レポートReport
2016.02.28「ひとつの点から始める2月」
2018/4/23
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[ひとつの点から始める] 2月
2016年 2月 28日 lee
皆様いかがお過ごしですか?春の訪れの音が聞こえてきます。
ライフスタジオが10年経過したくさんの思い出と楽しさがありました。意欲的に推進してきたことにはずれは生じたものの、10年前の私たちとは比較できないほどに成長しました。方向を信じることでここまで来ました。そFして再びはじめようとしています。春の訪れの音と共に聞こえてくる[ひとつの点から始める]の慌ただしい動きが希望を持つようにします。伝説までではなくても、私たちの信じることが現実から小さくても実現できることを願っています。
各自はその誰も代わることができない自身の人生を生きていきます。問題が発生すれば各自と私たちは、原因と結果の当事者として問題の領域に入ります。反対に幸せだという感覚が来れば各自と私たちは共有することになります。[ひとつの点から始める]に集まった人々は、問題の当事者でありながら、同時に幸せの共有を望みます。問題を解決しながら、自身が追求する方向に進むべき責任と権限の領域に入ってきたことを意味します。与えられた責任を放棄すると権限を行使することはできません。権限を体感しなければ、責任は意味を失います。責任を果たした後に権限を行使することは違います。責任と権限は同時に成されます。例えば、決定会議に参加することは、責任と同時に権限です。決定会議が責任だけならば持続可能ではありません。
決定会議に参与するということは、問題を解決するという責任であると同時に、問題を解決して前に進む経験を一緒にするという権限が作用しなければなりません。これまで一定期間、評価とインセンティブの話がありました。権限をインセンティブに限定しながら、当初の意図が歪曲されている結果が出ました。自身が評価されるということは、責任と権限に対しての評価です。責任に対する評価の結果を権限と誤解します。インセンティブは、権限に限定されるものではなく責任と権限のバランスのための調味料に過ぎません。[ひとつの点から始める]の報告書が発表されて一ヶ月が経ちました。[ひとつの点から始める]は、明確な目標があります。目標を達成するために、各自の決定のもとに集まりました。これは、責任と権限が明確に定められていることを意味します。必ずすべきことがあり、その過程で知ることになる、その何があります。しかし、まだ[ひとつの点から始める]を解釈するいくつかの視点があります。[責任と権限]の範疇から一ヶ月間行われた[ひとつの点から始める]を分析してみ必ずしなければならない核心に対しての話をしてみます。
1, 全体的に見れば [本当に 静かです].
[ひとつの点から始める]に参与している人たちは、当たり前のことを、当たり前にすることと受け入れています。ほとんどが古くから本社で仕事をしていた人々であり[ひとつの点から始める]の内容も以前にしてきたものの延長線として認識しています。実際に、特別な内容がないですよね。一緒に集まって、読み、書き、討論して結果を作ることは同じです。しかし、これまで私たちが行ってきた環境とは異なることが一つあります。もう退く所がないという点です。[ひとつの点から始める]が動力を失って失敗した場合、ライフスタジオが追求する目標の終末を意味します。失敗の結果がどのような方向に行くことになるかは誰も分かりません。だから、少し恐ろしくもあります。成功すれば、新たな転換点となり、これまで私たちが行ってきたものに対する補償と共に強力なエンジンが作られるものであり失敗したならばどうなるか私にも分かりません。[ひとつの点から始める]に参与している人々は、一種の使命感のようなものが必要なようです。私たちが追求し決定した方向が間違いでないことを証明しなければなりません。だからといって特別なことを要求するものではなく、[ひとつの点から始める]の核心を認識し、選択と集中をしなければならないという程度です。必ず成すべきことは必ず成して結果を待ちましょう。
[ひとつの点から始める]の志願者がいなかったことも珍しいことです。いつも人が多くて心配だったのが、今回は意外に志願者がいませんでした。読み書き討論することに対する疲労がたまっていたであろうし中断された期間の間に特別なことをしていないときの平穏さと無気力が同時にあったのではないだろうかと思います。自身が[ひとつの点から始める]に選ばれなかったことに対する不満もあるだろうし[どれ、どれだけうまくかできるのか見てみよう]という心理もあると思います。志願者がいないことに対する私の個人的な判断は、[本当にうまくいった]です。何かが鮮明になる感覚です。志願をしない理由は、それぞれの数だけあります。志願をするということは良いことでもなく、悪いことでもありません。志願をしなかったことも同じです。しかし、かつてはほとんどの人が志願をしましたが、今はそうではなかった。答えは[傾向性]だと思います。一言で志願する雰囲気ではないということでしょう。雰囲気を作り目に見えない手が作用したなら、以前と同じだったことでしょう。ところが、いつ始まるのか何をしようとしているかについての情報が不足したまま、どことなくうわさのように文章が公開され始まりました。このように言ってみると、以前に私たちがしてきたことが、自身の決定というよりは雰囲気に流されたり、他の人もするからするという公式のように卑下してしまいますね。
[ひとつの点から始める]のレポートでも明らかにしたように、過去5-6年は縮小の過程でした。ここまでくるのにしばらくかけて帰ってきたかのような感じです。
現在[ひとつの点から始める]のメンバーも[傾向性]によって動いているでしょうか?
