レポートReport

2017.03.20「ONE POINT通信1」

2018/4/23

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ONE POINT 通信 1      
 
2017. 3. 20 Mr. lee
 
 
 2ヶ月に1度ONE POINTの現状に関する分析を
ONE POINT通信というタイトルで発表しようと思います。
みなさん!!手伝ってください。
 
 
★. ホームページに道がある
 
[ホームページに道がある]の第1次公聴会がありました。公聴会を行う過程で、ホームページに集中するということに対する見方が少しずつ違い、ONE POINTの目標というよりは、ホームページに対する固定概念を基準に見ているため、マーケティングの部分を優先順位に置く傾向がありました。そのため[ホームページに道がある]をもう一度簡単に整理してみます。

[ホームページに道がある]は、自身の根拠を作る作業です。根拠とは、[確認・連結・拡大の循環構造]から作られます。まず、確認作業から始めます。自身を確認するために自身の全ての事をホームページに入れなければなりません。各個人は、自身の主題とプロジェクトを持っています。

主題とプロジェクトは、自身を成すための根拠の別の名前です。

主題とプロジェクトは、目に見えないガラスの天井を打ち破るための自分だけの武器です。主題とプロジェクトという武器の剣の端を鋭く鍛え、変化のきっかけを作るためです。自身の全てをホームページに入れるということは、自身の主題とプロジェクトに対する熾烈さを指します。その過程で自分自身を客観的に見るようになります。写真分析や環境改善もやらなければなりませんが、自身の主題とプロジェクトから勝負しなければなりません。勝負するための熾烈さが、まさに連結につながります。見る人の関心を呼び起こし、一つの名前で呼ばれるようになります。ここで重要な部分が、確認を連結と錯覚する傾向があるということです。文章をアップし[いいね]を押すことが、連結だと思います。勿論、連結の始まりではありますが、大体その状態で終わってしまうため、結果的に確認の段階に留まるようになります。[私の文章に関心を持ってくれた]で終わる状態は確認の範囲を超えることができません。

[ムペジにがある]で1つ重要なポイントが、主題とプロジェクトにする熾烈さです。

2目に連結した生産的疎通です。

コメントの数が重要なのではなく、疎通しているかどうかが判断の基準にならなければなりません。[きれい]で終わるのではなく、なぜ[きれい]なのかを話さなければなりません。連結は、絶え間ない確認なのです。分からないということから来る不安は、確認から連結に繋がる構造の不完全性から原因を見つけなければなりません。不安の日常化は、確認と連結の日常化が成されていない結果です。徹夜して作った自身に似た姿をホームページに入れ、ピンと何かが思いつくことだけを待っている姿は、また違う不安の始まりとなります。自ら確認した姿が連結の過程を経て、だんだん自身の実体に近づいてくる経験をする必要があります。そのためには、連結の海に積極的に進んでいかなければなりません。近くにいる友人と同僚に、毎日出会うお客様に、不特定多数に対し、自身の事を話さなければなりません。それと同時に、近くにいる友人や同僚、毎日出会うお客様、不特定多数が作りだしている実体に、積極的に近づいていかなければなりません。確認と連結が起こるその一瞬一瞬に飛び出してくる分泌物があります。
ならばこのように、ならばそのように、ならばあのように、です。これが拡大です。
普通、この峠を越えられないのだと思います。ならばこのように、ならばそのように、ならばあのように、というよりは、大体は[そうなんだ]という言葉を繰り返します。代案はなく、停止された状態で考えることだけを持続します。本当に残念な時間が流れ、水を吸った畳のように重くなります。体が重くなると、誰もその重さに勝てず、自身の意志とは関係なく、流れていくようになります。

[そうなんだ]を[ならばこのように]と、変える力がまさに[確認・連結・拡大の循環の輪]なのです。

[そうなんだ]を繰り返していくと、再び確認と連結を強化しなければなりません。拡大では成されなかった力なのであれば、再び確認と連結を通して力を蓄積していかなければなりません。再び挑戦し[ならばこのように]が、自然に発生してくるようにならなければなりません。[確認・連結・拡大の循環の輪]は、一度終わって廃棄する消耗品ではありません。息を吸うように自動的にこの循環の輪が作動していかなければなりません。

