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所沢店はどこへ行こうとするのか②~船着き場はどこか~

投稿日:2017/4/7

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<船はどこに行こうとしているのか?>


所沢店の皆と「写真で共に行こう」と話をした時、皆は二つ返事で同意してくれた。 写真というわかりやすい題材をもって進んでいこうとする目標は所沢店のスタッフならずともわかりやすいとは思う。だって写真館なのだから・・・。だが、すぐに「やりましょう」と首を縦に振ってくれる仲間がいることに私は感謝しなければいけないと思っている。 行き先はどこか?の話をする前に、そもそも所沢店はどこに向かっていてどのように舵を切る 必要があるのかという問いに答えなければいけない。

例えば偶然撮る事ができた写真でフォトジェニックを獲得しても意味がないように、基本的に は過程が重要だと私は思っている。どんな崇高な目標を達成する事ができても、充実感も楽し さも無い内容では人生に対して意味がない。所沢店のスタジコンセプトは「PLAY」だ。一言で いうと「共にはじめよう」という意味だが、このコンセプトが撮影や写真、インテリアに衣装 など全ての要素に適用されていなければならず、外部的にはお客様に対して「一緒に作ってい きましょう」というわかりやすい表現でいいが、内部的には「何を共にするのか?」がセッテ ィングされる必要がある。現在のメンバーは所沢店に長くいるわけではないし、インテリアな どに携わったわけでもないためスタジオに対する核心部分についてはまだ設定する余地がある と思っている。この計画が提出されスタートする4月に最初に話されなければならいテーマ は「私たちの写真は何か」である。

次に現状把握だ。最初に書いた所沢店の計画書にある4つの約束の中に「笑うこと」「没頭す ること」の2つが入っているが、この2つには「過程を大事にしよう」という意味が込められ ている。だが、この三ヶ月を振り返ってみると「笑うこと」の方ばかりに集中がされていたと 評価できる。店舗を笑いのある文化にするというのは「つまらない人代表」でもある私にとっ て最重要な課題だ。ある意味ではこの店舗が1年、2年続くための土台作りとして優先するた めにそこに集中したというのは間違っていなかったと思っているし、実際にそのような店舗に なりつつある現状は理想とする店舗作りにおいて半分は達成されたと言ってもいい。しかし「没 頭したか?」と問われるとそうではない事実も残っている。ただ笑うだけではあまり意味がな い。笑いながら没頭できる何かに打ち込むことが私たちの理想的な「過程」であり、それこそ が「豊かな人生」だ。四ヶ月目に入る所沢店でひとつずつ達成し一歩ずつ着実に進んでいくな らば「没頭する何か」の再設定が必要だ。それを「写真」に設定したらどうかという提案だ。 写真館なら当たり前だろうか?当たり前だと思う。当たり前をやろうというのが凡事徹底だか ら・・・。目指しているのは「笑顔と情熱の店舗」だ。


次の論点は、もし取り組むべきが写真なのであれば、さらに深い次元へと入り込まなくてはな らないという部分だ。考えなければならないのは「写真」のなんなのか?だ。「写真に集中す る」という言葉は毒にも薬にもなり得ると思っている。実際にこれまでも写真に集中すると言 ってうまくいかなかった例はたくさん見てきた。写真というのは取り組むこと自体簡単だが現 実的に発展性を持たせる事が難しく、何をどうすればいいかわからない部分がある。最終的に はただ写真という物質だけがむなしく結果として残り「糧」となる何かを得る事が難しい。理 由は写真の限界、有限性にある。写真とは2:3の四角の中に人を入れて撮るという事から抜 け出す事はできない。その決められたルールの中で内容を変えるくらいしかできる事がなく、 技術的な話において何かを得ようとするならば写真の歴史にほぼ全て答えが残されている。だ から新しい何かというよりは今あるものを少し変えていくくらいしかやる事が無い。写真に集 中するという言葉の意味を理解しなければただ「毎日やっている事をちょっと集中してやる」 ぐらいにしかならない事になる。それによって現れる行為は「クローズアップ」や「広角」と いった単一的な取り組みだ。それくらいの取り組みならば集中しているというよりは他にやる 事が無い時にやるある種の「逃げ」とも捉えられる現象になってしまうだろう。一方で写真の 無限性があるのも事実だ。私たちが写真を撮っていて楽しいと思えるのは可能性が無限だから だ。写真人文学でもやっていたが、最初はただあるものをあるように残す事しかできないと思 っていた写真が、撮り手の主観によって非現実性を持たせる事が可能だと知った。これは写真 という物質自体が変わらないという有限性を持ちながら私たち撮影者の観察結果によっては何 にでも変わる事ができる無限の可能性があるという事だ。


