Photogenic
青山店
自由に憧れ
投稿日:2021/4/10     更新日:2021/4/10
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Photo&Write by Reiri Kuroki
Coordi by Naoko Naganuma
@AOYAMA
自由に憧れた。
昔から、「自由にして良いよ」と言われると、どうしたら良いのか分からなくなってしまうタチだった。
大家族の長女だからなのか、気質のせいか、性格上か。とにかく、自由を与えられてもそれを謳歌することができない損な性分。
基準となるような『何か』を探して、それとの相対的な範囲を勝手に自分に設けて、迷惑にならないように、とか、常識や良識からはみ出さないように、とか、そんなことばっかり考えていて、『自由』を上手く活用できない心苦しさみたいなものが伴ってしまう。
自由って、難しい。
だから、『自由』を自由にできるということに、憧れた。
そんなことを、自由な彼らを見ながら思い出していました。
そもそも椅子を出した時はママさんに座ってもらおうとか安易に考えていたような気がするのですが、小学生男子たちは椅子ひとつ取っても如何にふざけられるかに全力を注いでいるものだから、まあこうなる。
いや、言ってみればこの前のシーンだって、次男くんの入学記念ということでランドセルを背負ったスーツ姿の初々しい写真を撮ろうとしていました。していたけど(そして、最低限のそういう写真は残しているけど)、気が付けば彼はランドセルをかぶっていたり、足元から履こうとしてみたり、枕にして寝っ転がってみたり、果てはランドセルなんて放り出してインテリアによじ登ってみたりと、ものすごく自由でした。
そして私は、そんな彼を見ながら
「めっちゃ良いなあ」と憧れてしまうのです。
そりゃあもう、めちゃくちゃ楽しそうなものだから……。
実は昨年も撮影しているのですが、昨年は次男くんの七五三撮影ながらご本人が着物を着ることを断固拒否していて、横浜青葉店の最強コーディネーター佐々木郁と中川みさきをWで投入して彼の気持ちを盛り上げることに集中した撮影だったので(そして盛り上がった後の着物撮影がどうなったかは推して知るべし)、その辺も併せて思い出すと、今回はとにかくふざけ倒して楽しそうに笑い転げている、彼の笑顔が堪らなく良いなあと思ってしまうのです。
例え、1シャッターごとに創意工夫溢れる変顔を織り交ぜていようとも。
『自由』とは、外部からの強制や支配を受けずに自らの意思や本性に従っていること、とあります。
その点で言えば、彼らはどうやら彼ら自身の意思とその本性に素直に従い、自由を楽しみ尽くしていると言えよう。
しかも、彼らははちゃめちゃなようで、ちゃんと『自分の』自由を謳歌しています。カメラの前で写真を撮られること、ということは受け入れていて、ライフスタジオの撮影スタイルも知っていて、私のことも知った上で如何に私を笑かすことができるかを自由に楽しんでいる。
ここで私が『写真館での記念写真』という固定概念の枠に囚われれば、彼らに対して強制や支配的干渉をしてしまうのかも知れません。いわゆる「ちゃんとして」的な。しかし自由に憧れた身としては、彼らの自由な姿を楽しいそのままで残しておきたい。いわゆる「オッケーそれでいっちゃおう!」的な。
幸いなことに、ライフスタジオは撮影者の自由も許容してくれています。こう撮らなければいけない、というものは、本来なら無い。しかし『美しさを表現すること』や『楽しい遊びの空間』であることは大前提です。撮影者は自由に伴う責任として、能動的な構成力が求められます。「オッケーそれでいっちゃおう!」は決してテキトーではなく、自分たちの思考や想定や準備の外から来るイレギュラーを瞬時に受け入れ、整理し、カメラを通して再構築して表現する、という強い意思です。
被写体が自由を謳歌する、その姿を、撮影者は自由に表現したら良い。彼らのおかげで、私も自由になっていく。
『自由』を存分に自由にできるということは、それはもうものすごく、楽しいことなのです。
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