レポートReport
2011年ライフスタジオシーズン4:ライフサークルの構成と計画
2012/5/6
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ライフスタジオシーズン4:ライフサークルの構成と計画
★. 背景
ライフスタジオは「成長する人」という方向性を持っている。その方向性を公式的に発表するまでに5年が過ぎた。日本の写真文化を変えようととなえた戦略的な目標も、「成長する人」という前提の下にでてきた、現実的な代案だった。日本で有名なスタジオを訪問し、色々な話をして直接コンサルティングもしながら出てきた結論は「システムだけで魂のない写真館」だった。現実的な要求、又はオーナー達の個人的な満足のためのシステム導入が組織のビジョンや時代が要求する価値を確保できない状態では、行き過ぎたシステムとスタッフの疎外感をもたらしてしまう。これらはリーダーが自己革新や内部からの改革によって変えていくことができる。しかし、リーダーたちはひとつふたつのスタジオという枠の中で経営をしているというよりは、商売というマインドから抜け出せずにおり、内部は改革の動力を確保できる条件ではなかった。写真館はお互いに違ったこだわりが出会い、創造していく喜びを共有するところから価値を探し出さなければならない。特に写真撮影という行為は技術的な土台の上で各自違ったこだわりの美しさを探さなければならない。人をまったく同じように撮っていくことはできないように、写真館は単なる空間という形態として維持していくことのできる仕事ではない。こだわりがないから工場のような形式になるしかなくなるし、新しいマインドとシステムの導入そのものが自己満足に終わってしまう。
私達が写真館を運営している究極的な目的とは何だろう?
インテリアをしてホームページをつくり、予約を取って撮影をし、お金をもらうシステムは全ての写真館にあてはまる方法だ。同じ方法ではあるが、究極的な目的をどこに設定し、揺らぎない信念をもってその目的を追求するのかによって、その写真館の競争力とアイデンティティの差がでてくる。
組織から何かを感じ、内部の価値が少しずつ拡大され再生産される理由は何だろう?
理想的な写真館が存在しない理由は何だろう?
どうして写真館は小さな商店のような構造から脱皮できないのだろう?
どうして現在の写真館はスタッフの残業によって利益が発生するのだろう?
このような疑問は写真館の概念と方向性をより確固たるものにしていく理由になった。状況がどんなにかわっても、またライフスタジオの看板をおろすその日まで、「美しさを表現し、思い出を記録する楽しみの空間」という写真館の概念と、「成長する人」を作り出すことがライフスタジオの存在目的だというこの方向性こそ、はずしてはならないという概念に基づいてスタジオが作られた。
ライフスタジオというブランドをオープンしてから、写真、内部外部顧客、美しさを表現し思い出を記録する写真館としてのシステムだと考える3つのポイントに焦点を絞った。この3つが円滑に回って完成した形態こそ、「日本の写真文化を変える」という戦略的な目標に到達する。2、3年が過ぎ、経済的に自立した段階に到達した段階でこだわりのある組織を作ることのはじめに、「教育プログラム」を行うようになった。少しずつ時間が経ち、教育と学習、そして討論をもっと効果的に行いたいと希望する人が出てきたことにより「教育チーム」と「集中討論」が始まった。そして「成長する人」の具体性をもつ「ライフ人」を規定することになった。
このような過程の中で、2つの特徴を見つけた。
まずは各自の成長を邪魔する壁が思ったよりも高いということ。
そして持続的な学習と行動により私達の目標を達成することができると信じていること。
ライフスタジオのスタッフ達と討論をしてみると、生まれてから一度も人間を構成する要素について学んだことが無いという事実を知り、驚いた。誰でも壁をもっているし、その壁を越えるために色々なことを試してみるが、その壁の実態が何であり、その壁をどうやって作ってどうやって超えていくのかと言う方法、そして積極的な行動に移したことがないという無知、無気力な状態が確認された。これらは私達の社会が作った枠の中で、そこに合う人間になっていくための誠実と自責、そして適当な距離をおくという技術を使って生きてきたという自己観察のようなものだった。