今私たちが「写真に集中する」タイミングだと言えるのは、今なら毒ではなく薬になる可能性 があるからだと思っている。今なら無限の可能性に飛び込む準備ができたと言えるのかもしれ ないと感じたのは、お客さんからの言葉があったからだ。
 
ライフスタジオは何度も利用していていつも素敵な写真を撮ってもらっているけど
文章を読んで初めて、実際にどのような考えで、どのような方法で、どのような信念の上で
撮られているかというライフスタジオの写真の核心部分に触れる事ができました


これは先日、私が写真分析を書かせてもらった家族のパパさんからブログを見て頂いた言葉だ。 私はこの言葉を聞いた時、素直に嬉しい気持ちと同時に写真そのもので伝えきれていなかった という力不足を感じたのを記憶している。例えば自分が美容院に行くときに「この美容師さん はどのような理論を持って切っているのだろうか」と疑問に思う事はあまり無く、ただ自分の スタイルに合っていればそれでいいと思ってしまう事が多いが、美容師さんから見ればその髪 型にするには根拠がある。私たちも同じで、そのように写真を撮ったのには根拠がある。女性 を細く見せるためのライティングやポーズというのはその典型だ。しかし、その根拠というの も個人のものにすぎず「自分はなぜそのように撮るのか?」という程度の根拠でしかない。

重 要なのはお客さんから見たライフスタジオに対する感覚、考え方の傾向が変わる事であ りそれには「私たちがそのように撮影する根拠はなんなのか?」が示されるという事だ。 つまりはお客さんだけではなく私たちスタッフの傾向も変わらなければいけない。撮影に来た 人が写真を見て「あ~なるほど、ライフスタジオの写真というのはそういうことだったのか」 と気付いてもらえるのが理想の姿だ。

ライフスタジオは、ブランド化しつつある。これは予約が毎日満員だからという事では無く、 来てくれたお客さんに「なぜ来てくれたのか」と質問をしてみると返ってくる答えは概ね「知 り合いが良いと言っていたから」というものからよみとることができる。口コミによる反響は すごい。ライフスタジオは口コミに支えられていると言ってもいいくらいにその影響は大きい。 しかしそれゆえの弱点もある。例えば私はスポーツ用品の事はあまり詳しくは無いので自分が ジャージを買う時に自然とアディダスを手に取ってしまうが、その理由はただアディダスが「有 名で良さそう」でしかなく、あの三本線に本当は深い意味とこだわりがあるという事を知って 買っているわけでは無い。ユニクロでシャツを買う理由は「安くて質が良い」という事でしか なく、その背景に低賃金で危険な薬品を扱いながら洋服を作っている発展途上国の子供たちの 姿を見ているわけでは無い。私にとってジャージというのはただのジャージであって、アディ ダスを選択する理由は「ブランドだから」という事に過ぎない。ライフスタジオが選ばれる理 由はもちろんそれだけでは無いと思っているが、それはアディダスの社員も同じように考えて いると思うし、結局は作り手の意図が受け手にどのように伝わるかは作り手の表現にかかって いる。

ブランド化というのはこういった「みてくれ」に集中させてしまう側面も持っている。では、 この状態は選択する顧客側に問題があるのだろうか。もちろんそうではない。「みてくれ」で 選択される時に起きている現象はその商品の本当の価値、つまり「なぜそのように撮るのか」 に対する根拠がきちんと示されていないからではないだろうか。

