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京都桂店
「Mixture」
投稿日:2017/2/1
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photo kudo
codi takumi
write volvo
子供達の元気な姿を撮影する事が多いですが、たまに無機質な写真に惹かれる時があります。
理由はいくつかありますが、その最も大きな理由を少し考えてみると、私の求めている写真が「芸術性」にあるからかもしれません。
ライフスタジオの写真とは何か?という永遠の問いに対して私たち撮影者たちは常に答えを探し周っています。
カメラマンによってその答えは違うと思いますし、お客様から見たそれも違う答えになるような気がしますが、
冷静に考えてみると私たちは写真館に勤めている撮影者である事から、カテゴリとしては「商業写真」に分類されると思います。
商業写真とは販売する事が目的となるので、当然顧客のニーズに応えた商品になる事が求められます。
この状態では主体は顧客にあり、撮影者は期待に応えるためだけの「お店の人」という認識から抜け出す事は出来ません。
では、その顧客のニーズとはなんなのか、当たり前すぎてよく見ていなかったものをもう一度考えてみると、
結局は被写体である彼女たちを、その本人や家族が写真を見た瞬間に喜んでもらえるように美しく残すという事に尽きると思います。
その美しさという言葉の中にはいろいろな意味がこめられます。単純な「美」という意味であったり関係性、歴史や時間など。シンプルに笑顔もそうでしょう。
それらの「美しさ」の定義を満たす写真を提供する為には、当然ながらそのように撮影する事ができるカメラマンになっていなければなりません。
そのカメラマンになるための条件は、私の考えでは顧客のニーズに応えるという前提のうえで「自分の為」に写真を撮る事ができる人だと思っています。
なぜならば、先述した「美しさ」の定義を満たす写真を撮る為には、撮影者が自らを昇華しようとする意思と、被写体から受け取るエナジーを
撮影者本人の発揮可能な技術と構成要素を用いて表現するという過程を踏まなければ撮る事はできず、それには
顧客のニーズという少し自分の意思とかけ離れたものだけでは動力となることはできず、結局自分を動かす動力は「自分の望み」であるという事を念頭に置き、
そしてその動力がなければ結果的に美しさの定義を満たす事ができず、顧客のニーズにも及ぶ事が出来ないという事を知る事になります。
つまり、ライフスタジオの写真が商業写真というカテゴリを抜け出す事はできませんが、それと同時に撮影者本人の意思を持った「芸術性」を含む事が
ライフスタジオの写真の核心的要素になると思っています。
だから時としてこの写真のような非日常的ではなく、より現実的で音の聞こえてこないような無機質な写真が目を引きます。
この写真の核心的な部分はモノクロ設定による各要素との融合です。
色というのは組み合わせにある程度の決まりごとがあり、それが被写体とリンクする事で統一感をうみだしますが
ここでモノクロを選択した一番の理由は被写体以外の構成要素が被写体とリンクする為には色が不要であった事だと思います。
例えば右手前には掃除用具や棚、ダイオーズの替えの水がありますが、色がある事によってこれらの主張が強まり
被写体の主張を妨げる可能性があります。
順光である事もこの写真を彩るひとつの要素ですが、すべての面に対して同様の光が当たる事によってよりフラットな無機質感を
演出します。
直接的にこの家族にお会いしたわけではありませんが、結果として原本CDをとてもお喜びいただいたと聞きました。
顧客のニーズという写真館にとって切っても切り離せないものはありながらも撮影者個人の特殊性を織り交ぜていく行為は、
撮影者の努力と個性の組み合わせとそうしようとする意思が顧客のニーズを超えた写真へと変化させ、結果的に
より多くのニーズへの満足へと変わっていくのだと思います。
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