レポートReport
2018.02 [シンデレラプロジェクト 2]
2018/4/23
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シンデレラプロジェクト 2.
写真館の限界と写真の可能性
写真館の限界と写真の可能性
2018. 03. 15. Mr. lee
写真館の形態として、写真を始めて23年が過ぎようとしている。直接運営した写真館の名前は6つ。30店舗を作り、6回の写真館コンサルティングを行い、100店舗以上の写真館の興亡盛衰を観察した。数百人以上の撮影者を採用し、教育を行い、同時に数百人以上の撮影者が去っていく姿を見守ってきた。
23年間、写真館の仕事をしながら多くの失敗と、とても小さな成功があった。
写真館の持つ限界にさらされたとき、[何故写真館をしているのか?]という質問を自らする。限界を克服するために写真館の本質に歩み寄ろうとする方法は、時に発想の転換を可能とする。
いつも足りない予約と、それを埋めようとする恥ずかしく幼稚な計画。
顧客が私達を選択してくれたときだけ対応できる受動的な事業形態。
持続的な関係形成は後回しになり、商業的な論理だけで満たされる現実。
写真館の構造に絶対的な影響を受ける写真館と、その枠の中で何かを発見しようとわめく私達。
同じ空間で、同じ写真が撮られざるをえない条件。
普通の人が受け入れるには負担な価格、しかし、固定費を維持するために仕方のない選択。
写真は、人と人が真に出会った時に作られる。予約、損益分岐点、各種割引として代表されるマーケティング、無理に設定された撮影スケジュールは、写真の真の役割を縮こめ、平凡な事業行為へと転落させる。多くの写真館の社長もその範囲から離れない。いつだったか、こんな話をしたことがある。[写真館を国家機関として指定し、福祉の次元で国民に撮影権を配り、日常的に美しさを表現し楽しい思い出を記録したらよいじゃないか?憲法に明示された国民の幸福追求権の保障として、これに勝るものはあるだろうか?撮影者は金銭的な関係ではなく、真に人と出会い撮影を行う時が一番かっこいい]
写真館が持つ限界は大きく見ると2つある。
1つ目が、[写真館はいつでも飢えている]
一定した水準を維持しながら写真館で作られる売上は最大値が決まっている。計算は簡単だ。撮影できる日と毎日の撮影件数に顧客単価をかければ最大売上額がでる。ところが、最大売上をあげる写真館はほとんどない。1つの地域で撮影できる受容は決められており、その受容よりもより多くの写真館が営業を行っている。また、写真館とオフシーズンが明確である。オフシーズンの物静けさをシーズンの時に挽回しようとする試みがサービスの質と顧客満足度を落とす。写真館はいつでも飢えているため、技術開発を行ったり専門化への道へ進むというよりは正反対の道を選択する。
写真と関連した仕事であればやる。証明写真、出張撮影、学校写真、記念写真、ベイビー、753、成人式、ウエディングを1つの写真館で全て対応する。そうすると、空間と設備を拡張し人を置かなければならない。固定費はあがり、それに合わせて売上も伸びなければならない。売上はいつでも足らず、写真に対する受容は様々あるため、広く浅い経営をするようになる。写真館はいつでも飢えており、これらを挽回するための多くの行為が持続可能性を低く下げ、顧客とスタッフの満足度は同時に低くなる。答えは差別化を通した競争力強化であるが、これはそんなに簡単なことではない。ここ10年間、写真館業界にヒット商品が無かったということが、これを証明する。
2つ目に、同じ空間と条件では同じ写真しか撮れない。
同じ空間と条件での撮影は、退屈さから逃れられない。退屈さから勝ち抜くために、条件を変えたりするが、これも数多くの試行錯誤を勝ち抜けるための資金と想像力を必要とする。一度写真館のインテリアを行うと、写真館の運営を共にする。被写体は変わるが、同じ条件と環境で撮影を行うと慣習が勝つ。だんだんと、撮影者だけが残り競争力を失うようになる。
写真館の持つ限界を克服するための方法として、様々なことが導入されたが、別の特別な効果を発揮することはできなかった。そのため、写真館は写真館という枠から抜けだし、写真という本質からもう一度始めなければならない。
私達の周りは写真に溢れている。今日も、全世界で数億枚の写真が生まれており、数億枚の写真を見てきた。写真は直接的である。見たら知り、知ったら行動する。見る媒体として写真は決定的である。SNSは、確認・連結・拡大が同時に成される空間である。確認し、連結し、拡大する媒介体が文章から写真と映像へ確実に移動した。自分を確認し、連結し、より広い世界へと拡大しようとする欲望は本質的である。以前は主に、文章で自分を表現した。文章意外には特別な事がなかった。これからは、1人カメラ1台の時代である。自分が見たもの、感じたこと、経験したことを写真で確認し、世の中と出会う事が日常的に成されている。ところが、自分自身、自分を表現する方法はない。手を長く伸ばし自分のかっこいい角度を探したり、最近は自撮り棒が流行っている。自分を撮影したい欲望は高いのに、方法が特に無い。写真館に依頼し芸能人のように雑誌のような撮影をする人はどれくらいいるだろうか?
