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京都桂店
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Analogy

投稿日:2017/6/28

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photo by volvo

codi by yoko

 

photo in tokorozawa

 

 

写真における類推とは「すべての構成要素を連結し適切に配列して一つの目的地を想像させる事」です。

 

ライフスタジオの代表、Lee社長が最近行なった会社間の取引の時の写真を見て私は最初びっくりしました。

十人くらいの人のほとんどがスーツで、スーツじゃない人も少なくとも

ジャケットくらいは羽織ってる中うちの社長だけがジャージ姿で握手をして写っているのです。

 

びっくりしたというのは、おそらく私の中の常識的感覚が違和感を覚えたからだと思いますが

しかし5秒後には落ち着いてみることができました。

なぜなら、よくよく考えて見ればスーツ姿の社長の方が不自然だからです。

 

もしスーツで商談をしてる社長の写真を目にしたら私はジャージ姿よりも違和感を覚えたでしょう。

 

そんな感覚を覚えながら、私達が毎日撮影をしている写真も実は同じ感覚で撮影をしている事にきづきます。

一般的に七五三の写真は飛び跳ねたりしないし大また開きしたりしません。

和装以外で和室を使うこともほとんどないし、男の子にドレスを着せることもあまりありません。

 

なぜそれが一般的なのかというと、私達が生きているこの社会と撮影者である私たち自身の
持っている「そうした方が良い」的な感覚がそう思わせているからではないでしょうか。

 

昔韓国人のスタッフに「七五三はどの背景で撮ればいいのか?」と聞かれて
それも分からないんだと思ったことがありましたが普通に考えれば当たり前な事で
日本という社会に慣れていなければ和室で撮るということさえも「そうした方が良い」とは思いません。

 

私達は写真館のスタッフとして、写真を撮る人間として、一般的に「そうした方が良い」とさせるものに囲まれ、そのように撮っています。

だから七五三を和室で撮るし、子供写真だから明るく撮る。

 

類推そのものには「類似の点をもとにして、他を推しはかること」という意味がある

 

七五三だから和室で撮ったほうがいいのではないか?

子供写真館だから笑ったほうがいいのではないか?

子供写真だし、和室は怖くなるから明るく撮ったほうがいいのではないか?

 

では、私たちがシャッターを押す時、すべての事象を「そうしたほうが良い」と思ってシャッターを切る事ができているでしょうか?

その写真の中に写っているもの、本当にそれで「そうしたほうが良い」と言えるでしょうか?

一般的に「そうしたほうが良い」というものだけを満たせば、写真は完成でしょうか?

この写真で言えば七五三さえ連想させ、それ以外の余計な要素がなければそれで十分でしょうか?

 

もし七五三と和室、和装とりんとした表情など目にみえるものの関連性さえあれば類推がなされているのであれば

それでは日本伝統記念行事としての類推であり、被写体である彼女とはあまり関係がないように見えてしまいます。

 

すなわちそれは「そうしたほうが良いと」される事をしているようで
ただ「世間一般に合わせて無難に撮っているだけ」とも言い換える事ができてしまいます。

 

最初に書いた「すべての構成要素を連結し適切に配列して一つの目的地を想像させる事」が類推なのであれば

彼女と彼女以外のすべての構成要素との間にある類推も考える必要があります。

一つの目的地というのは、この一枚が何を言いたいのか?が明確である事であり、それが写真の構成要素によって説明される事である。

 

ママさんは着付け中、七五三への思いを伝えてくれました。

やっととれた予約、できた瞬間の感動、待ち望んだ瞬間が来た事を隠しきれない様子でした。

 

私たちとのやりとりに応える彼女の一挙手一投足に反応をしてくれました。

私たちの小ボケで笑う彼女をみてママは微笑み、パパは以外と乗ってくれるタイプでボケをかぶせてきてくれる。

そんな中、私たちがお願いしたうつむきの仕草にママは一番大きく反応をしてくれました。

 

彼女の撮影が7歳の七五三である事は間違いありません。

それは他のどの子が来たとしても同じでしょう。

だから和室を選択しましたし、末広をこのように持つ事も普段からするポーズの一つです。

 

しかしこの撮り方は彼女にしかしていません。

200mm近い焦点距離を使用して背景との圧縮を利用した状況説明をしつつも彼女だけにフォーカスが当たる事

背景と被写体にそれぞれ光が当たるようにセッティングして暗すぎず明るすぎず、集中がぶれないように余計なところに光は当てず

不要な現象は取り除く。

親御さんの期待と反応とやりとりで見つけた彼女の素敵なところ。

 

結局すべての写真は「感動」というゴールに向かっていて、それは普遍的で特殊的であり、感覚的であって説明的であるもの。

出会ってからこの写真撮るまでのやりとり、この写真の中にあるすべての構成要素、そのすべての現象から類推されるこの家族への「感動」という目的地

が想像される写真。それが目指されるのが類推された写真なのではないかと思います。

 

 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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