そして関係、読書、討論の過程で変化の根拠を自らが発見するようになった。自分も知らない間にどこか間違っているという信号が継続して鳴り響き、でもその存在を確認することができずにいたその何かが、徐々に姿を現してその実態を知りたいと思う欲求と行動が展開され「わからない」から「しりたい」に変わる姿を、肯定的に発見してきた。ゆっくり、そしてとても少しずつ見えてきたその姿が一定の勢力を形成しながら「成長する人のための具体的な事業」を要求した。
このようにしてできた事業が「ライフスクール」だ。写真を取り巻く様々な壁を認知して人生を新しく再設定していくためには、集中してその問題と向き合い、その解決のための自分だけの改善方法を習慣としてつなげていく作業が必要だ。その為には一定期間集中して学習と教育、討論が必要になりその過程で知ることになる方法を週間としてつなげていかなければならない。そのために2011年の重要事項として「ライフスクール」と「学習休暇」が論議され、7ヶ月が過ぎた。
70%程度を消化したライフスクールはいくつかの肯定的な信号を送ってきた。
ライフスクールの参加者達は自分を始めとしたこの世の中を構成する事柄に対し、具体的で積極的に知ろうとする努力を、初めてした。始まりなだけに最初にやってみて何かを感じたということが、重要だ。正確に知ることはできないが、今までとは違う方法で自分の内部の問題を揺さぶられているという感覚を受けること事態に意味がある。そして目的意識をもって読書と討論を継続的にしながら、人生の主題につながっているんだという感覚を持てたことも重要だ。本が変わり主題が違っても、結局私達が言っていることは一つの方向に集まっているという感覚は自分の認識の範囲を水面上に上げるという自信につながる。また、人生に対する同じ主題を口にすることのできる同僚ができるということも大きな収穫だ。人との関係設定から理想が膨らみ、その思考の拡大過程を共にできる人がいるということは、人間関係において大きな変化だといえる。所沢の朴リーダーの2011年中間評価にこんな文章があった。
[…..ライフスクールに参加して、違う目標ができた。まず、西洋哲学をより理解し、人生をみつめた後に東洋哲学も勉強してみたい欲がでてきた。一言で学ぶ方法の方向を学んだ気がしている….]
ライフスクールで話すことは、新しいことを知ったと言うよりは自分が持っているものを確認し、つなげているという方が正しいだろう。そのような自分の内部の響きに価値を付与しなければならない。ライフスクールの肯定的な側面は持続的に人間と社会を観察する機会を提供する時間であることに間違いない。そして少なくとも私達が目標としている方向にあっているということは確認できた。
しかし、肯定的な信号と共に限界も確認できた。ライフスクールで言われている主題や思考の枠が現場では作用しなくなる。学習と実践の分離は私達の限界線を示している。また人文学教室が教養程度だと考えて決定したものなのに、そこで満足してしまう傾向がある。確信と情熱を必要とするが、まだそこまで到達する条件が整っていない。
7ヶ月のライフスクールのこのような評価の中でも幾つかの単語が頭の中を回る。
[慌ただしさの中の怠け]、そして [自己満足の限界]から抜け出すことができないのではないかという不安こそがそうだ。
私達の最初の目標は沼の中から人々を引き上げてあげることだ。社会が望む方向に、自分も知らない間にはまってしまっているその沼から抜け出すことさえできれば、自ら成長する人間にれなるのだと信じている。
しかし、今と同じような方法で進めていけばそれが可能だろうか?
そうでなければ若干の痛みを和らげてくれる鎮痛剤程度なのか?
または何かをしているという安堵と自己満足、それ以上にはならないのではないだろうか?