[傾向性]という私の判断が間違っていることを願います。
2. [ひとつの点から始める] 目標と核心
[ひとつの点から始める]の目標と核心が何なのかについての明確な認識がないことを、面談を通じて知ることになりました。大体が[マニュアル1000という名前で再び読み書き討論をしようとしているのだ。一生懸命頑張らなきゃな]程度と考えて準備しています。そうすれば考えて準備することが、お互いが異ならざるをえません。目標を達成するためには必ずなすべきことをなさなければなりません。必ずすべきことがされたとき目標は達成されます。本当にすべきことをすることと適当に形式だけ残るのは天と地の差です。活動中断をすることになったのも決まったことを適当にして形式だけ残ったからです。目標と核心を理解し必ず達成しなければという決意がなければ、バスから降りるべきでしょう。
[ひとつの点から始める]の目標と核心に対する話を短くしてみます。
[ひとつの点から始める]の目標は[ひとつの点から始める]という言葉にそのまま表れています。ライフスタジオが成そうとする目的をひとつの点から再び始めようというのです。ライフスタジオの目的は、[人間らしく生きる]です。現在、人間らしくなく生きていると判断するので、人間らしく生きることを目的とします。もちろん、人間らしく生きることは、人間が持つ普遍的な目的ですが、現在の私たちの人生は、人間らしく生きることができない条件と状態であるゆえ、[人間らしく生きる]を強調することにしました。[人間らしく生きる]ために自立という言葉が表れ、あなた、私、私たち、が共に作られなければならないので[自立した人たちの経済共同体]という目標が出てきました。自立のための具体的な実践指針として[変化発展プログラム]を提示し、このために各種教育と学習をすることになりました。
目に見えない目的を現実に実現可能にするために、目標を設定します。[2013年体制]は、変化発展プログラムの装着が予測可能なシステムだと思いました。[論文プロジェクト]は、各個人が卵から目覚めるきっかけになることを期待していました。何か私たちの目標と合致するものが、現実から現れればその中身を集めて現実を構成します。殺人事件を担当する刑事が有無形の証拠を追って容疑者を見つけるように、私たちが成そうとする目標のための最初の実体が現れることを期待しました。過ぎ去った5-6年は、教育と学習に選択と集中をしてきましたが、同時に縮小の過程であり、最終的な結果は、中断でした。既に一年が近づいてくる活動中断のきっかけは、そのような実体が出るころから疲労感がたまって虚像の姿に向かっている私たちを発見したからです。
[ひとつの点から始める]はあきらめか再始動の分かれ道で下した決定です。再び始めるという言葉は、ライフスタジオの目的に向かって再び行こうという誓いです。目的達成のための最初のボタンが[ひとつの点から始める]です。それでは、ライフスタジオの目的達成において、[ひとつの点から始める]の目標は何でしょうか?