今度はその「みてくれ」さえも違和感が出始めた例をあげてみる。(個人の意見ですが) 先日iPhoneの新作が発表されたが、どうやら次は赤色がでるようだった。 個人的にiPhoneそのものから感じるコンセプトやAppleからのメッセージ性というのは強く感 じていた。多機能だけどシンプルで、全ての機能に統一感とその機能がついている根拠がみえ ていた。しかし最近のAppleのiPhone戦略は個人的には疑問点が多い。スティーブジョブズがな くなったタイミングなのかどうかはわからないが、iPhoneがすごく多機能、多用途、多趣味に なり「伝えたいもの」が私にはぼやけてみえてしまった。今まで3色しか色がなかったし大き さもひとつしかなかったのに、最近ではついに電子マネーまでも入ってしまった。 そのような変化をしていこうとする考えも理解はできる。 最初からスマートフォンの完成系に近いものを提供できたが故の発展の苦悩のようなものだと 思うが、ライフスタジオも常々「ライフスタジオの次の写真は何か」と言われて久しくも中々 現れないのが現状だ。「ライフスタジオの次の写真」を模索しようとする時、どのように進ん でいく事が正しい道なのか考えれば考えるほど頭が痛くなっていくが、iPhoneのように形式の 変化や機能の追加といったハードな面に対するアプローチが正解なのだろうか。 ムービー原本を作る・・・・?

もしも、ライフスタジオの写真の次がそのような事なのであれば、私がiPhoneの進化に感じた 違和感と同じ現象を繰り返してしまうかもしれない。私たちがやらなければならない「ライ フスタジオの次の写真は何か」に対する進め方は「私たちの写真の根拠を再確認し、更 新し、現実に落とし込む」という事だ。そのひとつの方法が現在サークルでやっている「写 真人文学」だ。歴史を追いながら写真の「意味」を哲学的に整理していく作業が自分たちの写 真が何ものであるかを問うには絶好の教材である事は三ヶ月間サークルをやってみて感じた印 象だ。

これを本当に自分たちに適用するには、ただ受講するだけではなく主導していかなければいけ ないと考えている。これは工藤さんの主題とも連携して進めていく事ができる。結局は個人と 組織がバラバラに進むのではなくそれぞれの主題を持ちながらチームの目標も達成される仕組 みが必要で各自の主題とこのプロジェクトは連結が必要だ。「写真人文学を主導する」内容に ついては工藤さんからの発表が別にあると思うが、主導するのは工藤さんだけではなく所沢の メンバー全員がそのように動いていこうと考えている。毎月最終週の火曜日にサークルがある ので、その前に店舗で討論を交わし、実際の主題設定の議論ができればと思う。では、写真の 根拠を再確認し、更新したら次はどうする?という質問が出てくる。ここまでの話は「目の前 の道は何か」を明らかにするものであり、その先に「何があるのか」も同時に話されなければ ならず、結局は現場適用されるという事が目標地点になる。 全てを再構成しようとするこの作業がもしも上手くいったのなら現場でどのような現象が起き るかを想像してみると、恐らくひとりひとりが「このまま写真を撮っていていいのだろうか?」 と疑問を持ち始める。例えば原本75枚全てに根拠がなければいけないと考えれば頭の中にイメージのない瞬間にシャッターにかかった人差し指に待ったをかけるだろうし、被写 体とインテリアの調和を深く考えたなら小物がバラバラの状態で写真を撮る事が気持ち悪くな る。つまり全てを再構成するという事は私達は何を撮ろうとするのかを「具体的に」する事で あり、その最も良い方法は自分たちで1から組み立てる事、すなわち「店舗のオープン」であ る。店舗を作るという事は、自分たちの中に「具現化したい何か」が必要であり、その何かが 「ライフスタジオの次の写真」である。2年後の今頃には必ず店舗をオープンするという事が 「現実に落とし込む目的地」であり「目に見える目的地」である。 整理すると、私たちはこれから「ライフスタジオの次の写真は何か?」に対して「私たちの写 真の根拠を再確認し、更新し、現場に落とし込む」流れを通じて考えていこうとしている。そ の役割は主に写真人文学が担当し、その効果はお客さんも、スタッフもライフスタジオに対す る感じ方や見方の傾向が変わっていくようなものになるのではないかと考えている。そしてそ れを実現する具体的な方法は、新しい店舗を自分たちで作る事によって可能となるのではない だろうか。
写真という『メッセージ』を通して「自分たちの行動の核心を伝える」為に、進もう。

つづく
次回~道具は持ったか~

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
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