レポートReport

2017.8.20「ONE POINT通信4」

2018/4/23

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ONE POINT通信4
 
2017.7.25 Mr.lee
 



★.今我々はどんな段階に来ているのか 


あなたは過程と結果のうちどっちを重要視しますか。
 
普通、過程が重要だと言います。過程がないと結果を出すことが出来ませんし、過程から発生した誤りの修正も結果につながります。しかし、過程の重要性とは別に結果を見ながら仕事をしなければなりません。結果に対する希望から仕事は始まります。私たちはより良い人生のための想像をします。辛さから脱出するためにも、幸せを持続するためにも、なりたい何かをためにも、現在の変化を通じてより良い人生を求めます。結果に対する希望、未来に対する想像から全ては始まります。結果と未来を現実可能に、具体的に表現したのが目的と目標です。目的と目標を成すために過程を設計します。設計された計画で行動します。しかし、仕事を進めているとふとした瞬間過程を疑い始めます。数多い誘惑と合理化を通じてバランスが崩れる場合が生まれます。数え切れない計画と目標が飛び交うけれど実際に達成されたことは少ないです。こんなことが何度も繰り返されると仕事を「する」だけになってしまい、結果は忘れてしまいます。決まったことだけをする人間になります。
 

つまり、結果に対する希望から仕事を始めるが

結果と関係なく決まったことだけを黙々とすることになります。

 

なぜ、こんなことが繰り返されるのでしょうか。
 
じっくり考えて見ましょう。
 
「一生懸命にやるけれど、結果が出ないならなぜやるのか」
「一生懸命に生きて来たし、人並みに頑張ったのになぜ虚無な気持ちになるのか」
 
やったことと成されたことははっきり区分しなければなりません。たくさんやったから成されるわけではありません。やったことはやったことであり、成されたことはなされたことです。やったことが多くなると成される可能性は高くなるかもしれませんが成されるのを保証する訳ではありません。やるのは目標を達成するためやることで、成されたのは目標を達成したことです。
 

目標を達成するためすることがやることであり、目標を達成したのが成されたことです。

やることは成されることへ行くために存在します。

 
 
成されるためやることであり、やること自体は目標ではありません。「ホームページに道がある」」は自分の全てをホームページに入れることを基本とします。ホームページに自分の全てを入れることはやることであり、成されることは蓄積の過程で何かを知っていくことが仕事の成される原理です。自分の全てを入れたから必ず仕事がなされる原理を分かる訳ではありません。SNS依存症の人がみんな仕事のなされる原理を分かるようにはならないのと同じです。やったことを成された状態にする過程にも一種の法則があるように思います。ONE POINTにはたくさんのやるべきことがありますし、みんな一生懸命にやっています。しかし、一生懸命にやるけれど成されたことがないとONE POINTも失敗することんなります。
 
「やったことを成されたことにすること」が仕事の成される原理の核心です。自ら現れることを強調しています。自ら現れるということもやったことを成されたようにするのと同じことです。ONE POINTの活動が1年半続くことである程度の形が作られました。この時点で「やったことを成されたことにする」ことがさらに重要になります。やったことが成されたことに現れてこそ事業を持続することが出来ます。やったことが成されないとだんだん疲れがたまり、事業を続ける動力の確保が難しくなります。多くの仕事とその仕事同士の相互関係、選択と集中、政治的効能感などの問題を総合してやったことを成されたことにしなければなりません。
 