私たちの生活は不確実性に包まれています。幸せや愛、余裕という言葉を一言で定義するか、その実体を目で確認することは不可能に近いです。ただ感じるのです。満腹状態のある種の感情とも似ています。だから、多くの小説や芸術作品などから間接的に表現するしかありません。多くの人がこのように[不明、わからない]の不確実性のために苦しんでいます。それゆえマニュアルが氾濫し、結果を予測することだけするようになります。私たちが日常的に話している自立や変化発展プログラムと呼ばれるものも目に見えるようなものではないでしょう。教育と学習をしたからと一気に自立になることもありません。結果ではなく、プロセスとして理解しなければなりません。また、私たちはライフスタジオと呼ばれる組織の規定を受けます。自立を話すときだけ、壁を見て修養するかどうか一緒にするかどうかを選択する必要があります。普通の会社は、各個人が自分で自分の世話をしなければならように設定されています。山に数十年入って得道の境地に上がった人もいるでしょうが、ライフスタジオという組織が構成されている条件の中で共に目標に向かっていくしかなく、かつ、そのように決定しました。数多くの政策と成功事例がありましたが、私たちの目標が実行されるモデルは、作られていません。ほとんど試行錯誤の連続であった個人の努力、それ以上が発見されませんでした。
越谷、代々木店、[2013年体制]、[論文プロジェクト]などは、最初のモデルを作るための作業でした。何を言っているのかざっくりとはわかるでしょうが、目で見ることができないため、不確実性が増加します。この不確実性を遮断することが重要でした。すなわち、目的が現実に実装されている最初のモデルが作られなければなりません。[ひとつの点]という表現も最初のモデルを作ることができる最小限の範囲を表現した言葉です。
[ひとつの点から始める]は、人間らしく生きる最初の単位、モデルを作るプロジェクトです。人間らしく生きることを定義することができますか?文字で表現すると幼稚でなんとも表現しがたい話になります。それでも表現してみれば次のとおりです。
当たり前のことを当たり前にできることが人間らしく生きることではありませんか?
良ければ良いと、嫌なら嫌だと話して行動することができること。理性と感情が水が流れるごとく自然にバランスがとれていることではないでしょうか?余裕を基盤に何かに向かって着実に行くことができる力、不足して生じる欠陥ではなく、自身を捨てながら生きていこうという姿勢が人間らしく生きることではないでしょうか?このような経験をして見たことはありますか?定められている生活を生きていきながら生じる不確実性により、慢性片頭痛に苦しみ地面ばかりを見て歩いていないですか?
肯定と信頼を基盤に、自身の道を自ら作っていくことが人間らしい生き方であるとしたとき
現実から、ライフスタジオの中で具体的な実体を作っていく作業が
[ひとつの点から始める]であると規定します。
これに同意し、すべき事をしながら、自身のレベルに合わせて道を作っていくという人々を最小限に構成した状態を[ひとつの点]として表現しました。人間らしく生きる最初のモデルが作られたということを証明する方法は、一つです。周囲の人々が[ひとつの点から始める]に入ってくると大騒ぎをする状況が演出されなければなりません。各個人と組織の満足度は数字で表すことができません。各個人と組織が自ら持つ充満感によって発生する香りです。このような姿を見て私もしたいという人々がますます増えること以外に他の方法があるでしょうか?
ライフスタジオでは、最初のモデルを[内部文化]や[生きて動く組織]のような言葉で表現していたようです。曖昧さから逃れることができません。[ひとつの点から始める]が人間らしく生きる最初の単位、モデルを作るプロジェクトだと言いましたが、これもまたあいまいです。仕方ありません。先ずできる方法は、成功事例があちこちから出てこなければなりません。マニュアル1000を通じて自ら規定した内容が現実を変化させなければならず、メンバー全員が政治的効能感を感じなければなりません。また、人間関係の善の循環がなされ、共に働く本当の理由を経験しなければなりません。このような過程を通じて直営リーダーが誕生し、それらに起因する小さな共同体・コミュニティが作られなければなりません。成功の経験と事例が少しずつ蓄積され、最初のモデルが作られるということは、持続可能性が高くなることを意味します。このような過程を見守る周囲の人々は、妬み、嫉妬、無視の段階を超え、聞いて意見を出し始めながら[ひとつの点から始める]は、一定の軌道上に上がるようになります。
[ひとつの点から始める]の目標が人間らしく生きる最初のモデルを作るとしたとき核心的にすべきことは何でしょうか?
