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京都桂店
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写真と人〜高橋 良(ムー)〜

投稿日:2017/4/18

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写真と人〜高橋 良(ムー)〜
write by volvo



2012年9月
彼は新松戸店に入った
2012年10月
私は新松戸店に来た

 

越谷での本社直営店舗での生活を終え、湘南プロジェクトを実行している最中私は本社から新松戸店へ店長として出向し、新松戸店のメンバーの中から彼を見つけた。

彼の第一印象は、それはそれは強いものだった。
私は自分が入社して一ヶ月未満でカメラマンデビューした事をこっそり誇りに思っていたのだが
彼は私が新松戸に派遣された時にはすでにカメラを握っていたからだ。名前もすでにムーに決定していたし・・・。

私が知る限り入社最短だ。

 

彼は7年間ウエディングという厳しい世界の第一線でカメラマンをしてきた実績がある人だ。
経験、知識、技術、すべての面でライフスタジオの中で彼の右に出るものはいない。と、私は思っている。

そんな美しい経歴を持って子供写真館に入ってきたならば、普通は築きあげてきた実績とプライドで自らの成長範囲を狭めてしまう傾向がある。彼も最初の最初はその傾向があった。当たり前だと思う。
自分よりも経歴が浅い人に囲まれながら写真の酸いも甘いも知っている自分がその中に入れば当然だ。

しかし彼の場合その期間は本当に短かった。
というか私がともに働き始めてから何ヶ月も経たないうちに彼は自分が変化すべきだと受け入れた。
それは自分の写真とライフスタジオの写真の間にある何かに気づいたからだ。
2016年12月、彼がライフスタジオを退社することになるが、きっと退職するその瞬間まで戦ったであろう写真への自信ともっと上手くなりたいという矛盾がその間にあるものだったのだ。


今だから言えることなのかわからないが(笑)
私は彼を尊敬していた。
私には無いものをたくさん持っていて、私よりも立派に人生に向き合って、私よりもずっと仲間に寄り添って・・・。

私がもってなくて彼が持っている事を挙げればきりがないが、大きく絞るならば「写真と男気」だ。

 

彼と私の間には「写真」という二文字は切っても切り離せない。
新松戸での六ヶ月間、青葉での約2年、それどころか出会ってから今日までずっと正直写真の話がほとんどだ。
何か良い写真を撮っては私にカメラのモニターで見せてきて「どうすか?ねえどうすか?」と反応を求めてくる姿は弟のようだった。

 

彼の写真の特徴はライフスタジオ内では圧倒的とも言える写真の知識と技術を駆使した力強さだ。
男性的な写真という言葉はよく耳にするが、彼の写真は男性的と表現する事もできる。
線はちから強く、機能的で整理されている。
光は神々しく時に湿っていて、表現したいものを忠実に表そうとする写実性を持ち合わせている。

圧倒的と言った写真の知識と技術は、彼の一番の持ち味だ。
ライフスタジオで彼ほどの技術と知識を持った人はいない。これは唯一無二の武器だ。
例えばこの会社で「絞り値を一段絞って撮影をする理由は何か」と問われれば、答えを持っている人はそうはいない。
もっと簡単な質問でいうならば「なぜ望遠を使うのですか?」さえも答えはままならないだろう。

しかし彼は撮影中にコントラストを変化させる事もするし、手動でブラケット撮影(露出を変えながら3枚連速で撮る)もしていた。
時にライフスタジオの一般的な写真とは色の違いがあるとも捉えられたが、私の中では自分たちがそれを持っていないが為のひがみのようにも聞こえるくらい彼の技術はずば抜けていた。
 

私は、そんな彼の力を二つの視点から希望を見ていた。
ひとつは、彼のちからがもしかしたらライフスタジオにとって新しい価値を生み出すのでは無いかという点だ。


彼の写真がライフスタジオの中でイシューになった時期があった。
この会社であまり見る事のなかった技術的な写真は他のカメラマンにとって新鮮で新しいドアを開けられたような印象だったため
彼の写真がフォトジェニックにアップされるたびに各店舗でその写真について話がされるようになり、私たちに新しい客観と
挑戦するきっかけを与えてくれた。それは他のカメラマンからみる羨望の眼差しだった。
同じ店舗のみならず、フォトジェニックを見た他店舗のカメラマンまでもが彼の真似をするようになり、ひとつの流れを作ってみせた。
彼がこの会社に与えた影響は大きかった。