自分をより美しく、個性的に表現したいという欲望が100だとしたら、現実でその欲望を実現はできるのは、0.000001%程度ではないだろうか?写真館は、この部分に注目しなければならない。それが写真の可能性である。写真館で行う撮影は、極めて制限されている。100人いたら100人みんなが自分の存在確認を越えた、より美しく個性的に表現されたいという欲望があるが、実際、写真館でそのように行われる撮影は1人にも満たない。これも、記念撮影の代行として大部分留まっている。
よくよく考えて見よう。スーパーへ行き何かを買ったとしよう。スーパーの一角に写真サービスがある。ちょうど今日、新しく買った服を着てきたため気分が少しいい。5,000円以上買い物をすると、無料で写真撮影をしてくれる。自然に流れで写真撮影を要請し撮影をする。見せられた写真が雑誌のような水準の写真だったらどうだろう?その人は、そのスーパーだけに行くようになり、そのスーパーを利用する顧客は自然と増えていき、顧客単価も上がっていくだろう。熾烈な競争に露出されている流通業は、顧客誘致のために、熾烈な低価格競争体制にある。写真のサービスにより競争の優位を占めるという事が確認できれば、そのスーパーの本社は積極的に写真撮影サービスの拡大をしない理由が無い。顧客を呼ぶために、割引クーポンや景品イベントを行う事と、写真撮影サービスは質的に違う価値を発生させる。りんごをもう一袋買ったら、おまけで一袋くれるという形態は、量が増える事を意味する。ところが撮影は、人生の質と関連している。
もう1つだけ例えてみる。美容室ほど競争が熾烈なところはない。新しい髪型に変え、気分も最高。ところが、その日以降は、美容室に行った姿を維持するのが難しい。もし、写真がその瞬間介入し、自分の一番美しい瞬間を撮影技術で一段階高い水準で表現し、記録されたならどんなことが起きるだろうか?[美しさの完成]という新しい価値が生まれる。そんな撮影サービスがある美容室と無い美容室の内、どっちに行きたいか?
写真の可能性に対する[感]がするか?
写真館は自ら築いた障壁がある。商品、価格、撮影件数、撮影の種類を決め、そこに該当する人に、早く来て撮影してくださいと主張している。通り過ぎる人の中で、何人がその写真館が設定した条件に合うだろうか?記念写真に対する受容を増やすために各種イベントを行ったり、割引イベントや撮影の種類を多角化させる。結果は虚しい位の水準だ。ところが、写真館の障壁を下げるという事は現実的に不可能である。そのため、写真館が世の中に出て行かなければならない。写真館の限界を克服し、写真の可能性に挑戦しなければならない。
ライフスタジオでは写真を見ながら多くの人々が涙を流す。毎日見ている自分の子供だが涙が流れる。写真の持つ決定的な魅力であり可能性である。日常的に自分の美しさを表現し記録する事を写真館の外に拡大させることができるならば、写真の可能性は無限大に開かれている。写真館の塀の外に写真の可能性を拡散させることが、未来の写真館が行くべき道だ。決められた空間と条件の限界を克服する道は、写真の可能性を拡大させることである。
このように写真館の持つ限界を克服し、写真の可能性を拡大できる絶妙な方法が[シンデレラプロジェクト]である。[シンデレラプロジェクト]を写真館の立場で見ると、[貯水池理論]が成立する。既存の方式を説明してみよう。写真館をオープンしようとする人がいたとする。[自分が写真館で働いて5年経ち、もうそろそろ自分の名前で作った写真館を持ちたい。今通帳には300万円くらい貯金があるし、銀行から借入して800万円で写真館をオープンしよう。場所は、ここに、インテリアはこうやって、ホームページの雰囲気はこうやって作ろう。。。おっ!オープンできた。オープンイベントもしてチラシも地域の人に配り、フェイスブックにいろいろ宣伝して、オンライン検索の広告も少し出してお客様が来るのを待つ。]
顧客が来てくれたら良く、来なかったらその対策がない。[貯水池理論]は既存の方式、つまり、オープンして顧客を待つ形態の正反対である。貯水池に顧客を集めてオープンする方式だ。顧客が来てくれるのは当然の事になる。貯水池に顧客を集める事が、[シンデレラプロジェクト]である。写真館の限界は写真の持つ可能性の1%だけ占める。写真館で成される撮影は、記念写真として制限的である。日常的に撮影するためには手に余る4~5万円という価格の障壁がある。そのため、写真の可能性から見ると1%だけ占めており、その1%に該当する人を探すために各種割引イベントや、有料広告を通して顧客を待つしかない。記念写真は写真の受容が決められており、同じパイを何人もが分けるという構造であるため、いつでも飢えている。[シンデレラプロジェクト]は、写真の可能性に訴えているため、入り口の障壁が低く、数十万人の人を対象にできる。良い写真を見るために訪れ、申請するために訪れ、運が良ければ撮影ができる。2019年までに200,000を突破する現実的な数字である。貯水池に集まっている200,000人の中で、撮影が必要な1%の人が写真館に予約する。それだけでも写真館は持続可能性を確保することができる。結局足らないものは総予約の30%である。貯水池に集まっている人々が30%を満たしてくれるなら、写真館として安定的な運営と共に、より[シンデレラプロジェクト]に全力を尽くすことが出来る。[シンデレラプロジェクト]に参加する人は、どんな代価も無くモデルになることができ、写真館は特別な広告の支出をせずに顧客を確保することができる。
写真館に蓄積された撮影技術と装備、人材を社会と共有し、その結果貯水池に集まった人々が必要に応じて写真館に予約をするという、善の循環構造は、写真館の限界を克服し、写真の可能性を拡大させる出来事である。このような事の具体的な名前が[シンデレラプロジェクト]である。心がドキドキしてこないか?価値の戦略的移動を通したブルーオーシャンを探す感覚が起きないか?私だけそう感じるのだろうか?
[シンデレラプロジェクト]を通して、伝説を作りたい人達と出会いたい。だから集まりを作った。