[ひとつの点から始める]は、いくつかの事業で構成されています。すべての構成要素が有機的に結合して実体を表わさなければなりません。有機的に結合された状態が[事が成されていく原理]ではないかと思います。事が成されていく原理や変化発展の原理、同じような言葉でしょう。私たちは、仕事を中心に集まった集団です。だから変化発展の原理から事が成されていく原理が強調されます。また、事が成されていく原理を強調する理由は、現実で私たちを挫折させる原因だからです。事が成されていく原理のすべての構成要素を知ることができません。図書館にあるすべての本を頭の中に入れたり、100年以上かかる多くの経験をすることはできません。しかし、私たちは事が成されていく原理があることすら知らない状態で仕事をしていきながら小さな問題が発生したとき、あまりにも多くのエネルギーを消費しながら仕事を駄目にします。事は自然発生的に問題を発生させます。見方を変えれば、問題解決自体が事が成されていく原理なのかもしれません。自身が予想していないことが発生したとき事が成されていく原理の中で、時間、動力、条件などを考慮して、問題を規定して解決することを解決して無視すべきことは無視して観察することは観察しなければなりません。ところが、自身が進むべき道は遠くにあるのに、自身の爪に刺さったとげですべての判断と行動をする愚行を冒します。
自身を成長させライフスタジオを自身と一致させようとする人は多いです。意思と情熱も高いです。しかし現実には問題が発生してどうすることもできない状況が反復されます。前進が遮断されだんだん後ろに押し出される局面が発生します。何かをしようとする人たちを観察してみれば共通点が発見できます。
走っていって少し変化をした自身を発見して時差ぼけの期間を経ます。再度走ってみるが以前と違う不便なことが発生しながら問題が発生してその問題に埋没してしまいます。しかし再度以前の自身に戻りながら活動の結果で受ける敗北意識と悲しい経験を胸に秘めます。回復しながらまたこの過程を反復します。これも変化発展の原理に該当しますが蓄積されない一過性の経験に陥り不確実性は加重され、人間らしく生きることへの方向と遠くなります。
事が成される原理は私達の人生とあっています。ご飯を食べて活動をしてトイレに行って寝ます。人生を営む原理の中で生きてこれを壊すような行為をします。時たま食べ過ぎてお腹が痛いこともあるし、風邪を引いて何にもか大変なときもありますが、生きていきます。適当に食べて適当に動いて適当に寝て人生は構成されます。
もしご飯を食べてトイレに行ったり、寝たりすることを忘れれば人生を維持することができません。即ち人生がなされる原理が適当でないからです。事がなされる原理も同じです。どんな仕事をするとしても何か古いものを新しいものへ、なかったものをあるものへと作っていくことです。
論議をして計画して実践して評価をします。しかしこの過程で原理が作動するというよりは自身が知っているまたは当面の現状に限った思考と行動をします。そうすると原理に合わないことが発生して段々事がこんがらがってしまいます。事が絡まると解かなければ成らないけれども、わからないことから抜け出すために、放棄したり、責任を違う場に回す傾向が発生します。
仕事の出発は現実です。現実は不道理であったり自身が願う世の中とは違います。変化の契機を発見しながら仮想の世界、変化した世界を創造します。現在がAであればBを想像します。計画を立てて過程を見てともに歩む人に説明をして同意を求めます。そうすれば変化が始まります。
AからBに行く過程には様々な障害物が現れます。それならばその障害物の性格を把握します。計画が間違っているのか、でなければ障害物を解決するべきなのか、でなければ帰ってくることなのかに対する決定をします。この過程が反復されれば知らないうちにBに近くなります。
このように現実を見つめて変化のきっかけを作り、計画を立てて実行をして出会う障害を解決しながら、ますます形が作られることが、事がなされていく原理です。そのために、数十万種類の技術が必要です。このすべてのことを知る必要はありませんが、重要なことは、事がなされていく原理がいるという話です。
事がなされていく原理は過ぎてみると、分かりやすいものです。囲碁で[リプレイ]という言葉があります。囲碁が終わって自分が置いた道を戻ってさかのぼりながら、どこで失われたのか、または誰も思わなかった神の一手だったのかを確認する作業がリプレイです。自分がしたことを再プレーしてみると事がなされていく原理があることを知ることができます。木と森を同時に見ている言葉があります。目標は、森を通過することで、そのために地図やツールを持っています。予期せぬ川が出てきて怖い動物と対面することもあります。川があれば地図を見て帰るか橋を作成するかどうか、または出発地点に行って、他の道を行くのかを考える必要があります。怖い動物の鳴き声を聞くと、武器や隠れる場所を探したり、恐怖を勝ち抜く他の考えをする必要があります。