ここまで見て見ると、何か現実味の無い空想世界の話だと思うかもしれません。私は面談をする時、この循環の輪を基準に判断します。今、どの過程に来ていて、どの過程で苦しんでいるのかどうかを判断します。一度自分自身をじっと振返って見てください。確認だけをしているのか、連結だけをしているのか、拡大だけをしているのか、確認と連結で悩んでいるのか、連結と拡大で止まっているのか。。。大体が確認に対する不安により連結できない飢えを抱えています。意志のある人々は、拡大の空虚さを訴えています。[確認・連結・拡大の循環の輪]は、私達の人生の他の名前です。この循環の輪が作動するということが、まさに[自立]なのです。ホームページに集中しようとする理由も、[確認・連結・拡大の循環の輪]が適用され、強化することのできる最も現実的な方法だからです。

[ホームページに道がある]の成功の鍵は、1つ目に、主題やプロジェクトを通して自身の全てを入れているのか?2つ目に、自身だけの連結する方法が作られるのか?3つ目に、確認と連結を通し、次が話されているのか?です。たくさんやるよりもきちんとうまくやらなければなりません。文章を何個書いたのかが重要な問題ではありません。ONE POINTの構成員皆が注目しなければならない部分は、[確認・連結・拡大の循環構造]です。自身の主題とプロジェクトに対して熾烈に行うのと同じくらいに、他の人の名前を呼んでいかなければなりません。その過程で、自身の中から出てくる問いに対しきちんと耳を傾けなければなりません。[ホームページに道がある]は、マーケティングと直接的な関係がありますが、方向は全く異なります。[ホームページに道がある]は、[確認・連結・拡大の循環の輪]のためのものであり、この過程自体がマーケティングの核心要素なのです。料理はおいしく食べる過程に意味がありますが、結果的に体を維持させる働きをします。

もう一度強調したいと思います。[ホームページに道がある]は、文章をたくさん書こうということではなく、お客様の予約率を高めるための活動でもありません。自身の全てを確認し、連結し、より良い世界に進んでいく構造を作るための形式です。

私達っている事を1つの糸に通し、実態を作るための活動が[ホームページに道がある]なのです。

これから、私達が行う全ての事は、ホームページという基準で見なければなりません。やった事を成された事にするため、自身が行った事が、ホームページでどのように変化発展するのかということに注目してください。これから全ての評価の基準は、ホームページです。3月中にホームページの活動計画、基金活用計画、マーケティングチーム運用計画が出てくる予定です。この内容が、店舗で議論され、4月の全体会議で決定し、5月1日から[ホームページに道がある]を始める日程で準備しています。
 

★. 均衡(バランス)
 
ONE POINTが拡大3~4ヶ店舗再編成され3月近ちました。普通、これくらい時間経つと、あちこちで破裂こえめ、果てる人てくるものです。しその前触れがえもしますが、それでも、私達はうまく行ってきているようにいます。しい競争成され様々成功事例目撃しました。意志情熱私達に、より[仕事が成されていく原理]必要なようです。まだ[かをやる]という段階です。期待興奮でハネムンをしんでいます。これからが現実で、[やる]から[やる事に]、[やる事]を[成された事に]作らなければなりません

[やる]を[成された事に]作らなければならない今、 
私達には、より[仕事が成される原理]が必要なのです。 

現在、私達を取り巻いている条件は、1つ目に、やることが多い。2つ目に、現実に適用し結果物を作らなければならない。3つ目に、変化していく状況に対する迅速な措置です。この3つの部分に関して話して見ます。

1目、やることが多い。
やらなければならないことがたくさんあります。ここに[ホームページに道がある]という巨大な計画が追加されました。各個人はもちろんのこと、店長達はやらなければならない仕事に対する圧迫感に苦しんでいます。ところが、この問題は、1つの質問で解決することができます。[仕事を半分に減らしたらうまくできますか?]。半分に減らしたからといって、仕事がうまくいくわけではありません。各個人と組織が行うことのできる物理的な量は定められています。また、同じ物を撮る機械ではないように、各個人や組織が作りださなければならない質も互いに異なります。

