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Babyhood,

投稿日:2021/4/20     更新日:2021/4/20

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Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Natsuko 

 

@AOYAMA

 

 

Baby撮影が好きです。

ただただ『赤ちゃん』が可愛い、というのももちろんですが、しかしそれだけで好きと言い切るには難しく、奥深いのがBaby撮影だと思っています。

その難しさ、一筋縄ではいかないところ、そういう部分に悪戦苦闘しながらもありとあらゆる角度からそのBabyを見詰めて、観察して、予測しながら待って、待って、そして訪れる一瞬にシャッターを切る。

その瞬間に昂る自分自身の感情は、波のように押し寄せて飛沫をあげて、余韻を残して引いていく。その余韻が、ちょっと病みつきになってしまう。

私にとって、Baby撮影とはなんだかそういうもののような気がします。

 

 

Baby撮影は、Babyとの適正な距離感と関係性の構築ができるかどうかにかかっています。

私は撮影者であり、観察者であり、Babyにとっては得体の知れないモノであり、そして笑わせ屋ではありません。Babyの笑顔は大好きですが、笑わせることを目的とした過干渉をしないように心掛けている、つもりです。

撮影空間において、『わたし』という存在をBabyに容認してもらうところから撮影は始まります。Babyが『わたし』という得体の知れないモノに対して同じ空間にいることを容認してくれれば、Babyは自ら動き始めます。Babyの動きは、予測はできますが制御はできず、把握はできますが指示はできません。偶発的な部分も大きいものです。しかし、撮影者として全てを偶発性に委ねるだけでもありません。予測し、把握し、準備をします。その偶発的な一瞬を自ら引き寄せられるように。

見守る、という距離感は大切です。その瞬間が訪れるという確信は、見守りながら収集される様々な情報を基にして待つことの根拠になり得ます。被写体の『あなた』らしさ、個性というパーソナリティを尊重する為には、被写体を信頼して見守る、という距離感に自分を置いて待つということが重要だということを、私はBaby撮影を通して知ったような気がします。

 

彼女もまた、そうでした。

最初は、初めての場所と得体の知れない撮影者たちに少し慎重な反応を見せていたBaby。家族写真やきょうだい写真の撮影を経て、その空間と撮影者の存在を容認し、自ら遊び始めた撮影の中盤、その瞬間は訪れました。

Babyの背中。丸みを帯びたラインと、おむつをずらす仕草。その背中はなんだかとても『赤ちゃん的』で、私の感情を昂らせました。

人の生きる時間の中で、ほんのわずかな間のBabyというシーズン。その限られた時期をぎゅっと象徴するようなイメージカット。

赤ちゃんらしくて、あなたらしい、その瞬間。

 

思う通りになんかならない、一筋縄ではいかない、Babyの撮影。

だからこそ、こんな一瞬を残すことができたなら、最高の気分になれちゃいます。

 

やっぱり、Baby撮影がすき。

 

 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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