やったことを成されたことにするためには目標に対する持続的想像を日常化しなければなりません。
 

本末転倒、という言葉があります。目的を達成するための手段が目的そのものになってしまう現象を言います。本末転倒が生まれる理由は手段にばかり埋もれているからです。目標に対する想像を日常的にしないで自分の目の前に広がっている仕事だけに集中するとき、本末転倒は発生します。先ほど言ったように、やることは成されたことにするために存在します。従って、目標に対する想像を日常化しなければなりません。「論文プロジェクトシーズン2」をやっている最中に活動中止をしたことがあります。論文プロジェクトは論文を作成すること自体が目標ではありませんでした。自分が主題を設定して調査・研究・議論を重ねて行くプロセスの中で仕事がなされる原理を集団的に経験することを目標に進めた事業でした。時間が経過しながらやりたくない宿題をやっているかのような雰囲気が漂いました。集団がお互い押しながら、引っ張りながら店舗の内部文化の起爆剤として適応されるよりは各個人の個別な作業になりました。結果にたいする希望は論文作成を通じて仕事がなされる原理にきづくことを集団的に経験することでしたが、各個人が破片化することで目標が論文作成に止まる結果になりました。本末転倒の現象が発生して活動を中止することになりました。ONE POINTも本末転倒の誤りを起こす可能性があります。やったことに集中するあまりに、なされることから背けると、手段に当てはまる「やること」を絶対視する傾向が生まれがちです。
 
では、やったことを成されたことにできない理由、すなわち手段に埋もれてしまう理由について説明してみます。
 
私たちは過程の中で生きています。結果や目標は刹那の瞬間に来る喜びかもしれません。現在の人生を改善するための想像で仕事は始まります。その想像を現実で実現しようと目標を立てます。その目標を達成するため計画から実行が始まります。しかし、問題を起こす根本的な限界が二つあります。
 
一つ目は、目標の不明確さです。いくら目標が鮮明だとしても、目標を立てるその瞬間は結果を経験したことがありません。自分の経験ではなくどこから聞いた内容、もしくは頭の中で類推して間接的に認識した内容に基づいて目標を設定します。結婚して恋人と幸せに暮らすために結婚をします。しかし、結婚を練習することはできません。自分がよく知っている場所へ旅はしません。知らないからこそ未来に対する希望を持つことが出来ます。だからたくさんの費用を払いながらも未知の世界へ旅立ちます。問題解決自体が旅行です。ONE POINTの構成員は各自の主題とプロジェクトを設定しました。各自の主題は不明確で当たり前です。目標を信じて行くしかない宿命を持っています。しかし、目標が不明確だから現実からだんだん違う形で現れ、意志を弱めます。だから目標は厳密に言って決めることではなく作って行く何かです。
 
二つ目は、目標のための計画は固定観念の羅列であることです。最初は自分がよく知っていて経験した予測可能な範囲で計画を立てます。しかし、計画通りにことは進みません。不明確さを内包している目標に基づいて、予測可能な範囲内で立てたから誤差が発生するのは当たり前です。道に迷うのも日常茶飯事です。目標を達成するための過程は試行錯誤の連続です。10を計画したから必ず10ができ場合はこの世に存在しません。だから絶え間ない客観化が必要です。
 
目標が不明確で固定概念で作られた計画は目標と計画が必然的に持っている限界です。この限界を克服するのが仕事のなされる原理です。もちろん、現実ですぐ結果が出てくれるほど嬉しいことはありませんが、そんな簡単にできることなら「目標」や「過程」という言葉自体、存在しなかったでしょう。電卓で数字を入れてする答えが出るのが我らの人生だったら私たちは人間ではなかったかも知れません。問題が起こるからこそ人間らしく生きていけます。目標の不明確さと固定概念で構成された計画の間をじっくり見る必要があります。固定概念で作られた過程は目標までの道と正確に一致するわけではありません。物理的に10をしたならばその中で2〜3ぐらいが目標と関係あることです。残りの7〜8は2〜3を行うための補助材か、目標とは全く関係ないことです。昨日は楽しくやったとしても、今日は昨日の繰り返しです。自分が行ったプロセスの中で目標と関係ある2〜3を抽出する基準は目標にあります。地球上に住んでいるから地球の全てが分かるわけではありませんし、毎日空気を吸ったから酸素について分かるわけではありません。自分のやったことに対する整理と区分を通じて目標と過程を再設計しなければなりません。その再設計の基準は目標です。しかし、目標は不明確です。その不明確さを少しずつ明確にする材料が過程です。再設計を可能にする土台は過程です。その過程を整理して見ると目標の不明確さが少しずつ無くなります。しかし、過程の結果を整理する基準も目標です。こうして目標と過程が循環しながら直接的な関連を結びます。目標と過程は両方重要です。しかし、事業を持続させる基準は目標です。仕事は目標達成するために存在するからです。目標を成されるために計画を実行する過程の中で成果と誤りは同時に発生します。成果と誤りを仕分ける基準は目標です。目標に沿っていれば成果と言い、その反対なら失敗と規定します。しかし、目標は不明確という致命的な問題があります。観念的で、曖昧で、具体的に表現できない限界を持っています。
 