つまり、量と質のバランスが必要です。そのためには整理と区分、協力と選択が作動しなければなりません。

まず整理と区別が必要です。整理するためには、私達を構成している事を一目で見れるようにさらけだし、その過程で捨てる事と集める事を区分します。担当が決まり、計画、実行、評価システムを稼動します。簡単ですが難しい部分です。整理と区分がされないと、本当にやる事が多いという認識が自身を支配します。整理と区分をすると、優先順位が定まり、重要ではないが急な事と、急ではないが重要な事が明確になります。選択と集中により、1日、1週間、1ヶ月の計画を立体的に描くことができます。

仕事には、呼吸をするように自動的に成される事と、自身が物理的に努力しなければならない二種類に区分されるように思います。一緒にやるということだけでも成される事もあり、自身の経験と努力によって、この世の中に表していかなければならない事があるのです。全体会議を見ると分かります。発表を聞いて拍手をおくり、お知らせを聞いて理解するだけでも、それは成されているのです。そして、自身の行う発表は、自身で作らなければなりません。全体会議で、自身のやった事は1%にも満たなくとも、全体会議は、私達皆でやった事であり、同時に成された事なのです。特に店長の位置にいる人々は、整理と区分することが何よりも重要です。整理と区分がされれば、協力し選択することができます。全ての事を自分だけでやらなければならないという強迫観念を持っていますが、これは整理と区分がされていないことから起きます。

協力選択は、整理と区分を通して出てくる、自然発生的な結果です。

店長がやるべき事は2つです。整理と区分を通して協力と選択という結果物を導き出すこと、そして、店長だけができる事をすることです。他の人に委任することができず、ただ店長だけができることも、まさに、整理と区分を通して協力と選択という結果物を導き出すことです。この仕事をするために店長という肩書きを作りました。整理と区分をせずに起きる典型的な姿は、全ての事を会議で話そうとする行動です。会計は、担当者1人が1ヶ月に1時間程度の努力をすればできることです。1ヶ月に1時間程度の努力ですが、その仕事をうまくできた時の効果は決定的です。店舗の各個人が100円の収入が増えるかも知れず、5万円増えるかもしれないのです。ブログに載せる一つの文を作るよりも短い時間で数百倍の効果をもたらすことができます。1ヶ月の収入と支出の整理と分析をする事が、最初の2ヶ月間は1時間以上かかるかもしれませんが、慣れてくると1時間もあれば十分にできるようになります。店長がやる事は、整理と分析がされた店舗の会計について担当者と事前に話をし、会議で簡単に処理したら、会計項目でやる事はもう終わりです。環境改善も同じです。担当者が定期的に確認し、その結果についての話を会議で処理したら終わりです。店長がやる事は、確認とその結果についての判断をし、協力と選択のための内容を構成員に提示することです。ところが、特別な代案もなく会議の日に、突然伝え、良い意見がないかと質問することで、問題が発生します。このように仕事が成されていく原理を知らないと、仕事が多いと認識していきながらどんどんバランスが崩れます。

なので、店長ブログは店舗についての整理と区分、協力と選択に関する内容でなければなりません。

この部分さえ明確になれば、[仕事が多い]という問題は、ほとんど解決されます。勿論、整理と区分、協力と選択は、店長だけでなく、全ての構成員に必要です。私はよく[NO]と言える責任と権限について強調することがあります。整理と区分がされると、自身ができることとできないこと、やりたい事とやりたくない事が鮮明になります。その状態で[NO]と言える自由が与えられます。責任を果たした時に権限がうまれます。ブログの内容を5つにしたのは基準です。3つ書いたからといって警察が出動したり魔女狩りは行われません。5つとも同じような1つの文章もあれば、宿題のように書かれた5つの文章もあります。内容が生産されていかない場合は、自ら1つだけやると決定する必要があります。整理と区分の過程であらわれる選択と集中は、周りの人々を感動させます。ところが、整理と区分をせずに[多い]、[分からない]が横行している組織には未来はありません。