リクルートという映画があります。序盤にCIAスパイを教育する過程で教官がこのような言葉を強調します。[即時判断、計画の修正、克服]。映画の中で見ると、スパイは情報を取り出してくる任務が与えられます。検索すると、出てくるのではないため人を欺くことを日常茶飯事のようにします。想像もできない変数があるだろう裏切り、陰謀、頭数を総動員する必要があります。最初の任務を言い渡されて計画を立てて実行に移すだけの現実は計画書がありません。だから教官は、[即時判断、計画の修正、克服]を強調します。私たちの現実も似ています。計画どおりになったらライフスタジオは今ユートピアを経験している必要があります。まず事がなされる原理があること自体を認識する必要があります。現実に行われた内容を客観させる作業に慣れていく必要があります。そしてしなければならない仕事をしながら事がなされていく原理が働いていることを体感する必要があります。ますます自分の事がなされていく原理が作られるということは、自らの道を見つけていくというのです。
[ひとつの点から始める]の目標を人間らしく生きる最小の模型を作ろうとしました。この為には事がなされる原理が重要です。ある意味[一つの点から始める]が、事がなされる原理を体得するシステムで構成されています。人間らしく生きる最小の模型を作るが形式だとしたら事がなされる原理が内容です。
[ひとつの点から始める]で[事がなされる原理]を自身のものとして作って行くためには具体的な実践指針があります。
- 構想から現実適用まで進行する
- 短時間のうちに反復する
- 投げて受ける
理論的に完璧だとしても投げて受けていないとか理論だけ通過して適用に無関心でいればその人はいい評価を受けることはできません。形式も重要ですが私達は事がなされる原理の具体的な実践指針に注目しなければなりません。
私達がしようとすることは仕事をすることではなく[事がなされる原理]を装着することが目標です。以前本社で会議をする時に撮影や本社業務と同じ日常的な仕事と[ひとつの点から始める]の仕事の配分に対する話をしました。
6:4、4:6程度の答えがあり私は0.1:99.9と言いました。愛する人ができたとき同じ質問をすれば0.1:99.9といいますよね?愛する人に会いたい心は砂漠の砂のように多いですがトイレも行かなければならないし、仕事もしなければならないし、同僚とお酒も飲まなければなりません。平常時とかわらない生活ですが0.1:99.9と答える理由はそれが私達の仕事をする目的だからです。自身の日常的な業務は日常的にやっていけばいいのです。
日常的にするということは大体やればいいということではありません。日常的にすることで私達の生活は維持されます。私達の人生を根本的に変える作業が[ひとつの点から始める]だと考えます。大体やってできるのであれば以前にできていたでしょう。事がなされる原理に集中しなければなりません。事がなされる原理は上記の3つの具体的な実践指針として確保することができます。
時間をたくさん投資しろという概念ではありません。3つの実践指針を実行しながら事がなされる原理が何かに集中しなければなりません。構想から現実適用まで進行しながら日ごと話される原理の全体把握をすることができます。短時間の間に反復しながら事がなされる原理に集中しなければなりません。
投げて受けながら事がなされる原理の別々な分子たちが何で構成されているのかを確認しなければなりません。ライフスタジオを全体的に見れば人間関係で苦しんだ人たちが集まった病棟の様でもあります。人間らしくありません。人間関係も事がなされる原理と直接的に連結されています。人間が関係を結ぶ原理も事がなされる原理と同じためです。
私達は人間関係に対して理論を習ったり実験をしたことがありません。直接経験します。大きな傷を受けながら人間関係を最も低い水準で設定します。自身が開発した薬を臨床実験無く人間に直接投与することと同じです。[ひとつの点から始める]は事がなされる原理を現実に適用するプロジェクトです。理論と実験、そしてこれに同意する人たちと共に作っていく遊びです。この過程を通じて人間関係がなされる原理も共に知っていくことができます。