沼から抜け出すということは何を意味するのか?通常写真館で働き、スタッフからオーナーになれば何か完成した状態になると認識する。オーナーになるには受動的なものが能動的に、限界の設定から限界に挑戦するという幻想をもっている。もちろんオーナーになるとそのような状況になるいい条件をもつことは事実だ。だからリーダー会議で全スタッフのオープン化に対する話が頻繁にでることも、そのような理由からなのだ。経済的な自立は多くの自由と限界の克服と言う条件にもつながり、自ら決定して集中すべき負担と同時に挑戦と自信を与えるには十分だ。ライフスタジオをオープンしたオーナー達を見ると、権利と義務の変化によって多くの成長をしている。しかし、多くは外面的な部分であり、内部にある「権威意識」や「条件を作り出す能力」「自分のアイデンティティに対する分析と拡大」はそのままになっている。これは、形式は内容に影響を与えることが出来るが内容が形式を決定するという命題を説明するにはいい例になる。
人間らしくなるということ、自分の人生を開拓するということ、世の中を見つめる自分の目を養うということ、共に生きていく共同体を認識して行動するということは、オーナーになるからといって分かるようになるわけではない。
私達が人生を営む目的は経済的な自立でもなく、自由に選択する権利を確保するということでも、もちろんない。むしろ、オーナーになって生じるうぬぼれと虚偽意識を警戒しなければならない。沼から抜け出すということは学習と実践を同時に要求する。学習が前提にない実践は沼から出ようともがきながら結局そのままその場に立ち止まってしまう可能性が多く、実践のない学習は頭だけが大きくなっていく自己満足だ。
ライフスタジオのオーナー達は実践だけがあり、学習がないために「権威意識」と「条件をつくりだす能力」において限界を見せている。ライフ人として選定された奈美リーダーは、私達が行くべき方向を説明する上でいい例になる。自ら変化しようとする意思、そして共につくりあげたいというマインドが経験と理論を備えて自ら、自分の人生を開拓している。現在は活動を中断しているが、それも成長したいという積極的な自己表現だと理解している。
完成した人ではなく、完成を目指していく人、そして最小限の武器をもって条件を作り上げることが沼から抜け出す人の共通した姿ではないだろうか?
ライフスタジオはいくつかの大きな枠で動いてきた。生存のための時期があり、その後教育チームの活動を始めとした教育文化の定着は重要な課題になった。学習と教育に対する共感がなされる中で次の主題は権力構造に対するものだった。支店が増えることにより、本社と加盟店、オーナーとスタッフたちの権利と義務の調整が必要になり、リーダー会議が誕生した。リーダー会議はライフスタジオの形態が完成する重要な事業でありながら強い組織として成り立っていくための危険な始動であった。2年が経過し、私達の成果と限界を反映する程度の定着と実践を見せている。よかった。生存から教育文化の定着、そしてリーダー会議中心の権力構造再編でライフスタジオは発展している。
それでは今私達に必要なことは何だろう?
ライフスタジオの新しい成長動力のためのシーズン4は何だろう?
[慌ただしさの中の怠け]、そして [自己満足の限界] を克服できる方法はなんだろう?
もう一度ライフ人の定義づけが必要だ。
[ 変化・発展の原理を理解し、自由意志に基づいた人生を志向し
そのための関係設定をしながら共に実践する人]
[慌ただしさの中の怠け] 、[自己満足の限界]という問題を考えてみると、結局ライフ人に帰結する。私達が行う全ての事柄はライフ人を作り出すためのスタートだ。その目的の到達のために、ライフスクールで共に勉強をするのであり学習休暇に行くのであり、リーダー会議をするのだ。これからライフ人のための集中と選択という刀を引き出すときがきたようだ。全てのスタッフを対象にする事業は今と同じように進めていく。スタッフが70名を超え、各自の要求と理解も少しずつ分かれてきている。集中と選択を通して情熱と意志をもっている人たちに機会を提供する何かが必要だ。すなわち、何かをしているという安堵から抜け出し、具体的にライフ人を作り出す事業が必要だ。その代案として学習するスクールを構成して行動していくことを提案する。
★. サークル活動の概要
サークル活動のポイントは予習、実行、復習という成長システムにある。