ONE POINTはやることがたくさんあります。仕事が成される原理を、各個人と組織に装着することがONE POINTの目標です。自立は仕事のない状態ではありません。仕事はいつもたくさんあります。仕事が多いということは、何かを成し遂げようとする意志が多いということです。[仕事が成されていく原理]が仕事に適用されると、意志が現実から自らあらわれるようになります。量と質のバランスのために整理と区分を通し、協力と選択が行われる様子を見てみたいです。自ら[NO]と言える責任と権限の原則が適用されるならば、仕事がやりたい事になります。

2つ目に、現実で適用し結果物を作らなければなりません。

やった事を成された事に作らなければならないということに同意しますか?やるべき事は全てやったのに、私達の持つ不安の根源はなくなっていません。ONE POINTで言っている事も、全てやるべき事です。この全ての事を行うと、私達が成し遂げようとしている目標に到達することができるでしょうか?私達はやる事に集中していて、成された事には特別関心がないように見えます。何故でしょうか?スパゲッティを作るのが目的ではないでしょう。おいしいスパゲッティを誰とどのように食べるのかが重要です。仕事も同じです。ブログをたくさん書いたからといって、目標が達成されるわけではありません。現実に適用し、結果物が作り出されなければならないのです。

今まで何かを行う時、現実に適用し結果物を作り出すという観点を持っていましたか?

自身の仕事に忠実な刑事が出てくる映画に、主人公が家族と衝突する場面がしばし出てきます。犯人と証拠を追っていると、周りの人々に対して疎かになり葛藤が起きます。家族の幸せな空間を維持するために一生懸命働いていると弁明してみるものの、刑事を窮地に追い込む場面に移りながら映画は面白さを増していきます。途中、財布の中に入っている家族の写真を見ながら、正義感のある父親として残ると言いながら、全身で敵に対抗していく場面では、見ている者の感情移入が最高潮に達します。家族への愛と現実の条件が衝突する葛藤構造が、拉致された娘を救い出し、自分の命と引き換えになったりもします。

自身の行動が現実で適用されなければ葛藤が生まれ問題は大きくなります。

現実に適用されないというのは、道に迷ったか、間違った方向へ進んでいるということです。名古屋に行くためには、西の方向に行くべきなのに、東や北に進んでいるということです。この問題は解決することができません。方向を西に変えない限り、名古屋に行くという事と葛藤が発生し、問題は大きくなります。自身が名古屋に向かっているのか、現実で確認し、継続的な修正を必要とします。

自身が行っている事が、どこに向かっているのか確認し修正する作業が、まさに現実適用です。

現実適用と言うと、私の体を実際に動かし、目に見えるようにしなければならないという固定観念があります。例えば、湘南店が定期的に、カンボジアに直接行きボランティア活動をします。私の体が飛行機に乗り、カンボジアに行き予定された日程をこなすこと自体を現実適用だと考えます。しかし、広く見ると、これは現実適用ではなく、結果物に該当します。結果物は、継続的なボランティア活動と共に持続可能な教育的、経済的実体を作ることです。これを成すために、カンボジアの政治、経済、文化、歴史についての学習と同時に、周りに自身の意志を明らかにし、一緒に行う人と支援を集める作業です。これは現実適用です。

つまり、結果物を得るための全ての活動が現実適用です。現実適用の結果が結果物なのです。

各個人には、主題とプロジェクトがあります。正国を例に説明します。正国の主題は、[自分だけの武器を見つける]です。この主題が出た背景には、自分の中から継続的に出てくる障害物により、主体として立つことができないという悪循環を断つための意志があります。仕事や人との関係が自然に流れて行くことを望んでいます。ところが、繋がるよりも断絶される経験を繰り返しながら、自身の能力に対して懐疑心が生まれます。自分の中で、外部の信号に対する反応と処理するためのプログラムが不在しているという判断から、自分だけの武器を見つけることを主題として決めました。自身だけの特別な武器を作るためには、信号や情報が自然に流れる構造を作ることが最初の手順です。そのため、時事に関する内容を選定し、自身の水準に合った量で情報の取得、整理、論理、発表の過程を繰り返す事として、プロジェクトを決めました。医学の専攻を決める前に、生物学の勉強をするのと同じ原理です。毎日新聞を読み、その中で自身のセンサーが作動するキーワードを決め、検索し、自ら学習をしながら内容を整理し、ブログに載せ1~2回発表もしていきます。ですが、この過程が現実適用に該当するでしょうか?一定部分は現実適用することができますが、かといって、やった事が成された事になるにはとても不足して見えます。ここからは、営業社員のようにならなければなりません。自身が最初に生産した内容が、世の中と出会い、糞なのか味噌なのか確認する必要があります。一緒に働いている草加店の人々に、その内容について反応を探り、よく知っていそうな人に聞いたりもしなければならず、オンライン上でも意見を求めなければなりません。このような過程を経てみると、自身が考え消化し、世に出したシステムの容量と限界について客観性を付与することができます。

