レポートReport

2011年ライフスクール運営計画書

2012/5/6

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A. 背景

教育プログラムが始まり約1年程度が過ぎたころ、ひとつのパターンが見えた。討論の主題に深く入っていけばいくほど、それ以上いけない何かが現れる。そのとき毒の表現はちがっても、内容は同じだった。整理してみると

 “自分自身に向き合ったことがない。だから成長のための自分だけのプログラムをもっていないし、そんなものがあるということさえも知らなかった。

そこから逃げようとしてもいつも同じ場所に戻ってしまう自分の壁の前に、

無気力な自分を発見する。

無気力な自分を感じることによって、私と世の中を解釈し、行動するためのプログラムが必要だ。

 

当初教育プログラムをスタートしたときもまだ眠っている自分だけの成長プログラムを見つけることが目的だった。可能性の沈黙を強要しているような世の中で、ライフスタジオが一定の条件を作ることができるならば、自分だけのプログラムを稼動するだろうし、自然にライフスタジオが願っている状況ができると考えていた。

しかし、討論を繰り返すたびに何かがずれているという感覚を取り除くことができなかった。

中心を持たずに周囲を徘徊しているような感じだろうか?

 

集中討論は各自がもっている問題をより確認することができる場所だった。「私」というもにに自分なりの哲学と解決方法をもちえず、いつも問題を前にすると自分ひとりの問題だと決め付けてしまう。おいしい食事をしても消化できず、そのおいしい食事がむしろ消化不良を起こして体を弱まらせていた。自分を常に見つめながらほかの人との関係形成の過程の中で、私と他人が同時に成長していく循環的な過程は、始まる前からとまっていた。

何か根本的に方法をみつけなければと、義務感から思った。

1ヶ月に1冊の本で低い水準の自己感想を発表する程度では解決することができなかった。自分自身に一度深く入っていく必要がある。その先に一度経験をすることによって自分自身に自由になることができるのだ。また、関心の領域が個人的なものにとどまっているのだ。

自分自身に向かっていく主題そのものを、外部に向けるべきである。

ライフスタジオのスタッフの中の少なくないスタッフは月に1度、多ければ3、4回は集まり、5、6回の討論をしている。自分の休日の多くを捧げても、もっと知りたいしもっと解決したい、もっとよくなるためにもがいている。彼らにもう少し効果的に世の中、そして自分自身に出会うことのできる空間を提供しなければならない。自分だけの成長プログラムをもたなければならない。したがって、形式と内容を同時に変えていくことが必要であり、その延長戦に人文学と写真学に集中するライフスクールがある。

 

B. 目標

信念のある人はいつでも魅力を持っている。信念というものは、今自分が立っている内外両面における基盤を認める状態から出発している。小さな子供がお菓子を食べたいと思う原始的な欲望とは違い、信念は自分を取り囲む様々な条件に対する原因と、内的な関係性に対する確信をもっている。そして、その確信に対する成長を予測している。すなわち、現在を変わらない普遍の真理として認識するのではなく、よりよい方向に進まなければならないというその方法そのものを持っている人である。信念というものは内部を認識しながら、外部に向かっていく情熱にも近いものだと理解している。

 

信念とは知ることから始まる。自分が知っていることに対する信仰と同時に

自分がその道を進んでいくことこそ、信念だ。

知ることがなければ私を取り囲むいろいろな状態に対する説明そのものが不可能であり

どんな風に行動すべきかがわからない。

 

知るということは私たちが大切に考える命題、愛、幸福、信仰、関係、変化、情熱などにたいする説明を可能にし、私とこの世界を見つめる自分だけの方法をもつという意味だ。結局問題は無知からくる側面が多い。知らないという状況の繰り返しは方向感覚を鈍らせ、与えられたことだけに忠実にさせる。それが正しいと考えているからだ。教育チームと集中討論に積極的に参加してきたスタッフはよくわかるだろう。知っているようでわからないような本の中の内容が、何度も討論の過程でその実態をあらわして現すということ。そしてその実態と出会うことが繰り返しながら、もっと深く入り消化不良の原因を知りたいと思う・・・・

 

ライフスクールの目標は知ることだ。

では、何るのだろうか

知るということを知らせること。わからないことと知ることを明確に区分するということ。

そして知ることの世界に方向を向けていくこと。

 

通常、冷たい理性と熱い情熱でこの社会を生きていかなければいけないという。理性と情熱はまた、適切なバランスを必要とする。そして理性と情熱の根源が知ることから始まると考える。知ることから世の中を見つめる目を持つようになり、冷静に自分を見つめてみる。そして正しいこととそうではないことを判断し、よりよい世界と条件を夢見る情熱をもつようになる。

 

自分だけの成長プログラムをもつことは、ライフスタジオの目標とつながっている。そのためには質の変化が必要だ。その出発地点にライフスクールがあり、知るという主題が2011年の目標になる必要がある。