従って、目標は作っていかなければならない誠実を持っています。 

実行の過程で広がる予測不可能なたくさんのことに基づいて

目標に対する持続的な想像が必要です。

 

目標に対する持続的な想像は目標を成すための意志とか定常にある現在に対する評価を生産的に誘導します。例えてみます。越谷店の蒔田店長が店舗の目標として持ってきたのがドリームシップです。言葉は良いけれど、その目標が具体的にどんな姿なのかは不明確で具体的な実態が何かは誰も分かりません。円滑な人間関係を気づいてそれぞれ求めていることを自由に話しながら少しずつ実践して行く状態を指すのかと想像することはできます。ドリームシップは一般的で宣言的な目標なので具体性が弱いです。だけど、目標として不適切ではありません。店舗運営が始まり、各自の計画を発表し、周りからの応援もあったと思います。ドリームシップの肯定的な効果とは別に、ドリームシップに対する疑問が生まれます。ONE POINTでやっている多くのことがあるし、それと別途にドリームシップがあります。やることがたくさんある中でドリームシップのいい意図とは関係なく、ドリームシップを話すこと自体が負担になります。しかし、越谷店の成功はドリームシップにあります。ONE POINTを越谷店独自の方法で紐解いて行くのがドリームシップです。しかし、今ドリームシップを負担に感じるということはONE POINTの内容をドリームシップ化仕切れてないという証拠です。ONE POINTのやる駅ことの中で、ドリームシップに集中していることはそんなに簡単なことではありません。ここで、ドリームシップに対する想像を持続的にしているか、という質問を投げたいです。先ほど言ったようにドリームシップはなりたい目標です。越谷店はドリームシップを通じて店舗運営の基準を作らなければなりません。また、ONE POINTとドリームシップは別々に存在しているものではありません。ONE POINTの仕事がドリームシップという名前で上書きされる過程です。しかし、この上書きは繊細な技術を必要とします。越谷店独自の香りを作る過程で必要なのがドリームシップに対する持続的な想像です。その想像の過程でONE POINTとドリームシップの接点を発見することができます。おそらく、蒔田店長もONE POINTとドリームシップの接点を発見することの重要性は知っているはずですが、現実では具体性が欠けます。ドリームシップに対する持続的な想像の不在からだんだんとONE POINTとドリームシップの分離が始まり、動力が落ちる結果に繋がったのではないかと思います。
 
では、ONE POINTに対する持続的な想像を話してみます。
 
先日の本社会議で「ONE POINTの目標を達成した3年後の姿」について討論をしました。
私が話した3つがあります。
 
一つ。各自の器が自ら作られている状態です。店長になりたい人、直営リーダーになりたい人、各部門のマネージャーになりたい人、顧客や仲間と楽しく仕事がしたい人、写真で新しい事業を始めたい人、ただライフスタジオが好きで長く働きたい人、会社を辞める人などなど。各自が求めているライフスタジオでの未来が実現されている状態を言います。各個人は自分の道を歩み、その道を保証してくれるのが個人と組織のバランスが取れた状態です。そのために組織の基本規則を決め、実践を通じてONE POINTなりの内部文化を作っています。直営リーダー、各個人の主題とプロジェクトの現実化、店舗拡大に関する話が今後展開される予定です。
 