整理してみます。[ひとつの点から始める]はライフスタジオの目的をひとつの点でまた始めるという宣言です。ライフスタジオの目的は[人間らしく生きる]です。よって[ひとつの点から始める]の目標は人間らしく生きていく最小の単位、模型作りです。[ひとつの点から始める]の目標達成の為には[事がなされる原理]が作られなければなりません[ひとつの点から始める]の事業は[事がなされる原理]の為の事業で作られています。[事がなされる原理]を私の体に装着する為の実践指針で構想して現実適用までしなければならず、短期間に反復して、投げて受けるを提示しました。
平素に強調していた言葉を要約整理したようにも見え、経験を一般化させて強要するようでもあります。どうでしょうか。私の能力がここまでで他の理論が提示できない状況で最大限努力する方法しかないでしょう。約束を一つしましょう。
[[ひとつの点から始める]で起こるすべての内容は3つの実践指針を基準とする]
特別なことではありません、会議の最後に自身と組織において3つの実践指針を守っているかを確認する時間を持ちます。もちろん各自は仕事をする過程で3つの実践指針に対する評価を進行しなければなりませんが、これは確認が不可能です。自ら表す方法の他にありません。そのための約束です。すべての評価の基準を実践指針でしようという提案です。3月決定会議で話をしてみたいと思います。
3. 人間関係について
4月新しい体系の為の人員配置をしました。その時わかりましたね。私達が構成している人間関係の実態を。。。。。。。。。。。。。。。混乱ですよね、、、
人間が始まりであり終わりだと考えています。関係は測定可能な現実です。継続される縮小と中断の背景は人間関係です。本社管轄店舗の人間関係は無いとか悪いとかの2つに一つです。本当に悲しいことであり、同時に可能性もあります。
人間が切に願いながらも最もできないものが人間関係です。人間関係の秘密を知ることになればこの世界を人間らしく生きていく最も強力な武器を保有するようになります。人間関係を通じて現在を維持したりよりよくなることを願っています。毎日食べる味噌汁をどのようにすればよりおいしく作ることができるのか迷うことではありません。できれば避けたい食べ物で避けることができなければ我慢して食べる形式です。どのようにすればいいですか?[ひとつの点から始める]ではこの問題を解決する方法がないでしょうか?
人が始まりであり、終わりであるために関係は私達の人生のすべての部分と関連しています。どこからどこまで、何をどのようにするかわからないくらいです。平素に考えてきた人間関係に対して簡単に書いて見ます。
関係というものは何かがあるという話です。何もなければ関係はないでしょう。関係の定義は2またはそれ以上の対象がお互いに連結してつながっています。何かあるときに同じものと違うものがあります。同じものは維持を意味します。維持は人生を歩んでいく根源です。しかし違うということから何かが発生します。違いを認知した瞬間から良い、悪いを決定します。
違いが新鮮に感じられ肯定的な関心に発展することもありますが、反対に悪くて不快感を与えたりもします。韓国の料理を始めて食べる日本の人たちは[これは何だ]という表情をします。意味は二つあります。[良い]と[悪い]です。生まれて初めて食べてみた食べ物ですから当然です。[良い]と[悪い]は違うということに対する2つの反応です。
[良い]は自身が経験したことのない味だけれどもおいしいと感じるということで、[悪い]はおいしいという自身の基準に達しないということで不快感を与えます。まず考えることのできるものは関係は[与える]ということです。何かを与えれば良い悪いは作られます。毎日決められた時間に来る電車に特別に何かを受けるものはありません。当然のものとして受け取るでしょう。朝に出会えばいつでも言う[おはよう]は維持に対してのみ関心があります。声のトーンや顔の表情が違えばこれは何かを与えたという話です。いったん与えることが必要です。それも違うように与えなければなりません。各自は人に違うように与えていますか?違いを話すこともなく与えません。恐れですね。
私が与えればその人が[良い][悪い]を判断するだろうし、[良い]であれば良いことであるし、確立上[悪い]か高いので与えることに躊躇します。また与えたときに[悪い]ということによりできた傷を認識するようになります。与えることをあきらめると5分ずつお互いに別に退勤するようになります。与えるためには自身がたくさん持っていなければなりません。
ここから問題が発生します。特に与えられるものはありません。[良い]というものをあげなければならないが別になく、むしろ相手に対して[悪い]というものが多くなります。与えるものは別になく相手に対して不平だけ大きくなるのに人間関係が持続することができるでしょうか。このような状態では何をしても意味がありません。上で本社管轄支店の人間関係が無い、または悪いといいましたが与えるものは特に無く、相手に対する不平だけ大きくなる状況に出てくる典型的な状況です。