5ヶ月間ライフスクールの内容を事前に学習する方法には、自分が直接討論を進行するというやり方を予定している。今までは教育する立場ではないという受動的な立場であったが、自分が直接意見を聞き、結果をださなければならないという能動的な姿が要求される。そして直接ライフスクールを運営しながら自分の限界と可能性を確認できるようにする。遠くから見守る観察者から現場で体当たりしながらポイントに近づいていく当事者になることができる。その過程で知っていく成果を理論化するためには、ライフスクールが終わってもう一度評価し深めていく復習の時間をもつようにする。このように予習、実行、復習の過程は成長の原理を知っていくための時間になり、人生の主人公になる最も早い道のりだと考える。
現在リーダー会議では2012年学習休暇とライフスクールの調和を論議している。おおよそ学習休暇の4週程度を毎週ライフスクールにして、別途4週を学習休暇にするという案が決定されている状態だ。始めにライフスクールの拡大が論議されたとき、今年と同じように自由にして支店全てが参加するという場合には4日を勤務し1日をライフスクールにして、低くなる売上は週6日オープンなどの方法をとって解決しようということだった。しかし、リーダー達の意見はライフスクール拡大に多くの賛成をし、拡大をするのであれば全ての支店が共にしなければならないという意見だった。全てのライフスタジオのスタッフたちを対象にライフスクールを拡大した場合、低い水準で標準化されるという短所をもつ。基準を下げて全てのスタッフの理解と要求に合わせていくと、相対的に水準が高かったり情熱をもっている人たちの意欲の低下に繋がる。現在各支店と全体会議での討論とライフクールで行われている討論の水準は少し違う。そして一度ライフスクールで討論をした後に支店や全体会議で討論をすると温度差が生じる。
背景でも説明したように、私達に必要なことはライフ人を作るために選択と集中を必要としている。このように、共にライフスタジオの水準を全体的に上げようとすることも重要だ。この2つの調和のとれた方法について悩みながら出てきた方向性がサークルの構成と活動だ。
サークル活動は幾つかの原則をもっている。
一つ目は、実践中心活動
現在ライフスタジオの最大の流れは、私たちのアイデンティティを現場においてどうやって適応させるかということだ。実践の中で私たちの存在目的が確認され、より拡大されなければならないのに、なぜか討論過程だけにおいてすべてが終了し、現場では実践されていない。考えの水準が高まるにつれ、自然に活動がついていくという言葉はそれ自体が矛盾している。実践の中で適応されて評価される過程の中で、考えの水準があがっていくのが当然であり、知識を頭の中に入れていったからといって私たちの思考体系の水準があがるというものではない。知って実践し、評価してもう一度計画する過程で少しずつその沼から出てくる私たちを発見するだろう。今までは読書と討論という間接的な経験を通して自分と社会を構成する要素について知っていくという方法だったが、今からは小さくても現場において適応し、実践しながらその原理を知っていくことが必要だ。直接支店において討論会を開催するとか、現場を文章で描写してポイントを探していくだとか、お金の流れを理解して直接その流れを変えていく政策を導入するといった具体的な行動を要求する実践が必要だ。
二つ目に、文章を書くことに集中
今までは本を読んで整理できない考えを討論過程で解いていく方法だった。自分の主張を強くする人や進行者の方法によって討論の質が決定され、引きずられていく学習だった。自ら教育と学習の主体になっていくためには、自分の考えと方法を決定し、その過程のポイントとミスを各自探し出す方法に変えていかなければならない。そのためには各自の考えを整理し、結論を導き出す討論過程でその問題を自ら探し出し、解決する構造の討論が必要だ。そのためには、主題に対する各自の意見や主張を明確に含めた文章が必要だ。その中に書かれた内容に対する集中討論が私たちの水準を一段階上げてくれるだろう。私たちは漠然と生きてきた。漠然とは、私たちがどこに足をついて歩いているかを知らないということだ。方向を失い、保有するだけの人生を生きていくことになる原因は、漠然とした状況から始まる。自分の考えを整理するということは出発地点を決めるということであり、出発地点とは行くべき方向を決定したということなのだ。その出発点を決定するという意味で文章を書くこと以外には方法がない。
3つ目、具体的な目標を基準にする