二つ。共同体意識です。信念で集まるということは人生の質と関係します。共同体意識で強く結ばれている組織が家族です。人類が形成してきた同録と規範の形式の中で結婚し、子供が生まれ、人生で起きる全てのことを一緒に決めていきます。何を分け合っても勿体無くない状態です。会社という共同体で同じ信念とアイデンティティを共有することはとても難しいことです。ONE POINTでは人間らしく生きることを究極の目的とします。人間らしく生きるという言葉は曖昧です。それをより和らげたのが「自立した人々の経済共同体」です。そのために各個人が変化発展プログラムを装着することを優先順位におきました。この目標と優先順位を現実で実践させる組織がONE POINTです。仕事がなされる原理を知るために、現在強調している言葉が「確認・連結・拡大」の循環の輪です。このような仕事がなされる原理の装着は「日本の写真文化を変える」という外部目標とも繋がっています。普通、写真文化を変えるというと新しい写真技術やシステムを考えますが、ライフスタジオが言う「写真文化を変える」とは「日本の写真と関連した人々とその認識を変える」と言うのが正解です。そのための10年間ですし、今はONE POINTという名前で実践しています。この全てのことが「共同体意識」と関係があります。「共同体意識」は単純に集まって同じことを考えることではありません。「共同体意識」は変化発展プログラムの根幹です。「和而不同(わじぶどう)」という言葉があります。調和するが「附和雷同(ふわらいどう)」しないという言葉です。附和雷同とは自分の考えなしで人の言うことをそのまま真似するという意味です。「和而不同」は自分の明確な信念に基づいて共に共同の善を追求します。反対に「同而不和(どうじふわ)」という言葉もあります。同じて和せずという意味です。心からではない状態です。人間らしくいきていく上で一番いい状態が「和而不同」の状態です。反対に「附和雷同」で「同而不和」なことで現実の問題から少し逃れることはできるかもしれませんが、依然として我々を幸せにしてくれるわけではありません。「共同体意識」はただで得られるものではありません。打つかって、傷ついて、学びながら自分の信念と価値観が形成されます。同時に人と共になる知恵が生まれます。世界の全ては繋がっているという言葉は真理です。全く一人で生まれるものは何一つ無いように、我々は無数の関連の中で一日を過ごしています。その関連の問題を人々が集まって、一緒に紐解いていく過程の中で、自分の信念と価値観も形成されます。「共同体意識」は一緒に参加して世の中を変えながら、同時に個人の自立がなされる精神的状態を指します。個人と組織が有機的に連結し変化発展プログラムが作動されると人生の質が上がります。
 
三つ。強力な経済エンジンです。以前の報告書でライフスタジオが経済的安定を田確保できた理由で差別化と歴史をあげました。既存の写真館の慣行とは違う、色んな差別的な要素があり、それが市場に受け入れられたこと。そして20店舗違いスタジオで一定の満足できるサービスを提供された10万組以上の顧客が私たちの経済的基盤です。差別化と歴史を通じて経済的安定に基づき10年間内部の力量を強化させるための事業を進めていますが業況は変わっています。去年から新規予約が少なくなり、似たような写真館も急激に増えています。当たり前のことですが持続可能な発展と強力な経済エンジンは糸と針の関係です。ONE POINTと経済エンジンの直接な相関関係はかなり弱いです。ONE POINTが成功すれば未来に強力な経済エンジンができるという可能性を信じて事業を進めています。経済的余裕を基盤に未来を準備しているということです。人が変わり、共同体の概念を設定すること自体が経済エンジンだと考えながら仕事をしてきました。これは現在の余裕を利用してライフスタジオ独自の経済エンジンを作るという意味です。つまり、ONE POINTが成功してこそライフスタジオも持続できるということです。
 
今まで上げた3つの実現が3年後の理想的な姿だと仮定してみましょう。そこでさらに二つの質問を投げてみます。
 
ONE POINTと「ホームページに道がある」のやるべきことを一生懸命やれば可能なのでしょうか。
現在のことを着実に行いながら少し変化発展すれば目標を達成できるのでしょうか。
 