結局は、その中に深く入るということで、全ての状況に責任を負うマネージャーになることを意味します。単発性の行為に留まるものではない、そのど真ん中に自身が立っていること、その中で自身が中心になり仕事を進めていくことが、まさに、外部の信号と情報が自然に処理されるシステムを作るということです。これが現場適用です。やった事を成された事にするためには、現場適用が必ず必要です。ブログに文章を書けばコメントされるか期待します。コメントの数や文章が読まれた回数について過度に依存します。勿論コメントは重要です。しかし、依存するということは、持続可能ではありません。人々が自発的にコメントできる文章に依存してしまうと、より刺激的な方向に流れていきます。連結は、文章の内容も重要ですが、自身が直接現場適用に飛び込み自身の中にある内容に、生命力を与えなければなりません。自身が直接、適用過程を経て確認、連結、拡大のレールの上に乗ることが革新です。この部分が、人々が難しがりますが、そんなに時間と空間が必要な作業ではありません。一定の段階にのみ上がれば呼吸をするのと同じように自動的に行われる状態になります。

整理するとこうです。やった事を成された事にするためには、現実に適用し結果物を作らなければなりません。現実に適用すると、結果物に対する形態、量、意味は自然に決定されます。ブログに文章を書けば終わりだと思い、世の中の人々の決定を待ちます。この考え方を変えなければなりません。文章が生成されることから始まると規定しましょう。自身の中から生成された内容を持って直接、世界の中に入らなければなりません。現実に適用できる全ての手段を使用し、変化発展の真ん中で自ら立っていなければなりません。現実に適用する方法はたくさんあります。ONE POINTの全ての構成員が現実に適用するならば、多くの方法と成功事例が出てくるものであり、この資産は、ONE POINTのものになります。

3に、変化していく状況に対する迅速措置。

通常の軌道から離脱し、問題が発生する可能性を感知したら、あなたはどのような行動をしますか?見守りますか?積極的にその問題の中に入っていきますか?問題が発生したら認識、行動、処理の過程を経ます。肯定の信号も認識、行動、処理の過程を経ます。家にゴミが貯まっていくことを認識したら[あっ!!!今週の金曜日に捨てよう]と認識し、金曜日に行動に移し、その行動の結果、起きる状況について[あっ!!!毎週金曜日ゴミを捨てる日として決めよう]と処理をします。家の中のゴミは、この程度の簡単な過程で済みますが、現実はそう簡単ではないですね。一緒に仕事をしている同僚が何か怪しい行動をしながら、だんだん表情と言葉がおかしくなっていきます。その人がカメラを投げ捨てる行動をとるなら簡単ですが、これだと言えるような問題だと言えないようなことがほとんどです。何かを感じるものの見えないおかしな空気が人を疲れさせます。わざと暗い表情を演出する人はいません。何か感知したというのは、何かがあるということです。問題が認識されたとしても、行動に移せなかったり、何もしないのです。当事者と対話し、方法を探しはするものの、特別な行動はしません。行動の結果表れた状況に対する処理は、さらに少なくなります。普通、自分の範囲を超えたと思います。放置することは、まさに職務放棄に値するにも関わらず、これを超える勇気や知恵が足りないのです。人だけでなく、仕事にも同じ原理が適用されます。例えば、写真ですが、最初に始めた時の熱気がだんだん冷めてきながら形式だけが残る状況になったとしましょう。そのような結果になった原因を分析し、新しいきっかけを作らなければなりません。このような状況でも、認識、行動、処理の過程が必要です。ところが、夏が過ぎれば秋がくるように、問題が起きた時に次に起きる事を当然の事として受け入れています。組織にとって最も致命的な欠陥です。

