に何とかして座ってくれる真面目さを持ってる事も分かっていたし、女子力の高さも持ち合わせているのもわかっていたので、雑な座り方はしないと勝手に思っていました。
だから、この座り方について私からの指示は1つもなく、ただこの上に座ってという、普通に椅子を置いている時と変わらない指示内容だったと思います。
だけどなんとなくこの座り方になるだろうと判断できたことによって、座った後の微妙な修正をする必要が無く、修正をしないということは彼女が自然体でいられるということです。
広角がすべての要素を連結させる役割を担う事には準備が必要です。
この写真を撮るにあたり、このように撮ると事前に決定していなければできることではなく、とっさの広角では後ろのクマさんや左手前のスツールは準備できません。
まずは24mmを使うという事を決めておきます。
個人的に広角が綺麗に見える条件は縦のラインだと思っていますので、フレームの縦線と本棚の縦線が平行になるように設定しました。
そして全ての構成要素が自分のイメージした場所に来るように配置をし、上に書いたようにこれまで気づいた関係と彼女の人となりを鑑みた誘導をします。
最後にカメラを見た状態で「椅子変だね」と言うことで表情も連結されます。
よく、技術と人に深く入る事が別々の事のように言われ、どちらが得意で、自分はどちら派かという議論が交わされます。
技術が必要だからと指先のダイヤルいじりに精を出したり、人が重要だからとエッセイばかりを書く事も間違いではありませんが、正解ではないと思います。
2つを分ける行為は写真の発展を妨げます。
2つがリンクして初めて写真が撮れるというのは変わりようのない真実だと私は思います。
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