多くの人は受けようとします。欲しいと要求はしないけれども基本姿勢は受けようとします。私のものを与えるのがいやだからではありません。自分が与えるものが特に無く与えることが[悪い]として帰ってくることに対する不安のために与えることを躊躇します。あなたが与えるならばそれを判断して私が与えるのか与えないのかを決定しようとします。もしあなたが圧状態にいて私が悪くなければその状態の改善のためにこの体を燃やして受けて立とうという覚悟です。
ここで重要なポイントはあなたがある状態にいなければなりません。したがって受けるのです。しかし事実基準は自身です。あなたのある状態であるということも私の基準で判断したあなたの状態です。私の口に合わなければ避けるという話と同じです。そして終わりなくその状態を待ちます。ライフスタジオに入社しようとする人たちは一様に言います。HPの写真を見て家族の愛とか愛らしい子供の話をします。自身の基準に合わせるためです。人為的に作られた空間でシャッターを押す権限だけを考えます。共に仕事をする同僚との関係は作らなければならないし顧客は自然とその状況が作られるために、特別に与えなくても自身の基準に合わせるために写真の仕事を継続します。したがって受動性が強化されます。与えることに躊躇して受けることに慣れてしまい段々自身の周りにある壁は高くなります。
確信は自身から始めなければなりません、自身からまず生産しなければなりません。いつ落ちるかわからない柿のために一日中口をあけている馬鹿らしい行為を中断して自身の中で作っていきます。すなわち自身の冷蔵庫に材料をいっぱいにつめて1から始めなければなりません、それで人、嗜好、状況、順序に合わせて与えることができます。1000名に一人程度にだけあう材料を持ってその人を待っているので現実は疲れて大変です。まず自身の冷蔵庫に材料を入れなければなりません。
どのように?
方法は普遍性に訴えることです。いつどこから誰にでも関心があるような内容を作ってその内容を与えなければなりません。いつどこで誰でも関心があるような内容は何でしょうか。笑わないで聞いてください。[マニュアル1000]です。約束しました[マニュアル1000]をすると約束しました。投げて受けることを約束しました。共に論議して適用して私達の現実を私達が変えようと[ひとつの点から始める]構成員たちは誰かが投げて真摯に受け取ると約束をしました。そのためお互いの貴重な時間を出して共にしていて責任と権限を行使すると、幼稚な話ですが事実です。与えないで受けなければ[ひとつの点から始める]は失敗するし、自身だけの人間関係の幅を広げる機会を失うことになります。
与えることと同時にちゃんと与えなければいけません。人、趣向状況、順序に合うように与えなければいけません。与えるという事も技術です。小麦粉で作った餅のように与えても、もち米で作った餅のように受け取ってくれたらいいものの、全ての人がそうではありません。もち米餅のように与えたときに、小麦粉餅の状態は避ける事ができます。ならば、どのようにすればようでしょう?
私が重要に判断するのとは、連続性です。今日1を話すと、次は1から派生した2を話さなければいけません。そして、次は、2.5を話、3を与えなければいけません。この過程で信頼が生まれ、自分なりの規則性が生まれます。常に香りが漂うようになるのか、10年に1度感じるのかの違いだけです。期待するように作るという事は、その人といると期待や安定、面白さ、充足感があるという話です。期待するようにさせる要素としては、生産的な連続性以上のものはないでしょう。
魅力が作られても、自臭を隠しながら、悪臭が発生する事も、生産的な連続性がないからです。その人を、考えると1が思い浮かびます。数字になった時に魅力といえますが、ずっと1のままだと悪臭になります。消費されているという感じたときから不便になります。毎回生産することはできませんが、螺旋型の連続性を維持しなければなりません。多くの人々が限界を経験し、再び1に戻ってきます。連続性が繰り返しに変わり、関係はずれはじめます。1が持つ限界から2に突破することが必要ですが、突破するということはそれほど簡単な問題ではありません。限界が訪れると悪臭が発生し、1つ2つと崩れ落ちていくような喪失感に襲われます。その場で死ぬ事はできないため、もう一度1に戻ってくるようになります。