2011年ライフスクールが目標にする水準がどこなのかを知ることは簡単ではない。認識と経験の水準、そして各自の熱意は相対的だ。しかし確実なことは、自分の変化を夢見て世の中を知りたいと思う好奇心の段階を超えた成長をしたいと願う欲求があるという事実だ。これからはがんばるという言葉は過去のものにしよう。ライフスクールの参加者は与えられた人生から選択する人生に移っていくために2011年の目標を、知るための学習として選択する必要がある。

 

C. 主題

ライフスクールは2つの主題をもっている。

 

まず、外部の知識を受け止める。

現在私たちの状況を説明すると、冷蔵庫を比喩することができる。成長したくてもすることができない人の最初の原因は材料がないということから始まる。冷蔵庫に材料がないため、料理をしたくてもすることができず、おいしく作りたくても作ることができない。冷蔵庫を開き、その中にある材料を選び、何を作るかを決定する。いくら料理が上手だとしても、みそからカレーを作ることはできない。そして必要であればスーパーにいってカレーを買うこともできる。まずは私たちに必要なこと、それは冷蔵庫に料理をするための材料を入れることなのだ。料理の材料を用意することは、外部から方法を探すということになる。しかし多くの人はまず自分自身を知らなければいけないといいながら、自分の中に深く入っていくことを望むが、それは深く入りたいと望んだからといって入っていけるものではない。無駄に深刻になりすぎて感情がかわっていく状況を自分の中に入っていくということだと錯覚している場合が多い。しかし、私たちの認識は結局外部からの刺激に対して反応する。受け止め、整理し、化学反応を起こす過程こそすなわち、成長の過程だ。

 

外部の知識は私たちが立っているこの場所の原因と結果を説明してくれる。遠くはなれたイラクの状況と国分寺でレンズを換えているミンギョンさんとの関係を形成する。私たちが認識できずにいるが、その関係は今もミンギョンさん個人に影響を与えている。外部の条件と刺激に積極的に対応する姿勢は、人生の主人としての自立の基準になる。これはすなわち、人間として生きるということではなく、市民として生きるということであり、個人的に生きるのではなく政治的に生きるということだ。また外部の知識を知ることにとどまらない。外部の知識を習得する過程で眠っている自分の細胞に刺激を与える。その刺激は自分自身に常に問いかける。その質問に答える過程こそ自分自身を知る過程であり、実践のための動機として作用する。外部の知識と刺激に対応することと、実践の繰り返しこそ私たちに知恵を与えてくれるだろう。

 

ライフスクールに参加する人は生まれて初めて聞くことになる外部の知識を

経験することになるだろう。そしてすぐ、その内容は私の中にある

潜在意識からどんな種類のものなのかを自覚するようになる。

外部の知識から私の中に目覚めさせることこそ、ライフスクールの最初の主題だ。

次に、自分を客観視する。

 

最近、‘幸福の決まり’という本の読書感想を書いた。幸せの決まりの中から引用してみると・・・

 

外部の環境が不幸でなければ情熱と関心を自分の内部ではなく、外の世界に使うことだけでも、誰もが幸福になることができる。

 

したがって私たちは、教育を通して、そして自分を世界に適応させるため

 

いろいろなことを試してみることによって感情的に自分に入っていくことを避け、

 

いつも自分にだけ集中することを避けるように愛の対象と関心事を探すための努力をしなければならない。

 

一緒に討論を進めた‘悩む力’で「‘自分の城’を作っていくものは必ず破滅する」といいながら、相互承認以外ほかに方法はないと著者は話している。

 

どうして人々はすべての問題を自分の内部にむけるのだろう?

 

先週の討論でこんな話をした。外部から入ってくるものがない状態で自分が意識しなくても自分の内部から自然に沸き起こる感情がある。不安、イライラ、責め、憂鬱、退屈、後悔などの感情は自分の意思とは関係なく湧き上がってくる。外部から特別な刺激がなくても自分の中で動いているものに注意を払うことは、見方によっては自然である。しかし、私たちが目的意識を持って外部の世界と出会おうとする意思や行動なしに自分の内部で響くものに答えていくと、知らない間に不確実性と悲観的な人生の態度になってしまう。だからといって自分自身を否定できないため、ふと湧き上がる感情を批判せずに受け止めるようになる。私たちがライフスクールでやろうとすることは、このような自分の内部から起こる現実を外部に向け、自分を客観視しようとする目的をもっている。青少年期に自分自身に対する質問を、友達にもたくさんするようになる。私はどんな人間だろう?私はいい人なのか?私は選ばれた人間なのか?などの質問を自分自らしながら、その解決策として友達や両親に質問をしていくが、時間が過ぎればそのような質問自体が小さな子供のように思われ、自分自身を客観視すること自体が難しくなり、自分の主観にはまってしまう。外部の刺激が小さく、自分の世界観が成立する前に自分だけの洞窟に入っていく形態そのものが、見方によっては一般的な現象だ。時間がたてば立つほどその洞窟はより硬くなる。しかしその洞窟は成長というよりは感情の再生産を優先する。したがって相互認証と他者に対する配慮は居場所がなくなりだんだん自分の立ち居地だけでぐるぐると回るようになる。

