Staff Blog
京都桂店
『見えない糸』
投稿日:2016/6/30
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Life studio SOKA
photo by volvo
codi by Choi Eunpyo
この写真にはテーマがあります。
それは「作り上げていないような空間を作り上げる」です。
この言葉の意味は、ただ被写体から見て撮影者である私を認識されないようにするという意味ではなく、
私の存在を認めてもらった上であえて認識されないような状況を作る、言葉を変えると関係性という糸を
つなぐ努力をした後に、あえてその糸を切る作業をするという事になります。
私がこのいっけん意味の無いような禅問答のような取り組みにいつも集中しているのは「自然な写真」という
お客様からの要求に対して私たちはいつもどのように応えているかに対する結論を出すために行っています。
「自然な写真」という言葉は人によって考え方の異なりますが、抽象性の高いこの言葉は毎日のお客様からの要望として耳にします。
私たちはそういった要求に対応し、原本を作り上げていきますが、実際に撮影した写真を見ていくと大きく分けて2つのパターンしかない事に気づきます。
ひとつは、被写体である子供たちを自由に解き放ち、それを追いかけて撮影するパターン。
もうひとつは、被写体である子供たちに指示を出して撮影していくパターンです。
しかし、言葉だけを聞くと後者の場合「自然」という言葉が当てはまるのか疑問になる時があります。
なぜなら指示を出している写真には現場にいなくとも「この写真は指示を出している」というのがわかる事があるからです。
では、自然な写真を撮るためには前者である子供たちをただ自由奔放にさせる事が正しい考え方になるでしょうか。
私はそれも正解ではないと思っています。
もちろん撮影者を認識せず、スタジオを公園のように使ってくれる事はありのままを撮る事においては
いいかもしれませんが、それだけでは何かが足りません。理由は二つあります。
ひとつは写真に写っているのは「人」だけではないということです。
私たちが写真に写しているのは「人」です。
その、人の外面的要素、あるいは内面的な要素を写真という2次元の一枚の媒体に写す事が仕事です。
一方で、写真に写っているのは「人」だけではなく、その、人を取り巻く環境や
空間的要素も同時に映り込みます。
写真というのは静止画です、ありのままの姿を見せてくれる子供たちはたくさんの躍動感と元気を与えてくれますが
「美しい写真を残す」という事において必要なのはありのままの子供たちだけではなく光や構図、意図などいろんな要素が
高い次元で組み合わなくてはなりません。相手に合わせるだけの受動的なカメラマンではそれは叶う事ができません。
もうひとつの理由は、皆が同じようにありのままを見せてくれるわけでは無いということです。
元気に走り回る子供たちならば自然(すぎる)写真が撮れるかもしれませんが、もし被写体が動かないタイプだったら?
あるいは大人だったら?と考えてみると、自然な姿を写していることが他力本願になっている事に気づきます。
被写体の状態に頼る受動的なスタンスでは被写体の状態によって写真が変化します。
つまり、自然な写真を要求されたとしても撮れるかどうかは被写体次第になってしまうのです。
少しややこしくなってしまいましたが、私はこのどちらもが必要であり
最初に書いた「作り上げていないような空間を作り上げる」事が
常に自然な写真を作る条件だと考えています。
写真は意図的でなければならないと思っているのが私の基本スタンスだからです。
この写真における「作り上げていないような空間を作り上げる」事を表現する為に気をつけたポイントは3つあります。
1:ポーズはすべて伝える
2:ガラス窓を利用する
3:被写体が興味を持つ言葉を投げかけて視線を誘導し、彼の集中をカメラではなく窓の外へと導く
彼はライフスタジオに10回以上来てくれていたので、私たちとの撮影にも慣れていました。
しかし、慣れているが故に自然というよりは「撮りやすい」という感覚に近かったかもしれません。
そんな彼を深く考えずにただ指示を受け取ってくれるままに撮る事は簡単だったと思います。
しかし、10回以上来てくれている家族の「自然」という要求に応える為には被写体である彼が
出してくれる以上のものをこちらが提供しなくてはいけない。そう思いました。
ポーズについて私は「写真を撮る専用」のポーズをあまり指示しないようにしています。
これも「自然」に関する考えなのですが「写真を撮る専用」のポーズはその空間に写真を撮るという行為を
意識させてしまうからです。
この写真では「この場所にいて辛くない格好」を目指しました。
重心を格子に預け、反対側の手で柵を持つ事で、ただこの場所で外を見るならするであろう楽な姿勢を目指しました。
次にガラス窓です。
前ボケ自体に被写体と撮影者との距離感を作る性質がありますが、今回は窓を一枚隔てることによって
現場でも物理的に撮影者がいなくなり、より被写体である彼はカメラを意識しなくてもよい状況を作りました。
また、彼1人の空間を切り取るという事も窓を隔てている事が、「外からカフェでお茶を飲んでいる人を見ている」ような
感覚を目指しました。
最後の3番が個人的には一番重要なポイントだと思っています。
自然さを作る一番のポイントが私は「目」だと思っています。
視線を誘導する事は日常的にやる事だと思いますが、ただ目線を誘導することと、被写体に目線を移動する理由があるのとでは
目の力強さが変わってくると思っています。
例えば「窓の方見て」というのと「外の道路のマンホールが空いてるから見て」というのでは目の輝きに違いが出ます。
「窓の方見て」という言葉は写真を撮る為にそっちを向いてという意味を直接的に伝えている事になるので、
被写体も撮影をするための指示という認識を出る事ができません。
そうなると、言葉で説明するのは難しいですがたとえ窓の方を向いていてもどこか意識がカメラの方にある写真が生まれやすくなります。
ようは視線の先に目的があるかどうかが重要であり、それを意図的に創り上げる事が被写体の認識出来る範囲から
撮影者が消える事ができるきっかけとなっていくのだと考えます。
「作り上げていないような空間を作り上げる」というのは、人の理解からはじまり、何を撮りたいのかを明確にすること。
そして完成へのプロセスを自分なりに組み立てられることです。
そしてそれがうまくできた時、他力本願ではない本当の撮影が可能になるのだと思っています。
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