やったらいいと思って、または身近な同僚がやっているから、雰囲気的にやらないのもなんだし・・・・すべて、謝絶する。最初の集まりは、各自の具体的な目標を自ら決定して参加する。意見交換がなされ、次の集まりで修正された目標を発表する。そして毎回学習と討論時間に自分が設定した目標に対する確認を、共にする。たとえば2012年私の目標は『ライフスタジオのリーダーシップ』という題名で200ページ以上の報告書を書くことだ。スタッフたちが変化する過程、現場での失敗と成功事例、そしてライフスタジオの方向にあったリーダーシップを研究するなどの内容になっていくだろう。ライフサークルのリーダーシップ部分を受け持ちながら、サークル活動の目的を達成することを『ライフスタジオのリーダーシップ』という報告書として設定した。具体的でありながら自分の能力と意思を基準として達成可能な目標を設定し、サークルのスタッフすべてが関心をもって助け合う形態こそ理想的だ。
来年の末までのライフサークルの活動を予想してみると
哲学、文学、リーダーシップのサークルを構成し、今年のライフスクールが終わる10月からサークル活動を開始する。毎月2回以上の集まりをもち、来年のライフスクールを事前に学習し、討論する。名古屋と日進を除外し、ライフスクールの参加者は大体70名になるから、少なくとも7つ以上の討論チームが構成される。この程度の討論を運営するためには、各サークルスタッフが少なくとも7名以上でなければならない。しかし、サークル活動は量よりも質が優先される。ライフ人をつくることがサークルの目標であり選択と集中がその原動力になるため、最後にたった一人になろうと継続してライフ人をつくるシステムを作り出す必要がある。
2012年 2月まで準備をして来年3月から7月まで予定されているライフスクールの討論をサークル構成スタッフが進行する。おそらくライフスクールを2つのグループに分けるようになる。ひとつの支店に70名程度の人数が集まるのも大変なので、2つの支店で同じ日にライフスクールが進められるだろう。そうなると、ライフサークルのスタッフたちも2つのチームに構成されて討論を行わなければならない。
最初の週は各部分別会議を進める。リーダー会議、店長会議、カメラマン会議、コーディネーター会議の4つのパートに分かれて各部分の運営責任者によって進行する。ライフスタジオすべてのスタッフが参加するので2つの場所で行われる可能性が高い。各部分の運営責任者たちの準備が重要だが、これらはリーダー会議で論議する。ライフスクールが行われない1、2月と8-12月は全体会議という名前でこのように各部分別に技術に対する会議をするようになる。
2週目の火曜日は文学、3週目の火曜日は哲学、4番目の火曜日はリーダーシップというように進めていき、1ヶ月に火曜日が5回の場合は最後の火曜日は通常通り営業をする。
ライフスクールが行われる時期にもサークルは1回以上の集まりをもち、全討論の評価と共に次の討論の準備をする。8-12月までもサークル活動を持続し、2012年ライフサークル1期を終了する。
★. 各サークル計画
-. 文学 [朴泰赫]
2011年のライフスクールの成功的な定着は今後のライフスタジオにおいてライフ人を育てていくという核心戦略になるだろう。自らの自由意志によって成長する姿はただ自分自身のためだけではなく、彼らが属する組織を成長させる最も重要な役割をもっていくということもまた、明確な事実である。
しかし、時間的な限界からより水準の高い教育や論議がなされるためには限界があることも事実である。もちろんライフスタジオのリーダーたちの強い意志で2012年には営業時間を調節して、今よりも体系的なシステムを構築しようとしてはいるが、スタッフたちの要求を満足させるにはまだまだ足りないのだ。
ライフサークルはこのようなライフスタジオで支援する教育の枠以外で、もう少し集中してスタッフ各自の力量を培養し、このような論議の構造が習慣化されるようにする役割を担当することになる。
このような理由からライフサークルの文学班を開設し共に悩み、討論していくスタッフを募集する。ライフサークルの文学班は文学を理解し、各自の内面を見つめるということと同時にその中にある各自の世界観と意図を分析してみることによって、社会と現象を見つめる視覚を育てるという目的を持っている。文学は接近しやすいだけでなく、自分自身を見つめる窓のような役割をしてくれるので、誰でも共感しやすいということから討論も活発に進むという長所をもっている。
‘文学は各自の人生と精神に根を下ろして育つ木のようでもある’という言葉がある。文学作品を読むことだけでなく、文章を書いてみることで自分がもっている内面を発見させてくれるだろう。文学班の進行方式は10月から1ヶ月に2回程度の定期的な集まりをもって、選定された本から各自主題を決め、討論する形態で進行していく予定だ。また撮影された写真をもって直接ストーリーを構成してみる作業を通して、文章と共に写真に対する理解度を高める作業を進めながら単純に理論にだけ深くはまるのではなく、ライフスタジオの業務にも適応することのできる時間を持つようにしようと思う。そして哲学とリーダーシップとの連結を通して多角的な視覚を形成する努力と共に進行していく。