 

もうひとつは前述した通り、彼が悩んでいた自分とライフスタジオの間にある見えない壁を打ち破る事ができるかという部分だ。
彼が自分の写真とライフスタジオの写真に違いがある事に気付き始めた時、彼は素直に私に問い始めた。
そして素直に実践を進めていきながら彼の写真は変化していった。
解釈の仕方こそ彼独特のやり方だったが「生命力」という言葉や「カメラマンと被写体の間にできるシナリオ」といった
言葉をいち早く自分のものにしようと努力し適応していく姿を見ていると「もしかしたらすごいカメラマンになるかもしれない」と思わせるものだった。

 

ここまで写真の話ばかりをしてきたが、ともに働いてきた2年半で憧れたのはそれだけではない。
彼のリーダーシップ(男気)だ。写真と同じく、彼のリーダーシップはとても男性的で野性的だ笑
もちろんいい面、よくない面とあるとは思うが、自分が持っていないものというのは憧れの対象になるもののようだ。
最初に彼の男気を感じたのは彼が新松戸から青葉に来ると言ってくれた時だ。

彼は青葉店に行きたいと言ってくれた。

しかし、私は彼にそっけない態度をとった。理由は、彼が新松戸にとって、また内山さんにとっても必要な人であったから
私から誘う事はできなかったためだ。彼の行為に対して失礼だったかもしれない。でも内心は嬉しかった。

その時の彼の「色んな人に恩があるけど、ボルボさんにはまだ恩を返しきれてない」という言葉は今でも鮮明に覚えている。


次に彼の男気を感じたのは、私が埼玉に逆輸入され青葉店は彼がリーダーシップをとる事になった時だ。
彼にとっては色んな出来事のあった時期となったが、その時の青葉店の進んだ道は時代さえ合っていたら
きっと賞賛されていたに違いない。
なぜなら、私がいた時とは見違えるくらい青葉店というひとつの店舗が目的地に向かって進んでいく姿を見る事ができたからだ。

 

納得させてから動くスタイルではなく、やってみて納得していく少し強引にも見えるひっぱり具合は私にとっては羨ましい力だった。
そして決めたからには途中で止めない、諦めない、貫く。誰がどう思おうと私は羨望の眼差しで見ていた。私にもその力が欲しいと素直に思った。

 

そんな風に彼の特徴を素直に認める事ができるようになったのは、実は彼が退職する本当に直前だった。
それまで私は、彼の事を直視できないでいた。
それは、彼自身が戦っていた2つの矛盾を私が直視できなかったからだ。
整理すると、彼が戦っていた2つの矛盾は、ライフらしさを手に入れる事と、ライフに新しい価値観を吹き込む事ができる事だ。
私は、彼のその葛藤している二つがうまくリンクして力を発揮できるように共に作っていく事が出来なかったのだ。
私は彼のライフらしくなれない所を否定し、新しい価値観を吹き込める可能性をひがんだ。

 

結局、一番認める事が出来なかったのは私だった。

結局、一番ひがんでいたのは私だった。

 

私のそんな振る舞いが彼を疑心暗鬼にさせて事件が起きた。
いわゆる「俺の事見てんすか事件」だ。

あまりにも彼に対して厳しくあたり、認めない姿勢をとりすぎた事が原因でその言葉を出させてしまった。
突然の事だった。

 

私は、本当に鈍い人間だと思った。

その言葉の意味を理解するのに少し時間が必要なくらいに。

 

変われない自分と、変わらなくてもいい自分のどちらも認めてもらえない彼からすれば
自分が必要とされているのかわからなかったに違いない。
今更こんな事を言われてもと思われるかもしれないけど、彼には申し訳ない気持ちが今も残る。

 

この言葉はプライドの高い彼なりのSOSだった。

彼と共に最高の店舗を作ると言う目標を達成する事は叶わなかったかもしれないが、彼から学ぶ事ができたものは本当にたくさんあった。
 

 

彼と共に働く最後の日に、この写真を撮らせてもらった。
冷静に時計を見た彼からは、これまでライフスタジオで過ごしてきた時間、そしてこれからの時間を見ていたのかもしれない。

これを書いているタイミングが彼の退職時期になってしまったのがまるでお別れの手紙のようになってしまって申し訳ないけど、これからが本当の付き合いだと思ってます。

これからは、友人として。

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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