ONE POINTと「ホームページに道がある」の共通点は内部と関係あることだということです。組織の形を作り、各個人がやるべきことに対する提案と共感、実行にフォーカスが当たっています。各個人の主題とプロジェクトを決めて月1〜2回の全体会議を通じて確認と連結し、自分の全てをホームページに入れるということはONE POINTの内部の文化を作っていく過程です。やるべきことを羅列し、選別した後、出来ることからやっていく方式です。目標達成のため1時的に内部を形成する時期でした。一定の成功事例と一緒に私たちが向かっている方向が間違ってないという安定感が高まっています。しかし、自分の全てをホームページに入れたから必ず先の3つが達成できると思いますが。全体会議で各自準備した内容を共有して、楽しい時間を過ごして必ずその3つが達成できるのでしょうか。
 
韓国のことわざで「柿の木の下で、柿が落ちるのを待つ」という言葉があります。偶然で全てのことが解決することを待つことを例えたことわざです。柿の木の下で柿が落ちるのを待つのは「やること」です。何日が経つといつしか柿は落ちます。しかし、効率が悪いため持続は出来ません。つまり、「できない」ということです。ONE POINTでも似たようなことが起こり得ます。私たちの全てをホームページに入れたからといって顧客が私たちの色と香りにあった名前を呼んでくれるとは限りません。いつか柿は落ちるでしょうし、規約ないその日を首を長くして待つだけでは失敗は明らかです。目標に対する持続的な想像を通じて現在に対する規定と未来のための計画の修正は不可避です。
 
現在のONE POINTにはたくさんのやるべきことがあり、多くの人が誠実に行なっています。決められたことをやることには二つの意味があると思います。
 
一つ。結果を作るための物理的な量を蓄積させることです。会社に入社したばかりの時はまず決まった仕事をやるべきです。見猿聞か猿言わ猿までは行かなくても、何ヶ月間はまず静かに任された任務をやる責任があります。会社が作ったシステムは歴史です。無数の試行錯誤と変化発展の産物だからです。会社を尊重するという姿勢で歴史を受け入れる必要があります。理由が分からない非効率的なことが自分を苦しくしてもある程度の期間は待つしかありません。一定の時間が過ぎると理解できる部分も出てきますし、自分の誤りにも気がついたり、もっと良くなるための方法も見つかったりもします。普通は蓄積させるというよりその都度消費するような仕事をする場合が多いでしょう。給料をもらうためとか、状況が仕方なかったなどの単純な理由が支配します。決められたことをこなす態度が物理的な量蓄積させることと、単純な理由の繰り返しとは決定的な違いがあります。
 
二つ。決まったことをやっていく過程で気づく変化の信号です。自分の中で疑問が生まれ、より良い方法を探し始めたり、反対に疲れを感じたりします。こんな瞬間をチャンスと見るかそうでないかによってその人の行動が決定されます。しかし、私たちは物理的な量を蓄積させることは上手いのに、変化に伴う信号に対する対応には慣れてないようです。量を蓄積させる理由は変化に対応するためです。Step1を蓄積させると、Step2がきて、その次がStep3です。Step1をやる理由はStep2をやるためです。Step2は決まったことではありません。決まったことを蓄積しながらやっていくうちに変化の信号が反応しStep2への変化を暗示します。Step2へ変化するための基準が結果に対する想像です。自分が行こうとする目標と結果を見ながら方向を決めるべきです。登山をやっているとよくあることです。1〜2時間一生懸命に登っていると分かれ道が出てきます。水を飲んで、疲れた足を休ませながら予定していた頂上に行く道を選びます。決まったことをやる過程の中で変化した自分を確認し、未来を決めます。やったことは1〜2時間決まった道を進むことで、成されたことは自分が行くべき峰を決めることです。
 

決まったことをやって行く過程の中で気づいた変化のきっかけに積極的に対応することは

やったことを成されたことにするための意志です。

 

変化のきっかけは結果に行くための手がかりを提供します。変化のきっかけを作るためが故に蓄積をしていると言っても過言ではありません。その変化のきっかけに注目しないと決まったことは当たり前のこと、または重要ではないことになり、さらに新しい何かを探しに行くような誤りを起こします。
 