 

自分を客観視するということは個人の力では簡単ではない。自分の洞窟を自ら壊しながら同時に外部の人が一緒に洞窟を取り除く作業が必要だ。自分を客観視するということは、他者の同意を必要とする共同作業だ。

 

ライフスクールは自分を客観視する作業から始まり、終わりを見つける構造で進める。

自分のしたいことではなく、すべきことの選別と

これらを行動に移す作業の繰り返しは、参加者にある程度の苦痛をもたらすだろう。

そして共にすごす人たちがその苦痛を少しずつ分担していくだろう。

ライフスクールの主題を簡単に整理するとこうなる。

 

外部の知識を受け入れ、これを機会に自分を客観視する。

客観視した自分自身を外部の知識を活用し

共にする人たちが精巧に整えるようになる。このような流れを通し、自分の実態を認め

新しい人生の出発地点に立つことがライフスクールの究極的な目的だ。

 

D. 形式

*. ライフスクールは人文学教室と写真学教室で構成

*. 毎月2回、全体会議の次の日とその2週あとの火曜日

 (全体会議やリーダー会議がある週にする理由は、名古屋や水戸のスタッフが東京に来たときに一緒にまとめたほうが効果的だと判断するため。週2回連続で参加することが多少の無理があっても、一旦この方法で進めてみて後日検討)

*. 毎月1回は人文学教室、2回目は写真学と人文学を同時に進行

*. 毎月2回目は10時から1時までを写真学教室、食事後2時から6時までを人文学教室

*. 2-3月を1学期、4月休校、5-6月を2学期、7月休校、8-9월3学期、10-12月はシーズン活動

*. 場所は主にライフギャラリー。必要に応じて各支店を巡回

*. 申請は1月15日まで sinmindong@hotmail.com に、申請書の提出

   申請書は報告書の最後のページに添付

   1月11日の全体会議が終わり4時からライフスクールの説明会を開催

*. 人文学教室と写真学教室はすべての参加者が必須参加とする。ひとつだけの選択は付加

*. 学費は1人¥100.000 . 1月中に振込み

 三菱東京UFJ銀行 青山通支店 普通 1864144 株式会社アップルツリーファクトリー

   学費は本、ランチ、進行費などに使用

*. 人文学(渕本、ジョン)、写真学(南、朴)各教室の班長として2名をおき、学習を進行

*. ランチはライフスクールにて担当

 

E. 内容

略的進行過程

第一次(全体会議の次の日)

 

10時に集合し、まずは個々人の時間をもつ。現在行っている2010年の評価、何をするのか?、2011年の計画を見ながら、自分の中に深く入ってみる。その後、各自単語でまとめ、作文を書く。情熱、愛、幸福、自我、社会、政治、存在、関係、固定概念などそれぞれが持っている考えを整理して発表する。そして人文学教室につなげていく。人文学教室はおおよそ主題が与えられ、チーム別の討論と交流の時間になっていく。

 

小説は内容よりも構造に対する分析がメインになる。作家の立場で人物を再配置し、関係性を把握し、主題に接近していく方法の討論をする。

 

そして約3-4時からは二コマコス倫理学の主題に新しく自分だけの理論を成立する時間をもっていく。

 

第2次(全体会議の2週後の火曜日)

 

朝10時から写真学教室を始める。写真学教室は基礎と応用の2チームで構成。

 

基礎チームは写真のもっとも基本的な部分から始まり、写真撮影につなげる。(南班長)

 

応用チームは既存の固定概念を壊す方法を使用する。(朴班長)

 

そして自分の写真に対する評価を要求する場合には別途のチームを構成する。

 

その時々によってウェディング、野外、家族、プロフィール、ストロボなどの教育を行う。

 

ソフィーの世界は哲学史に関する内容で2回に分けて進行する。第1次は哲学の歴史を整理し、第2次には時代別の主題に対する討論をする。

 

国家論は哲学の入門書だともいえるが、哲学の主題に対する討論がメインになるだろう。

 

そして歴史とは何か?と未来を開く歴史は歴史的な事実よりもなぜ歴史が重要であり、関心を持つべきなのかに対する内容で、進める。

全体的にみると、私たちがよく使っている単語に対する定義と再解釈がメインになる。私たちはその単語の集合体だともいえる。しかし、その単語の本当の意味よりは、経験の中で知っていくうわべだけの主観的な判断によって物事と現象を見つめている。2011年ライフスクールでは既存にもっている考えの転換を目標にしている。その転換の過程で自分と世の中に対する新しい視点を発見することになるし、それが少し今よりも自分と世界の真実を近づけてくれるだろう。

