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京都桂店
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投稿日:2017/2/27
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Tokorozawa photo
photo by volvo
codi by takumi
write by volvo
好きなアーティストの新しいアルバムを聴いてると、
次はどんな曲なのか・・・アルバム全体のコンセプトは何なのか・・・などワクワクしながら色々な事を考える。
そんな予想をして集中力を高め聴き進め、当たれば自分がファンである事を改めて確認し
外れれば何かをしている手を止め、目をつむりその意外性を楽しむ。
ニューアルバムが出るたびこの過程を繰り返しては自分がファンでよかったという思いを噛みしめる瞬間が訪れる。
しかし、ニューアルバムを聞きながらたまにどうしても物足りなさを感じてしまう時がある。
それはそのアーティストの過去の曲達が、新曲に対する私の評価基準を狂わせ純粋な気持ちを邪魔してくるからだ。
新曲というのは真新しくて気持ちがいいが、過去には自分がファンになるきっかけとなった曲や
一般的に代表曲と言われるような曲達が存在しているのでどうしても比較してしまう自分がいるのだ。
比較している自分を客観的に気付くたびに「つまらない男だ」と思ってしまうし
ファンである事を疑い、本当は素直に楽しめていないという事に落胆する。
もう5年も前だ。
まだ5歳だった彼女を撮影した時、その写真は私自身の写真が「このようにすべきだ」と決定した瞬間であり
後の自分のスタイルを確立するに至った私にとってとても重要な撮影だった。
越谷店が本社直営店としてオープンし「写真の基準を変える」と
社長が直接毎日すべての原本を確認し、賞賛とミサイルを投下し基準を定めていたまさにその時だった。
だから5年ぶりに彼女が来るとわかった瞬間、私以外に誰が撮れるというのかという使命感と
過去の自分に打ち勝たなければいけないというちょっとした恐怖にも似た感情が芽生えた。
撮影後、この写真を直視し自分を評価しようとする。
しかしうまく正当な評価が下せない。
過去に自分が撮った写真達がこの一枚に対する私の評価基準を狂わせるのだ。
原本の中からこの一枚を選択した理由は率直にこの写真に惹かれたからだが、その理由を探そうとすると
何かが邪魔をしてきてしまう。
つまらない男だ。
結局私は自分に対してもアーティストなどの他人に対しても過去と現在を比較対象にしてしまっている。
これは過去を超えろという物理的なものではなく、現在を認めるという感情的なものの欠落だ。
基準というのは、常に変化していくことを認めなければいけない。
5年前に見た写真に対する感想がいま現在も同じ感想であるはずもなく、またあるべきではない。
時間は全てを変化させ、その中にはその写真を撮った自分自身の感情も含まれる。
思い返せば私自身、写真の見方は時間を追うごとに変化している。
撮り方も変化しているし、残す写真の傾向も変化している。自分の子供が生まれた事も大きい。
同時に彼女も5歳から10歳へと大きく変わった。
身長は別人のように大きくなったし、切っていないという髪の毛は腰を超えるほどだ。
受け答えも無邪気さが消え、他者と接しているという雰囲気が出るようになった。
初めてアルバイトを始めた時の面接の雰囲気に似ている。
しかし変わらない部分もある。
どちらかというと寡黙で、カメラ目線が決して得意なタイプではなくこちらの声掛けに対して積極的に応えるタイプではない。
ところが写真を撮られるということが苦手なわけではない。
すごく笑うわけではないが冗談が嫌いなわけでもなく、小さな声で冗談を言う。
中でも決定的に変わらないと思ったのは、撮影中のこちらからの掛け声に対する反応と「目」だ。
写真を撮られることが苦手なわけではないということを立証する部分がこちらかの声掛けに対する反応だ。
こちらが何かお願いをすると彼女は積極的にまるでモデルのような動きをするわけではないが
「自分が普通に動けば写真になる」ということを理解してくれているように
カメラを意識することなくただ自然にその動作をしている。
カメラを意識しすぎず、また無頓着すぎない姿勢が私の写真のスタイルに合っていて、撮っていてとても心地がいい。
ファインダーを覗きながら5年前のその感覚を思い出していく自分を感じ、5年前に自分のスタイルが決定されたのが
彼女の性質によるものが大きかったのだと少し客観的に見る事ができた。
わたしは写真を構築するにあたり、彼女のその変わらない特徴と、5年前とは違う特徴の二つを念頭に置かなければならないと考えた。
最大の特徴でもある長い髪は活かさなくてはならず、これはドレスと相まって逆光による幻想さで十分に表現が可能であるし
伸びた身長を表現するには圧縮効果で画面を満たす事で表現が可能だった。
この写真の核心的部分はポーズだ。
何をしているところか?という事についてははっきりという事はできない。
イメージを言うならば、ロードオブザリングでエルフの女王が不思議な石を手に取ろうとしているところ。でしょうか。。
この仕草をしてもらおうと指示をした・・・というよりは彼女の良さである「カメラへの無意識」をどのようにすれば
生み出せるかをを考えた時、撮影に直接的に関係が無さそうな意味不明な指示をする事だった。
彼女に対して「砂を3粒拾ってくれる?」というわけのわからない呼びかけをしたことによって
その行為に集中してくれた。後は「絵」になる瞬間にシャッターを押すのみだ。
変化した彼女と、変化していない彼女。
そして変化した私の写真と、変化していない私の写真。
この全てが組み合わさってこの写真が生まれていると思うと過去と比べるなんてものはなく
この一枚が私たちの人生と人生の積み重ねの融合であり、唯一無二だと思う事ができますし
好きなアーティストの音楽を素直な気持ちで聞く事ができるような気がします。
しかし撮影中も、撮影後も、どんな事をしても笑ってもらえなかった私はやはりつまらない男のようだ。
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