ONE POINTは「仕事がなされる原理」を装着することをも苦行とします。「仕事がなされる原理」は具体的で直接的に現実に適応した「変化発展プログラム」です。仕事がなされる原理の核心理論が「確認・連結・拡大の循環の輪」です。自ら作って蓄積された内容で世界と出会い、その過程の中で生まれた新しい内容で人生が続く状態が「確認・連結・拡大の循環の輪」です。その循環において核心となる媒体が「ホームページ」です。「ホームページ」に自分を蓄積させ、その蓄積された内容に基づいて「確認・連結・拡大の循環の輪」が始まります。ONE POINTで始まり「ホームページに道がある」まで来る過程の中でたくさんのやるべきことをやろうと、約束してきました。現在の状況を簡単に要約すればこうなります。
 

やったことを成されたことにするという側面から見るとやったことが少しずつ蓄積され

肯定的な信号が目立つ時期です。

ここからはStep1からStep2へ進む時期ではないかと思います。

Step1が内部の構成だったならば、Step2は連結を通した拡大への模索です。

 

ONE POINTが始まってから1年半、内部を強化してきました。共同体が目標を達成させるために各個人と店舗の同意と実行の過程を経て行動を具体化させた時期でした。まだ足りない部分もありますが、枠組みは作られたように思います。後は今まで通りやって行けばいいと判断します。内部形成に対する肯定的な部分と同時に考慮すべきなのは結果に対する想像です。結果はつまり私たちの目標とつながります。先ほど3年後の成功した姿は「自立した人々の経済共同体」の現実的な姿です。この目標を達成させるために、やったことを成されたことにするStep2は何でしょうか。
 
私の結論はこうです。
 

Step1に基づいて自ら現れることです。

各個人と店舗の蓄積された内容が現実で外部と繋がり、実態が現れることです。

 

ONE POINTが始まってから1年半、「ホームページに道がある」を実行してから6ヶ月が経った現在肯定的な信号と改革の疲労感という二つの現象が同時に起きています。各個人のプロジェクトと6項目、店舗別内部文化作り、ホームページの内容の蓄積、毎月続く全体会議、運営員会、本社、サークルなどそれぞれの組織の論議構造などが息忙しく進みました。「確認・連結・拡大の循環の輪」という基調のもと、各個人と店舗、部分がここの領域で一定の成果を見せています。1ヶ月単位で進行する事業が大体安定化してきて現実に自然と定着されました。また、店長を中心とした自立的な運営が肯定の土台として作用しています。これと同時に改革に対する疲労感も存在します。各個人と店舗、単位が最初に立てたバラ色の計画が動力を得て意欲的に始まったけれど、具体的な結果を出せてないという焦りがあちこちから出ているようです。個人別、店舗別、店長別にもそれぞれの勝り劣りが出てきていますし、やるべきことが増えると共に選択と集中が必要になります。まだ目に見えるほどの不安や不満、意欲の低下ではありませんが根底に流れている疲労感は存在します。新しいことをやると必ず出る現象です。
 
やったことに比例して成されたことが必要です。今までやってきたことを持続する前提で成されたこと、結果、目標に対する具体的な議論と計画が必要です。Step1でできた成果を土台にしてStep2は自らが現れることでやったことを成されたことにするための作業が必要です。だからと言ってStep2がStep1と切り離れで動くものではありません。Step1の高級バージョンと言いますか…。
 
Step2の核心事業を個人、店舗、店長、本社の4つの部分に分けて自らが現れる仕事を描いてみます。
 
一つ。個人が現れることで「殿堂入り」です。「殿堂入り」は個人が自ら現れることです。「殿堂入り」は各個人が自らの光と香りを蓄積し、それを土台に顧客と心から出会う事業です。「殿堂入り」は偶然を必然と作る過程であり、各個人が「確認・連結・拡大の循環の輪」を経験できる個人プロジェクトです。
 