 

人文学教室

1ヶ月を基準に1回は文学、2回目は哲学を中心とする。そして毎月1回目は ‘二コマコス倫理学(岩波文庫)’の1冊ずつが割り当てられる。大体1ヶ月に2冊程度の読書の量になり、約10ページ以上の感想文、報告書、随筆の形態での文章を書くことになる。運営は講義の方法ではなく討論と作文、そして自ら考えることもする。講義を行う講師がいないことがひとつの理由であり、自ら問題解決方法を導きだすことが主な目標だ。

第1次

第2次

2

サウスバウンド(上・下)

二コマコス1

ソフィーの世界

3

喪失の時代

二コマコス2

休校

5

ペスト

二コマコス3

国家論

哲学とは何か?(参考用)

6

老人と海

二コマコス4

歴史とは何か?

7

休校

8

二コマコス5

新しい歴史教科書

9

二コマコス6.7.8

 二コマコス9.10

*. 教育が始まる前まで各自のブログに該当本に対する読書感想文をアップする。読書感想の提出は義務ではない。しかし、読書感想は観光案内の本を見ることと直接みることの差ほどの効果がある。読書感想文は5ページ以上を推奨するが、これも義務ではない。読書感想はそんなに簡単なことではない。したがって読書感想が負担になるスタッフは内容の要約から始めることを薦める。本全体の内容を頭の中に構造化させることが優先されるべきであるため、内容の要約型の読書感想は効果的だ。

私たちは感情を豊かにするために人文学教室をするのではない。客観的で冷静な理性を持つためであるため、本の中にある感情の伝達よりは構造を理解しようとその中の内容と自分の考えを比較することが重要だ。したがって、内容の要約の段階を過ぎたら自分の判断が介入しその判断の適切性と融合に対して悩むようになる。

*. 本を読むことも重要だが討論を通して考えの整理と傾聴が教室という形態をつくる重要な理由だ。読書に対する負担からライフスクールを避けることがないことを願う。本を読まなくても討論だけでもいい結果を得ることはできる。重要なことは自分との約束だろう。自分が約束することは、今の自分よりも少し上の状態を設定している。その少し上に上がるための努力だけでも十分だ。本を読まずに参加をしてもいいが、自分との約束は守るほうがいいという話だ。

*. ライフスクールの途中参加は歓迎する。2月からスタートしなくても、参加者の変化していく姿や何かを機会に参加意思があればメールで参加申請書を作成し、学費を納付すればいつでも参加可能である。

 

反対にライフスクールを辞めることも自由だ。ただし、事前メールや連絡による意思表明は希望する。急に出てこなくなることによってやめる意思を表明することだけはないように望む。

 

*. 本は1月27日までにライフスクールの参加者の支店に送る。

*. 2月にスタートする‘サウスバウンド(上・下)と ‘二コマコス倫理学(岩波文庫)’は時間の関係で各自が購入する。韓国語の本は1月15日までに事前購入を通し、配布する。

*. 休校を間に入れるのは読書の時間を与えるためだ。1ヶ月に2冊、読書感想分はそんなに少ない分量ではないためだ。

 

写真学教室

基礎と応用の2チームの班長は教育当日、教育内容に対する発表を行う。

写真学教室は正規時間と共に班長とチームスタッフの1対1の教育を併用する。先生というよりは写真に対する会話相手になり写真技術の成長と新しい視点の発見を一緒に進めていくことになるだろう。

 

F最後に

支店ごとにライフスクールを見つめる視点やこれからの展望に対する差があるだろう。ライフスクールがどんな成果と限界をもっているのかも、現時点では知りえない。今年の目標を口にしながら、もし2011年の事業が成功したらどんな状態になるかを論議したことがある。そのとき、今年恵沢した相模プロジェクトが今の熱意で継続し、翌年にも持続していくのであればそれこそ成功ではないかと話をしていた。その言葉に同意する。持続的でありながらも日常的な事業が展開されれば、その中でいろいろな成功事例が出てくるだろう。一度に何を成すという考えは30を過ぎたころから弱くなった。少しずつ、でも熾烈な勢いをもってすすめていくことが重要だ。ライフスクールは私たちが今までになしてきた成果の延長戦上にあるという事実がある。今私たちが進んできた道をそのままの方向性で進めば、黙々と決まったことをこなしていっても来年の今ごろには、質的な変化の美しさを経験するだろう。

※ ライフスタジオのスタッフ以外の人も参加は自由。

sinmindong@hotmail.comに申請書を提出すれば、いつでも歓迎・・・