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お兄ちゃんの手と小さな僕の足

投稿日:2016/10/31

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お兄ちゃんの手と小さな僕の足

Photography by Choi Eunpyo
Write by Sonoka Kinoshita

「まだ君の足は僕の手のひらよりも小さいんだね」そんな声が聞こえてきそうです。」

兄弟が生まれるという感覚はどんな感覚なのでしょうか?
私は妹が生まれた時のことを今でも覚えています。自分より小さい姿を見て無償に抱っこしたくて、ソファで寝てる妹とに抱きついたり持ち上げたり。妹はされたい放題です。でも、いつしかそんな妹が、私が遊びに行くときについて来たりするのが嫌になったり、近いからこそひどいことを加減なく言ってしまったり、親も沢山困らせるようになりました。1番近くにいる妹の気持ち気にすることも出来ずにいた自分のせいで、知らないところで傷ついていた妹の姿を初めて知った時、こらえきれない後悔と何があってももうそんなことはしないと心に誓ったこと日がありました。そんな私たちですが、中学も同じ部活にはいり、高校の学科も後を追うように同じ学科。大学も同じで、一ヶ月前から職場まで同じになってしまいました。
小さかった時はこの写真のように、私の手は妹の足よりも大きく、まだ寝転がることしかできなかった妹が今では同じくらいに大きくなりました。

あんなに小さかった妹に、時には支えられ相談をしている自分がいます。お互いに一緒にいるときはマイペースでマシンガントークですが、側にそんな存在を与えてくれた親に感謝です。最近また家族と自分たちが小さったころの写真をラインで送りったりするようになりました。どんなに幼くてもそれぞれに持ち前の性格が出ている写真ばかりです。体の大きさの違いもよく分かります。だんだんと大きかった身長の差も年を重ねるごとに追いついていく過程が見えました。そんな写真を見ながら昔住んでた家の柱に刻んだ兄弟の身長のメモリも思い出しました。小さい頃の妹との写真はいつ見ても笑ってしまいます。食事の好みがまるっきり違った私たちですが、1歳くらいからよく妹は写真でから揚げを握りしめています。あちらの写真でも、こっちの写真でも。そんな思いで話をついこないだしながら兄弟で笑ってしまいました。


写真においてカメラマンはなぜ75カットの中に、パーツカットを入れ、イメージカットを入れることがあるのでしょうか?
それはそこには伝えたい確かな意図があるからです。そこをみてカメラマンが感じた想いがあるからです。小さくとも元気な足を包み込むまっすぐで元気に伸びた手のひらからは、この兄弟が一体どんな性格なのかが伝わってくるようです。その時でしかない大きさの違いやどんなに小さくとも兄は兄であり、弟は弟であるということをこの兄弟のパーツカットの写真でカメラマンは伝えたかったのだと思います。子供を見て可愛らしく感じる部分には、その時期ならではの特徴を持っています。きっと1年後、2年後に同じ構図で撮影をしても感じられるものはまったく違ってくると思います。この時期でしか表現できない2人。まだムチムチ感の残る2人の体。小さいながらにお兄ちゃんになろうとする姿。この写真を撮れる時間は一瞬であったかもしれません。なかなか小さい兄弟のパーツカットショットには難しさもあります。
その一瞬に絨毯の白い綿の柔らかさ、前ボケが自然と画面に混合していること、そしてお兄ちゃんの手の形。元気に開く弟の足。2人の生命力とパワー、兄弟の性格を感じる一枚です。その中に今の2人自身を象徴する体の特徴や大きさの違いに着目し表現する、兄弟とは何か、この2人のポイントは何か、それを最大限に引き出す表現方法は何かその答えがこの一枚であると思います。
 
 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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