少し前に読んだ本に‘人文学とは人生の価値を扱うものだ。文学や哲学、または歴史学が今日の食事を解決してくれることはなくても、続いていく人生の中でどんな態度で食を得ていくかについて、知らしめることはできる。’という言葉がでてきた。漠然と食べて生きていくということに忙しく過ごすのではなく、どのように稼ぎ、食べて生きていくべきなのかを悩む、忙しい日常になることを願ってみる。
-. 哲学 [鄭光喆]
[サルトルのベルナールの言葉の中に、私たちは巨人の肩に乗っている小さな小人のようだ。だから私たちは過去の人よりも少し遠くをみることができる。しかしそれは視力がいいからではなく、身長が高いからでもなく、巨人の方を借りているからなのだ。]
今年度のライフスクールを通して私たちは自らの可能性を確認することができた。来年はその可能性を実現する1年にならなければならない。私たちの目標は[ライフスタジオの哲学]として作られていくだろう。それをつくるために、私たちは巨人の方を借りて遠くを見る視野を持たなければならない。
ライフ哲学サークル-アクロポリス[acropolis]
‘高い都市’という意味の古代ギリシャの都市にあった山城。古代ギリシャではアクロポリスがない都市がなかった。アテネのように市の中央にある場合もあったが、多くは城壁の近くに位置し防御地域の役割をして、後には市民の要求場所になっていった。
ある所ではアクロポリスが政治の中心、すなわち完成である場合もあったし、ただ神域として存在している場合もあった。人類の歴史上最も哲学が活発に論議された古代ギリシャローマを象徴する言葉としてライフスタジオの中でも熾烈な知的論争をしたいという意味で、サークルの名前をアクロポリスに決めた。
討論の主題の本に対してウィトゲンシュタイン(Wittgenstein) [論理哲学論考]をもとに5ヶ月間にわたる集中討論をする。日本語では野矢茂樹氏が解説した本が入門書としていいと考える。この本を選定した理由は二つある。
まず最初に、本当の学問探求と不安要素からの脱皮
今年度のライフスクールで哲学と関連した部分に対して勉強をして討論をしながら感じた不安感があった。多くの哲学者たちが言うように、哲学を勉強するときに最も気をつけるべきことは入門書をあたかも哲学者たちが言ったすべてを理解したかのように、これで把握したと錯覚して理解することだ。もちろんそうしないために集中討論をしたけれども、まだ不足な部分が多い。したがって、来年度にはひとつの著書をもって集中してその本を分析する。
2つ目に、可能性に対する挑戦
来年私たちが共に勉強する本はどんなものがいいかを悩み、そのおかげで本をたくさん読むことになった。しかし、多くは入門書で終わった。今年と同じような水準で終わるのか、それとも本当に哲学という深く難しい壁にぶつかっていくのかを悩んだ。結論は、挑戦をするという方向にしようと判断をした。20世紀の哲学の方向性を決定したと評価される[論理哲学論考]は私たちが挑戦するだけの価値がある本であり、登るのが難しい山と同じような存在だ。この本の日本語解釈をした著者の言葉を借りれば、東京大学大学院で3年にわたりこの本1冊を大学院生たちに理解させながら講義をしたという。正直に言えば難易度の高い本には変わりない。私一人では力不足なので、哲学サークルメンバーを中心として資料を集め、やさしく紐解いていく過程が必要だ。
富士山を共に登ったように、自分のペースを維持しながら頂上を目指して目標を見失わず、休まずに進めば征服することができるのではないかと、考える。
-. リーダーシップ [李濟旭]
通常(韓国では)写真館に入社したら似たような課程を通過して役割を与えられる。入社をして雰囲気を把握をしたらアシスタントになって、なれるまで6ヶ月から1年程度の時間が流れる。そしてカメラマンになるべきだという要求を外からも、そして自らも感じるようになる。カメラマンになるべきかどうか悩んだ末、そんなに難しいことではないということを知り多くはカメラマンになる。そして1年程度撮影をしたら撮影責任者や店長に対する要求が内部・外部から入ってくる。そして多くは入社して2-3年程度たてば、何かしらの位置につくようになる。そして自分の限界を感じるようになる。それでは、何をどうすればいいのか?
