Education
越谷店
6月主題:公共性』
投稿日:2012/5/29
1520 0
公共性
「公共性」または「公共」とは,漠然として多義的な概念である。
「公共」や「公共性」は、日常的にも使われる社会科学系の言葉だが,多義的であいまいなところがあり定義には揺れがある。
日本語辞典の『大辞林』で「公共性」の意味を調べてみると「広く社会一般に利害・影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく社会全体に開かれていること」とされている。
また『広辞苑』では、「広く社会一般に利害や正義を有する性質」と定義している。こちらは少し理解が難しいように思う。
つぎに「公共」の付いた用語を調べてみる。
公共企業体・公共危険罪・公共空地・公共組合・公共経済学・公共建築・公共サービス・公共財・公共事業・公共施設・公共事務・公共職業安定所・公共心・公共性・公共選択学派・公共団体・公共投資・公共の福祉・公共法人・公共放送・公共優先債・公共用財産・公共用物・公共料金・公共緑地
他にも公共交通・公共精神・公共政策・地方公共団体・公共の福祉 etc…
これらの用語を分類すると、公共企業体・公共団体・公共投資・公共政策などは「政府の」という意味になるが、それ以外の多くの用語は「社会全体に関係する」という意味で「公共」を用いているといえる。
こういったことから「公共性」の定義付けは幅広く簡単にはいかない。
けれども、非常に重要な概念でもあると考える。
公共性というまたはそれに類似した言葉を用いなければ思考に困ることがあり,意識せずにこのイメージを用いて議論していることもあるだろう。
とくに社会科学が対象とする社会は、私的な事象とは別の「公共的な」事象を含み、それが重要なテーマとなる。
重要と言うのは、直感的に言えば次のような理由にもとづいているのではないかと考える。
・自分や親しい人々にプラス・マイナスの影響を与える。
・同じ社会に属する他の人々にプラス・マイナスの影響を与える。
・市民は参加するしくみがあり参加することが求められ、参加によって影響を与える可能性がある。
ところが個人やその周りで直接経験する「私的」な現象は分かりやすいが、それとは別に「公共的な」問題が存在し、議論され、政府等によって対処されているということは少し意識しないと分かりにくい。
個人的な世界のなかだけで働いて賃金をもらい、不満があれば転職し商品を選んで買って消費してゴミまたはリサイクル資源として排出し、住居を探して契約し、家族や友人と楽しい時間を過ごすことは可能である。
公共的な世界の存在を認識しないならば、政治の世界は単に政治家が私的に権力を求めて争い合う醜悪的または感動的な、または観戦対象としておもしろい世界にしか見えないだろう。
政治家の公共的な役割を認めないのだから、議員定数削減こそが政治「改革」だということになるのではないか。行政とは公務員が無用な規則と書類を増やしていく世界であり、公務員を減らすことこそ行政「改革」であるという単純な論理で終わってしまうのではないか。
公共性については以上のように考えた。
主題①私たちが日常的に他者を「排除」すること(認識していたができなかった)は何があるか。
他者を排除すること。
人間は他者に一度不愉快な思いをさせられるとそのまま接触を絶ってしまう場合もある。
その相手を許容し、再び接触を試みるのに必要なものは何か。
また「排除」せずに一定の頻度で接触を保つのはどういう機構によるものか。
そして単なる「排除」には留まらず、攻撃をする場合もあるがそれもどういった機構によるものなのか。
もしくは接触をする以前から、性別や階級、宗教や国籍など様々な理由で接触さえもしないことも考えられる。
たとえば日常で常に意識的にホームレスの人など常に気になっているが何も手助けはしていない。
人間が人間らしく生きていけていない状況を目の前にしても何もできてきない。
気持ちだけあっても行動に移せていないことは、悲しいけれど全て排除しているものだと思う。
これは全ての物事に共通していることではないでしょうか。
主題②我々の組織ではどんな「排除」が存在しているか。
ライフスタジオに関して個人的に感じている「排除」は多々ある。
きっとそれは環境の違いなどから人それぞれ差があるのではないか。
だが、日々行われる教育を通してなにを基準にして自分の世界観を作るかといったことに導いてもらっていると感じている。
そうしたことで自ら条件を作り、悪い意味の物事を「排除」していけるのではないか。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索