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京都桂店
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『正直なドラマー』

投稿日:2017/5/16

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photo by volvo

codi by takumi

 

write by volvo

 

「よし、この撮影はこうやって行こう」と決めて子供達の元へと向かうことがよくあります。

しかし大抵の場合、最初の1枚目から決めたものと全く違う写真を撮ることになります。

 

おそらく実際に会ってみると自分が撮ろうと決めていたものに被写体である彼女達が

当てはまらない事に気づき自分の中でブレーキがかかるのでしょう。

 

センスはありませんが、どうやらそういうセンサーは私の中に備わってるようです。

感じている部分が頭か心かはわかりませんが…笑

 

私達撮影者は自らのレパートリーの中で写真を構成し、持っている武器で勝負を挑みます。

 

ど真ん中のストレートがきてもバットの持ち方を知らなければ打つことは出来ないように

仮に被写体である子供達が予想外の動きをしてチャンスを広げてくれたとしても

結局それを納めるのは自身の武器の範疇でしかすることは出来ません。

 

昔に「写真は対話と技術の相互作用だ」と書いた事がありますが
「持っている武器」という言葉を深く探るとこの一言に行き着くと私の中では結論ついています。

この言葉を少し説明すると、対話とは「被写体を動かす力」で、技術とは「現象を整える力」という意味になります。

 

「被写体を動かす力」というのは、抽象的に言うと被写体に深く入る事であり

具体的に言うとその人の美しさはどこにあるのかを知る事です。

 

「被写体を動かす力」というとどうしても上手くポーズをとらせる技術だったり、子供を笑わせる力ととらえがちです。間違ってはいないと思いますが、私の中では30点程度の答えだと思っています

 

ディズニーランドに行くと「被写体を動かす力」の意味を感じる事ができます。

私がディズニーランドに行く機会は数年に一回程度ですが、毎日のようにディズニーランドに通う人の心理は

「毎回感動する」からだと思っています。それは顧客である私たちを毎回新鮮な気持ちにさせてくれる事であり、

つまりは「顧客が新しい自分に出会う事ができる」からです。だから、ハマる人の気持ちはよくわかります。

 

「被写体を動かす力」というのは「新しい自分に出会わせてあげる事」であり、そのために「意思の疎通ができる事」です。笑ったり、ポーズがとれるというのは、その後に出てくる形式に過ぎません。

 

「現象を整える力」というのは、抽象的に言うと被写体を美しく写すための状態設定であり

具体的に言うと写真の構成要素の全てを自分で規定していく事です。
 

ごく簡単に写真の構造で説明するならば、女性を綺麗に撮るために光をあてる行為というのは

光という現象をその被写体専用にセッティングする行為です。

構図も、角度も、焦点距離も、背景をどのように入れるかも、ポーズも・・・。

すべてはその被写体がどのように写る事が美しいことなのかを規定し、それ専用にセッティングする事です。

 

この2つの相互作用が成されるという実感は

毎日行っている撮影の中でいつも撮っているものではなく

唯一無二の写真を撮る為のプロセスを踏んでいる確証を私達に持たせてくれます。

 

彼女は素直な子でした。

素直だから、自分を取り繕うことを嫌いました。

年齢的なものもあるでしょうが、年齢だけで規定できるほど人は単一的ではありません。

 

仮にこの写真を命名するならば

「正直なドラマー」と名付けたいと思いますが

最初この写真を撮るつもり自体が全くありませんでした。

 

私は彼女の美しさを知ろうとしました。

弟と姉弟で写っている時は笑っていました。

しかし、取り繕う事が苦手な彼女にとって写真に写るという事

あるいはカメラに対して自分が動かされる事が納得いかない様子でした。

 

私には笑っている事自体も不自然に見えて仕方ありませんでした。

 

正直、笑ってはいてくれたのでここまでの関係性で撮り終える事もできました。

だけどまだ彼女の「取り繕わない素直さ」を表現できずにいた事がカメラを下す事を躊躇させました。

 

空気を変えてみました。

あまり使う事はないガレージへと行きました。

 

そうしたらまさかの「ドラムをやっている」という言葉。

これはラッキーかもしれないと思い最初は叩いてもらいました。

ところが、やはり中々周りを気にせず叩く事はしてもらえません。

 

なぜかと聞くと「スネアが無いから」と一言。(実際、スネアのないドラムセットでした・・。)

この瞬間私の中で彼女を「取り繕わない素直さ」と規定しました。

 

ドラムを叩く事も、かわいいポーズをとる事も違う。

対話の中から「取り繕わない素直さ」が彼女の美しい部分だと規定した私は

その表現に向けて技術を集結させました。

 

ドラムは叩くためではなく、叩かない為にフレーミングし、ドラムと距離を取る形で立ち尽くす事で

抗っている様子を、手に持っているドラムスティックが本当は叩きたい気持ちを、ガレージのシャッターを全開に

して当たる順光はドラマ性を、声もかけずカメラ目線をする事は彼女の取り繕わない素直さを、バランスをとるために入れた私の影には私の存在を・・・。

 

見慣れたものを見慣れないようにという言葉の本質は「その時、その状態専用に再構築する」という事だと思っています。「いつもここから撮ってるから今日は違う所から撮ろう」という程度の変化は形式的なパターンの変化でしかありません。

 

もしそれでいいのであれば、私は冒頭に書いた「よし、この撮影はこうやって行こう」と決めて子供達の元へと向かい

被写体の事を何も知らずに私の撮りたいものだけを押し付けていたでしょう。

もちろんそれで上手くいく事もたくさんあります。しかし、今回の場合は違いました。

 

「私はあなたをこのように撮りたい」

 

自分の望みだけでなく、被写体である彼女がどのような人であるかを知り、もう一度自分の中に取り入れて

「私はあなたをこのように撮りたい」と規定し再構築するという事が私の思うパターンを変えるという事になります。

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