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京都桂店
所沢店はどこへ行こうとするのか①〜舵を切るなら今だ〜
投稿日:2017/3/31
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<舵を切るなら今だ>
がむしゃらに生きすぎて 自分がライフスタジオに入った理由をすっかり忘れた6年間だった
ありがたいことにライフスタジオに入社してから2017年の7月で丸々6年も経つ。前の会 社が7年いたので、もはやそれに匹敵する勢いだ。年数で見ればそのようだが、中身の濃さで 言えば3年目以降やる事のなかった前の会社とは桁違いに怒涛の毎日だった。 そう思うくらいこの6年というのはあっという間だったように思う。
この前、ようちゃんが自身に出された宿題を私に問いかけてきた。
「この会社にいる理由はなんですか?」
私はカリスマを出しながらこう答えた。
「毎日に飽きないためだ」と。
言いながらも出てきてしまう果たしてそのように生きてきたかという猜疑心は私のカリスマ性 で表に出ることなくフォローされただろうが、自分自身に嘘をつくことはできない。誤解のな いように言っておくと、この6年間、飽きの来ない毎日を送ってきたことは事実だ。6年間で10 店舗以上異動しながらたくさんの仲間に恵まれ、店舗作りやプロジェクトなどの運営にも参加 しながら自分の撮りたい写真を撮り、お客さんに喜んでもらえる日々は充実以外の何者でもな い。そういう意味では充実もしていたし飽きるような毎日であったわけでもない。
しかし、質 問をこう変換してみると即答できない自分がいる。
「楽しいですか・・・?」
私の中には仕事はつまらないものだという固定観念から抜け出せない何かがある。ライフスタ ジオは関係なく、そもそもそのように思っているようだ。飽きそのものが存在することは仕方 の無いことだ。何も考えずただひたすら同じ事をしていればたとえ高いポテンシャルを秘めた 人であっても自分の限界を疑い始める。私は自分の人生に飽きたから仕事を変えたのだ。たっ たひとつの選択で自分の人生が規定されるわけではないが私は安定志向のA型かと思いきや情 熱と充実を求めている事をその時知った。だから今の仕事に飽きているわけではない。私は自 分の人生において充実と情熱を持てる仕事に「写真」だと規定してライフスタジオに入った。 しかしライフスタジオではそう簡単にはいかなかった。私は新人ながら「この会社で一番のカ メラマンになる」と密かに決意していたが、しばらくライフスタジオで活動しているうちにこ のように言われるようになった。
「写真が重要じゃない」
最初は何を言っているのかわからなかった。 だって写真館でしょう・・・?
なぜ写真が重要じゃないのか。 あまりにも「重要じゃない」という雰囲気があったので、くじけそうになった事もあったが写 真がやりたくて入ってきたのでそれくらいで情熱が冷めることはなく写真に対する努力と表現 はこの6年間続けてきが、心の奥底にある二足のわらじを踏んでいるような感覚を拭う事はで きなかった。これは自分の理解不足と努力不足が原因で、ライフスタジオの経営理念と写真が 私の中でひとつの行動へとまとまらなかった為だ。理論はわかる。教育のひとつで例えるなら ば、論文プロジェクトが写真に及ぼす影響はとても大きなものだった。自分が論文の内容に選 択した「自由」という単語は、その意味を自分の中に落とし込む事で写真に対する姿勢はより 自由でより確実的なものとなった。現在進行中のワンポイントも同様だ。自分の主題を設定し、 道筋を時間によって変化させながら目標達成に近づこうとする過程は仕事がなされる原理を自 分自身に装着する事であり、写真に対する姿勢も変化することが予想できる。
こうして「写真が重要じゃない」という言葉の意味をわかっているつもりでいても、実際に分 離された感覚を取り戻す事は難しく、分離された状態は次第に自分の人生に対する重荷となっ てのしかかってくる事になった。これは言葉を変えると現場と教育の分離であり、無気力を生 む原因だ。それでも火を消さずにやってきたのは好き嫌いで仕事をしてこなかったつまらない 人生の考え方が功を奏したからだが、それは結局「義務」であった。
何が普通なのかはわからないが、実際に仕事を「楽しむもの」という認識ができない人は私だ けでは無いと思う。「仕事は楽しむものだ」という考え自体が自分の中に入ってきた事が無い から疑問に思う事もなかった。もしそのままの感覚でいたならばこの文章を書く事もなくなん の疑問もない生活をしていたかもしれないが、私の固まった考えに疑問を投げかけ、私の中に モヤモヤを生み悩ませてくれたのはライフスタジオの文化が私の考えを許さなかったからだと 思う。整理すると「写真が重要じゃない」という言葉の本質的な意味は「写真というもの は手段であって目的ではない」という事だ。写真の腕を磨くというのは手段のスキルアップ であって人生の目的とはなりえない。ライフスタジオでの写真の考え方は、経営理念である「人 が人を人として」を実現するためのツールであり、また経済活動の方法である。 入社したばかりの人間に対して「写真が重要じゃない」という言葉が与えられた理由は、本当 に写真が重要じゃないという意味ではなく写真に集中する意味を履き違えるとただ機械的、あ るいは趣味的に写真に執着してしまうという警告だ。
先日、社長と2人で焼肉を食べた。安楽亭だ。社長とゆっくり話すのは久しぶりだったし、安楽 亭に入るのはもっと久しぶりだった。自分達を含めて3組くらいしかいない店内に社長の覚え たての日本語が飛び交った。日本語がわからずたとえ話がうまくできない社長との会話の中か ら出てきた「写真に集中したらどうか」という私へのアドバイスには、上に書いたような自分 の6年と照らし合わせて矛盾と違和感を感じながら「あ、それでいいのか」と自分の中に押し 込めていた欲望と野心が開かれ、その瞬間にやりたかった事と今やっている事、あるいはやる べきことの進む道、それら全てが、その言葉をシナプスとしてつながっていくのを感じた。
そして思い出した。 がむしゃらに生きすぎて自分がライフスタジオに入った理由をすっかり忘れた6年間だったと。 今こそ「写真」が主題となるべきだと。 今だからこそ「写真」が主題になれるのだと。
つづく。
次回〜どこに行く船なのか〜
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