組織に問題が発生するのは一般的な事です。ある意味問題が発生し、処理する事が仕事です。

ところが、問題が起きる事に対して何の対処もせずに傍観する事例が頻繁にありました。
私があまりにも否定的に描写しているようですか?
何か否定的な気運が流れる時、その流れを回した事例がありましたか?
変化する状況に対して迅速な処置をするために店長、運営委員会、本社、全体会議と共に、各種、人間関係と今まで蓄積された経験があります。各主体は、変化する状況に対して迅速な処置をしなければなりません。このように変化する状況に対する迅速な処置は、感情に訴えたり、一度のキャンペーンには適していません。誰もが同意し約束しなければなりません。

自身が軌道から離脱したり軌道に乗った瞬間、自ら手を挙げて叫ぶ。
各個人と組織に肯定の信号や問題が起きた事を感知した瞬間、自身が主体となり公論の場に移す。
自ら手を挙げ叫ぶ人、自ら主体となり公論の場に移る人がONE POINTが追求する人です。 

このような人が多くなることがONE POINTの成功を保障します。すぐには難しいでしょうが一段階ずつ上がって行くのです。2017年3月、私達みんな1つだけ約束しましょう。

ONE POINTは秘密がない。自らパンドラの箱を開ける。
 

★. 50日の魔法
 
労働と人生が一致するということは、何を意味しているのでしょうか?
愛する人と共に生きるということは、化学的な結合が優先です。できるだけ、物理的な話を最小限にしようと努力します。そのため、結婚や同棲をする際、掃除や洗濯は半々でやろうという契約書を書きません。化学的な結合が完成できる、最小限の物理的な形式を生活しながら決めていきます。ところが、労働は、雇用主と被雇用主との正確な契約によって成されます。賃金労働者は、賃金をもらい労働力を提供します。雇用主は、労働力という商品を賃金を与えて買います。雇用主は少ない賃金でより高い生産性を目標とします。賃金労働者は、より高い賃金と労働条件を望みます。このように、対立する利害と要求が衝突します。甲の位置にいる雇用主と資本家の横暴を防ぐために、法律として労働権を保護するといわれていますが、労働者の力はますます弱くなっています。80年代から吹き始めた新自由主義は、世界経済のグローバル化と絡み合いながら、より高い利潤の保障と、資本の自由な移動が可能となりました。この結果、労働環境はさらに劣悪になり、日本が誇りとしていた中流階級もだんだん縮小しています。

労働と人生が一致しなければならない、現実的な条件は、大きく2つです。

1つ目に、自身の人生で労働をして過ごす時間が絶対的なのです。 

1日に労働する時間が1時間で、人間らしい人生を維持することができるのであれば、労働と人生の一致という言葉は生まれなかったでしょう。銀行に数百億を保有している利子所得者でないのであれば、1日に少なくとも8時間は仕事をしなければなりません。また、労働のために身支度をし、食べて、寝て、行ったり来たりする時間まで計算すると、人生の大部分が労働と関連しています。労働が人生と分離しており、労働以外の時間に、自分だけの有意義な時間を持つということは不幸なことであり、不可能に近いことなのです。労働がまさに、自己実現の中心に立っている必要があり、人間らしい人生を送ることができます。

2つ目に、体が正常に維持されていく限り、労働をするということです。

もし、10年間労働を通して得た収入でその後の人生を維持することができるのであれば、分離した人生も耐えることができるかもしれません。しかし、特別な高所得者や相続による富の世襲がない場合、1ヶ月の賃金で次の月を過ごしていくしかありません。いわば、老人になっても、労働をしなければなりません。自身の人生の大部分を、労働をしながら過ごさなければなりません。

1日の多くの時間、体を動かすことができるその日まで、労働をしなければならないということは、人生そのものが労働だと言えます。そのような労働と人生が分離しているということは、人間らしくないですね。ライフスタジオの目標は、人間らしく生きることです。そのために、労働と人生が一致しなければなりません。ところが、これがそう簡単な問題ではなく、目的意識的な努力を通して勝ち取るべきことなのです。

