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あたたかさ2015/4/17
投稿日:2016/8/7
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あたたかさ
2015/4/17
お父さんとお母さんと一緒に撮影に来てくれた女の子。
最初はなんだか緊張気味で、大きなお目目であたりをきょろきょろと見回しながら、
何が始まるのかなと彼女なりに把握しようとしていました。
着物の撮影が始まり、ドレスを着ての撮影と周りの環境と私達に
なれて心を開いてくれるとき、愛くるしい彼女が持つ姿が一
また一つと見えてきました。
パパに駆け寄ってタッチをしてまた戻ってきたり、ママの顔を見てにこにこしたり。
最初は彼女にとって目新しかった場所がいつのまにか彼女にとってもパパやママにとっても
私達にとっても心地のよい空気が流れる空間になっていくのを感じました。
私達が暖かさを感じるのはどんな時なのでしょうか?
寒い日にココアをのむと体がしんからあたたまってくるような感じがしますが、
私達は人と接しているとき、またとある空間に赴いたときにもあたたかさを感じることがあります。
この人いるとなぜかわからないが体に入っていた力が抜け、
自分が何の仮面もつけずに何の気負いもすることなくいることが出来る人、
特に何か変わったことをしている訳でもないのにこの場所にいると
「私がここに居てもいいんだな、ここにいると私の場所がある」といったような自分の存在を自分自身でも認めさせてくれるような、
そして周りの人も自分を認めているように感じさせてくれる場所があります。
そのような場所が私は自分の家、親友の家、幼いときから通い続けている美容室、家の周りの道です。
小学校、中学校と私は毎日学校まで1.7キロの距離を歩いて登下校していました。
何千日とその道を行ったりきたりしているのですが、ある地点を過ぎたくらいから「ああ、帰ってきたあ~」と、家についたときと同じような気分になるところがありました。
そこが家からかなり近いからという理由ではなかったと思います。
その地点が自分の部落に入る境目くらいからでした。私達のすんでいたところは、小学校や中学校に通える範囲として1区から8区までに分かれていました。
私は8区で、8区の中でも8-3班という場所に住んでいました。
田舎だったせいか、近所づきあいが親密で、各班ごとに公民館での集まりや打ち上げ、子ども会、
運動会、お正月のうのしめ縄作り、相撲大会などのイベントと、子供からお年寄りまで一つになって交流する機会がたくさん開催されていました。
昔からその活動が根付いているため、特別なことをしているというよりは自分達の日常の中に組み込まれている感覚でした。
その班に属する人の顔は赤ちゃんからお年寄りまで全員知っています。小さいながらにもそれぞれのお家のニュースまで知っていました。
小学生の時には、同い年の子達と遊ぶだけでなく、近所の40代のおじちゃんも私の遊び相手でした。となりの家のおじちゃんは私のお家の犬を勝手に散歩に連れて行ってくれます。
学校帰りの私を縁側越しに見つけると、「そのちゃんお帰り」と声をかけてくれたり、疲れているとジュースをくれたりもしました
。自分の班の中ではどこにいってもみんな私のことを知っていて、私もみんなのことを知っていました。
その班の区内に入ってきた瞬間が帰ってきたと感じる瞬間でした。
暖かさとは自分の居場所を感じることのできる空間であって、また自分の居場所を感じられるということは自分の存在が認められている空間です。お互いの存在を認め合っている空間です。
この人の存在を認めなきゃとかこの人の居場所をつくらなきゃといって出来たものではなく、
私が住んでいた地域には自然とそのような流れが自分達の生活として刻まれていました。
何が私に対して暖かさを感じるほどの満足を与えていたのかといったら、それはそこにいる「人達」です。
空間、そこに存在する私達。
人が集まるところには言葉がある。
そしてそこには美しい物語がある。
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