二つ。店舗が現れることで「店舗Event」があります。何ヶ月間ホームページに集中しながらみんな認識いていると思います。店舗を表せるのがどれだけ難しいことなのかを…。店舗は個人と違い内部文化の実態を作るのが難しいです。また、出来上がった店舗の内部文化を外に表現するには何十倍のエネルギーが必要です。だからより積極的に顧客を「引き寄せる」作業が必要です。撮影のために店舗を探している顧客や、店舗を決めて予約を入れた顧客、また撮影が終わった後の余韻が残っている顧客を合わせると毎月500組以上の顧客がいます。新宿のような繁華街を歩いている名知らぬ人より、自分の美しさと思い出を残すための撮影を依頼し、待っている顧客の店舗に対する興味は比べ物になりません。「店舗Event」は店舗を自ら表すための最適の方法だと思います。これは受動的から能動的に、受ける人から決める人へと変わることを意味します。つまり、ゲームチェインザー(*訳注:Game Changer, Gゲームをコントロールできる人)になれます。
 
三つ。店舗を表すことで「直営リーダー制度の始まり」があります。ONE POINTのStep1がある程度安定化している現在が直営リーダー制度を始めるのに適した瞬間ではないかと思います。店舗の内部文化の大半は店長によって作られます。現在の店長は決まったことだけを一生懸命にやっています。店舗別に差が生まれてはいますが、大体は円滑な運営を維持しています。その次は何か、という質問に対する乾きが店舗たちには存在します。決まったことを円滑に運営することと、自ら現れることとは相当な違いがあります。この違いを鮮明にし、店長をより高い段階へ進ませる制度として「直営リーダー」は強力な動機付与を提供します。これから1ヶ月以内に計画書が発表されみんなの意見を集める時間を設けるようにします。
 
四つ。本社が現れることで「社会貢献活動としてのInstagram」です。現在やっているOfiicialのInstagramとは別に、社会貢献活動としてのInstagramを考えています。ONE POINTが持っている資源は写真の撮影技術・装備・そして一緒にするマインドです。この三つの資源を持って企業の社会的責任を果たせる事業を見つけました。簡単に言うと「Instagramを活用し、社会貢献活動を兼ねた撮影Eventを定期的に行う」と言うことです。この事業が本社を表すことである理由は、冒頭で言った「強力な経済エンジン」と関係があるからです。本社の役割がライフスタジオの持続可能性をあげることなら、その中で一番重要なことが会社の競争力を維持することです。詳しい内容はまた別の計画書で説明します。
 
ここまで、やったことを成されたことにするとは何かから、現在をStep2と規定し、必要な4つの事業について話しました。ここまで読んだあなたはどんな状態ですか。今でもやることが山ほどあるのに、まだStep1だの、2があるだの、やることが増えそうでがっくりしていますか。それとも、すんなり受け入れてより高い段階に行けると言う嬉しさを隠しきれないのでしょうか。それでもなければ、当たり前のことをなんでこんな長々と喋っているのだろう、と思っていますか。私たちができる仕事の量は決まっています。結局勝負は質で決まるでしょう。現在私たちがやっていることと、変化のきっかけを感知して新しく始まる仕事の中でも葛藤は生まれます。現在やっていることと、新しく提案されたことの間で沈黙の戦争が始まっています。それ自体が人生です。そんな人生を可能にするソフトウェアが「変化発展プログラム」のようです。現在を規定して未来を計画しないと自分と組織の内部の中にいる敵に逆襲されます。不安を伴う無気力という致命的な敵の武器に晒された私たちは、いつでもこの念をこらしたレールから離脱される恐れがあります。現在をStep1からStep2と規定することは重要じゃないけど簡単なことです。規定したからといって現実が一瞬で変わることはありません。しかし、何かを始められるきっかけとして働きます。夜中に鳴るチャイムは不安ですが、予告した友達の訪問は喜びのホルモンが出てきます。
 
ここからStep1に基づいて自らを表すStep2と提起しました。ONE POINTの皆さん…
 
来年末頃には私たちはどんな姿になっているのでしょうか。自分を縛り付けていた鎖を切り離し、自由に空を飛んでいるのでしょうか。それとも決まったことだけを黙々とやりこなす誠実な人を維持しているのでしょうか。各個人・店舗・その他の単位で現在に対する規定と未来の私たちの姿について広範囲な討論をして頂くことを提案します。夢を描き、それについて話すほど楽しいことはありません。お忙しいと思いますが、少し手を止めて、私たちの未来について話しましょう。そして、一緒に決めましょう。