50日の魔法は、労働と人生の一致という側面で推進する政策です。
この政策の導入の趣旨を大きく2つに分けて説明します。

1つ目に、誰が誰にあげるのではない、自ら責任と権限を行使するためです。

既存の4人から5人に店舗の人員を増やした理由は、店舗で自ら自律経営店舗を作るためです。365日を基準とし5人が週5日を営業する場合、利益が少し残る構造です。現在の状況が決定的に変わらなければ、週5日営業は維持されなければなりません。各個人が責任と権限を行使できる日は1年に50日です。以前は、各個人の休暇が35日あり、残りの50日程度を店舗の判断で使用することを前提にしていました。ところが、店舗単位で50日使用するための効果的な方法が出ておらず、労働と休暇の分離が発生しながら、休暇も使用しないような結果が出ました。ならば、各個人に50日を与え、自ら責任と権限を行使することが労働と人生の一致という面で良い方向だと判断しました。

今でもまだ全体会議が休日に行われるということについて疑問を持っている人がいます。なぜ7~8年も悪く言われ続け、それでも全体会議は、自発的な参加だと言い続けているのでしょうか?ライフスタジオは共同体を目指しています。共同体は、労働と人生を一致させるための組織の性格です。全体会議は、共同体を維持するための形式であり、これは、自律的な参加を前提とします。無理やり、周りの目を気にし、仕方なく参加するということは、共同体の構成員になる資格がありません。勿論、構成員達の議論を経て、全員が同意するならば、全体会議を営業日とし、月に1度4日営業をすることもできます。しかし、問題は、現実で労働と人生の分離の根幹に全体会議があるということです。全体会議を営業日とすると、自発的な参加は崩れ、会議自体も労働として受け入れながら、ライフスタジオ、ONE POINTの論理的根幹を揺るがす可能性があります。そのため、今は休日に会議を行うことに反感を持っている構成員がいたとしても、現行の方式を維持しています。50日が、各個人に与えられるというのは、今以上に自律的な参加を通して、労働と人生の一致に近づくための政策です。労働と人生が分離されていると、50日は、ただ休む日となる可能性があります。50日は、各個人の変化発展のために使う必要があります。自らの判断と行動に責任と権限の原理が作動することを願っています。

2つ目に、量から質へ移動することです。

ライフスタジオを経済的な側面から見ると、1日に4人6件、客単価4万円、週5日営業、撮影率90%を根幹とし運営されています。4人で6件を8件に増やしたり、客単価を5万円に上げたり、人員を増やし週7日営業をしたり、撮影率100%になると、現在の構造が変わります。現在の水準を維持しながら、この構造を変えることができますか?少しずつ努力していかなければなりませんが、現在の構造の根本的な変化は、簡単ではありません。昨年作成したONE POINT計画書では、平均賃金40万円を提示しました。達成可能な目標ではありますが、それ以上の50、60、70に増やしていくのは事実不可能に近いのです。写真館は、この時代で残り少ない手工業方式の事業です。撮影者1人が7~8件撮影することは可能ですが、持続可能ではありません。結局、私達の収入は平均40から50までが、現在の構造でできる最高の金額です。漠然とした欲望から抜けないといけません。単純に今よりも多くもらうことを望むのは、偶然という盲目的期待です。考え方を転換しましょう。自身の人生を量から質へと変換しなければなりません。このような転換のための政策として、50日の魔法が企画されました。50日は、週に1日ずつ使用できる量です。つまり、週4日勤務になるという話です。毎週1日をどのように使用するのかという集団的な議論が必要です。1つの主題に対し、1年に40日程投資したら、私達の人生はどのように変わるでしょうか?

50日の魔法は簡単に実行することができます。各店舗に1年の年間カレンダーを貼り、各個人が、自身が決めた休日に50からカウントして記入していけばよいのです。店舗では、各個人の活動計画を共有しながら、だんだんと店舗自体の事業に対する提案が出てくることを期待します。50日をどのように使うのかによって、各個人の主題とプロジェクト、各店舗のアイデンティティがあらわれるのではないでしょうか?それでは、奇想天外な方法がでてくることを待っています。