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spring & akari 2016/5/10
投稿日:2016/8/7
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spring & akari
2016/5/10
Blur
photo by min
write by sonoka
春になりました。窓からは暖かい風。緑が混じる桜の木。風に舞う桜の花びら。
なんとも言えない気持ちの良さを感じます。
暖かい風は私の体や心をゆっくりとほぐしてくれるようです。なんでこんなに春は気持ちが良いのでしょうか。
桜に限らず、畑を多い尽くすほどの菜の花。他にも色とりどりの花や緑、寒さから開放されて太陽に向かって背伸びをしながら気持ち良さそうに花びらや歯を開いている姿は、人を立ち止まらせてついシャッターを切らせてしまう魅力を持っています。春の訪れがとても心地よいのは自然が癒しの要素満開で私達を包み込んでくれるからなのでしょう。
そんな気持ちの良い春、私達も新たなスタートです。春のサンプル撮影が始まりました。
「こんにちは。」と優しく可愛らしい声と笑顔で再びスタジオに彼女が来てくれました。彼女がスタジオに来た雰囲気もまた春を感じさせてくれるようでした。
桜花びらが舞い散る中、カスミソウを両手に白いワンピースで踊り、微笑み、舞う彼女。カメラマンと彼女の息も合うのか、出来上がった写真は200枚を越えるものでした。どんな写真が出来上がるのかカメラマンと彼女が作り上げていく世界を楽しみに、今回私はそっとそばで見ていました。
出来上がった200枚以上もの写真を見ながら、どれもがそれぞれに良さと意味を持つ写真ばかりで、撮られていた彼女も、そして私自身も感心してモニターに見入ってしまいました。200枚以上もの写真を何度見ていると、ふと一枚だけどうしても心に残る写真がありました。何度も200カットの流れをみながらその中でもぼんやりとスライドを止めて見入ってしまう写真です。
一体なぜこの写真が私は気になるのか?自分が何を理由に手を止めたのか、その時にはよく分かりませんでした。「なぜ?なんで?この写真を見ていると気持ちがやわらぐのだろうか」と疑問ばかりが頭の中をかけずりまわっていました。
この写真を見るとみなさんは何を感じますか?
私はなぜこの写真に見入ってしまったのでしょうか。私が大好きな春を感じるように、自然が私を包み込み自然と心が開放されていくような感じと同じものをこの1カットを見て感じました。
鮮明に色や形を持っていたものが、混ざり合い調和し淡さとして漂う。何かが強烈に1つでも主張することなく、そこに滲んでいる。なぜかそれが見ていて気持ちが落ち着き、穏やかになりました。カメラマンはなぜこのように写真をぼかして撮影したのでしょうか?
それは今回の撮影のコンセプトに基づくのではないかと思います。春になり、白を一色の衣装で霞そうをもって撮影がしたいとカメラマンは言っていました。「歳を重ねたせいか、以前はそこまで大好きではなく、対して魅力を感じていなかった花に最近はまってしまったんだよね。今までは季節による自然の変化を美しいと感じたり、気に留めることはなかったのに、今回のこの春の訪れは美しいと感じるようになったんだよね」と。
写真を見ていると、春の訪れを気持ち良さそうに表現している被写体が写っている写真がたくさんありましたが、モデルはもちろん、カメラマン自身もその訪れを喜び、表現したく、美しさを楽しんでいるように感じました。そんな中でその雰囲気に合致するモデルや、また気持ちよく表現してくれる姿にカメラマン自身も心から撮影を楽しみ挑戦していたのだと思います。だからこそ一カット一カットに意味や表情の伝える力がこもっているのだと。その中でのこの1枚はまさにカメラマンが伝えたい春の要素、それに合致する彼女の雰囲気を表現するための技術やイメージの現れであると思いました。人の写真を撮影する上で、私達はよく繊細な目を持って、その人に接し表情の重要性を考えます。従って中には「表情がはっきりとは写っていないものになんの意味があるのか、表情を省いたこの写真は一体何を表現できるのか?」と思う人もいるかもしれません。しかし表情以上に、彼女のものを見つめ、それを表現したいという想いが、このblurになって現れたのだと私は思います。
同じく春の訪れに酔いしれる私にとって、彼女を知っている私にとって、この一枚の写真が何よりも心地いいものだったのです。
そしてこの写真にはもう一つの良さがあります。それは各自に最終的な答えを託し、イメージし考える余白を残したということです。ぼんやりとただずむもの、明確ではない姿にスポットライトを当てるということは、その曖昧さを見る人への感じることイメージすることへの自由を与え、「これを伝えたいのだ!」と制限を与えるのではない開かれた写真を200カットの流れの中で提示するこによって、計りしれない深さとゆとりを与えることが出来ているのだと思います。私の心の中に止まったこの一枚の写真は、自分に与えられたその開かれた世界やゆとりに私は開放感と良さを感じていたのだと思います。
そしてもちろんこの写真1枚でも伝わるものや雰囲気、意味はありますが、1枚で存在するからというより、私は200枚以上というカットの流れの中にこの1枚が存在するからこそ、より強烈な意味が生まれ、その世界に引き込まれたのです。イメージカットとはそういうものであると思います。監督となるカメラマンが自分の頭の中にある世界を、現実に存在する人や環境、要素と結びつけて表現していきます。イメージカットはカメラマンが何を大切にしていて、何に集中していて、何を表現したかったのかが一番凝縮されているカットだと言えると私は思います。何十枚と続く写真の流れの中でイメージカットだけに焦点を置き、見ていると、このカメラマンはこの撮影の時間の中で、被写体をどう美しく表現していこうかを一番感じることが出来ます。言葉ではうまく表現できませんが、スタンダードな基本の撮影はどのカメラマンもできます。その人自身が投入されて現れてくる場所が被写体にどう深く入ることが出来、どう動かしてどれほどの表情を出すことが出来るのかと、もう一つはイメージカットであると私は考えます。イメージカットとはカメラマンが描く世界の中に、見ている人達やモデルを巻き込む、浸らせるものです。自分が見つめる被写体を自分の感性で捉え、表現していくことです。
イメージカットとはカメラマンからのサプライズプレゼントとであると思います。プレゼントとはいったいどんなものが中に入っているのか分からない状況、そしてもらえると何の想像や期待もしていない中で、カメラマンが独自の目線で演出し提供してくれるものなのです。だからこそ撮影中に何十カットのながれの中でイメージカットが入るとお客さんはこんな所を見ていたのか、このように表現していたのかと驚くことが多いのです。監督の世界に引きずり込まれたような不思議な余韻が残るのであると思います。
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