特別な要求がなければ、特別な問題が生じず、特別な人生ではなくなる。特別な要求をするようになると、特別な問題が生じて特別な人生をおくる機会に見舞われる。特別な要求があったり特別な要求がなくても人生は退屈で複雑だ。どんな形態の場所でも責任感と同時に何かをなそうという欲求から始まる。時間がすぎて欲望が消え、責任感が残って人生に面白みがなくなる。または、欲望が育って責任を自ら高めて苦しくなる。そのような状況でいつもリーダーシップがないからそんな結果になったと自分を責める。リーダーシップを学んだこともなければ、もちろん発揮したこともない状態で人々に動機付けをしていく政策を生産し行動しようとするのだから、人生が面白くなくなり肩が重くなり始めることは当然なのだ。子供を産めば母性が出てくるように、リーダーになったらリーダーシップが自然に生じるようになると錯覚している。アメリカ産の牛肉をたくさん食べると英語が話せるようになるだろうというような考えと同じなのだ。現場で短ければ1ヶ月、長ければ6ヶ月以内に、底をつくようになっている。そして考える。私はリーダーに向いてない!
リーダーシップといえば戦争に行く人が[私について来い!!!]と言ったとき、何人がついてくるかというほどのものだと考える。ここで言う[私について来い!!!]は、多くの要素を抱えている。リーダーについていったら死ぬかもしれないし、足を切断されてしまうかもしれないし、瞬間家においてきた子犬のことを思い出したりする。そのすべてを捨ててついていけるようになるまでは、人間の心を動かすいろいろな要素が作動しなければならない。
ライフスクールのリーダーシップはそのように人間の心を動かす魔法まではいけない。できないだけでなく、すぐに必要でもない。それよりも、目標を達成する原理に集中しようと思う。私たちは漠然と写真をうまく撮りたいだとか、漠然とよりよい人生を楽しく生きたいだとか、漠然と私の周囲の条件を変えたいと考えながら生活している。特に漠然と給料がもう少しあがればという心をもって、いろいろなことをしているが、何か正しくないことや相対的に少ししかあがらなかったとき、興奮する。漠然と少しあげてくれることを望み、漠然といくつかを改善しながらも、いつ落ちてしまうかわからない柿の木の下で口をあけてまっている。柿は落ちては来ず、興奮して他の柿の木に移り、同じ事をする。
リーダーシップは自分や集団を今の場所から違う場所に移動するための一連の行為だと考える。そのためにコミュニケーション能力もなければならないし、ビジョンの提示もしなければならないし、未来を予測して人間に対する愛情をもっていなければならないし、計画も具体的でなければならない等々々・・・・
いいリーダーシップを発揮するために持たなければならないものがあまりにも多く、自ら限界に陥って自分が成長できる機会を逃す場合が多い。ライフサークルのリーダーシップは最も基本である情報取得と分析を中心に運営する計画だ。知ることができないから考えることもできないし、行動は遅くなる。私たちを取り巻く現象は本質を知るための作業を優先する。
哲学を毎月1度、ライフスタジオをはじめとする組織のスタッフたちに対する収集と分析、代案を中心として討論をし、それをどのように現場に適応するかという目標で毎月2回進行する。すなわち、毎月3回以上の集まりがあり、多くの宿題が待っている。自信があれば、来い。
★. 終わりに
この世には道がないという。人が1人、2人と通りすぎ、道を作ってもっといい方法ができてその道はなくなり、新しい道がつくられる。教育プログラムから教育チーム、集中討論、ライフスクールに続く道から、新しい道を作ろうとしている。ライフサークルは単純に親睦を深めるための楽しいサークルではない。ライフ人を作ることを目標にしているため、人為的に道をつくらなければならない。崖にぶつかればロープを準備しなければならないし、長い川に出くわせば橋を架けなければならない。方向性をしっかりもってその方向に向かって最も最善の道を行けるのがライフサークルだと考える。すべてのためのものだということはできない。自ら作り上げた壁を壊し、新しい世界に挑戦しようとするまだまだ不足な人間が集まって、一緒に道を作ろうとしているのだ。希望制だが、そこには恐ろしいほどの規律をもっているし、そうでなければならない。その規律が壁を壊す有能な道具になるだろう。
伝説を作りたい気持ちは変わらない。伝説を作る楽しみは瞬間だが、伝説の原因は自らの体の中に残り、私たちを自由にしてくれるのだと信じる。
では、共に、行こう・・・・