決定的瞬間や時期があります。1から出発して1.8までは進むものの、この時が魔の区間です。2になるためにあがきながら2になったりしますが、ほとんど1に回帰します。決定的瞬間には、その瞬間1人になります。ご飯はよそって食べさせてあげられますが、ウンチを変わりに出してあげることはできません。この決定的瞬間に登場する言葉が[しなければならないことは、しなければならない]です。しなければならないことをしなければ、その時から、人間が持つ様々なことが集まってきます。風邪をひいたような、誰かを嫌に思ったり、しない理由を探そうとします。この時に、関係の問題が水面上に上がってくるようになります。その人の真の姿が発揮される時が来たのです。面談をしながら、このような状態にある人に質問します。[しなければならないことを、誰が決めたのですか?]。当然、その人が決めたことです。
次の質問をします。[やらなかったのではなく、できなかったのではないですか?]ほとんどの人は、質問の意図を把握できません。しなければならないことは、自分で決めた事であり、1.8に来てみると、2が見えないため戸惑っています。自身がしなければならない事として設定した2が、その2ではないという事です。2が3であったり、5である場合がほとんどです。ならば、修正しればよいのです。[私が1だった時、2はこれだと思ってたけど、1.8まで来てみると2は、最初に思っていた2ではなく、他の事だったのか。変化を与えなければ]健全ではないですか?妥協や回避の問題ではありません。1.8で、さ迷う人は、実際に正常な状態ではありません。一度ポンと押されたら簡単に倒れる人です。1.8から1に回帰する人の共通点は、2を確認していなかった点です。2が何なのかわかりません。2を確認した人は、1で回避せず1.8を始発点とし、もう一度計画を立てる人です。2が何なのか知らない人が1に戻ります。重要なのは、2は自分がどのように規定するにかかっています。1.8まで来て、これ以上は進めないと認め、自ら2を新たに設定した人は達成します。その人が2だと私達に与えてきたら、私達はそれを2と認め拍手を送ります。勿論、それは妥協や欺瞞にならないためには、真正性というエッセンスが必要でしょう。2を新たに規定し、再び3を準備する人に魅力を感じ、共にしたくなります。磁石のようにその人のそばに行くようになります。
単純に、規定の問題ではありません。自らそのように成る事と、波に流され未知の場所に押し流されて行く事との違いです..人間関係も自分の問題を自分が規定して解いていくのと、問題の原因を私以外で探し、どのようになろうとも自分が傷つかない事が重要だと考える所から分かれます。事が成されていく原理と似ています。人に与えなければならず、うまく与えなければなりません。意味なく繰り返される瞬間、問題は発生します。
決定的瞬間に、自身との闘いで自ら規定し、突破する事が唯一な道です。それを暖かい目で見守ってあげる忍耐力が必要です。
今まで、与えなければならないということ、与える時うまく与えなければいけないということを言いました。この2つさえうまくできれば、人間関係は高速道路に乗った車も同然です。この高速道路を走っていると、出会うのが信念です。信念で結ばれた人間関係の話をよくします。信念というのは、大それた理論を必要とするわけではありません。1から2、2から3、そして4が予想されるのが信念です。みんな、このような信念で結ばれた人間関係を望んでいます。[ひとつの点から始まる]は、人間らしく生きる最初の単位、模型作りだと言いました。人間らしく生きるということは、人間が普遍的に望む道ではないでしょうか?信念で結ばれた人間関係が、そのような道ではないでしょうか?[ひとつの点から始まる]の構成員に聞きたいと思います。[マニュアル1000をすれば信念で結ばれた人間関係が作られるしょうか?]、[ひとつの点から始まる。を一生懸命し、何かを突破するならば、信念で結ばれた人間関係が作られるでしょうか?]。私の答えはこうです。[分からない。なるかもしれないし、関係ないかもしれない。でも、私はなると思います。他の方法があれば提示し、なければやってみましょう]
4. 13p
[ひとつの点から始める]の核心事業は、13pです。1年の目標を3つの主題で達成していくプロジェクトです。13pは[ひとつの点から始める]の核心事業であり、成功するかどうかを検討できるバロメーターです。上記で話した3つの実践指針が具体的に適用される事業であり、人間関係を形成する中心軸です。また、この事業を通して成功経験と肯定的な内部文化を形成しなければならず、人間らしく生きる最初の模型が作られなければなりません。体に良いことだから、やらないよりは良いという程度の事業ではない、[ひとつの点から始める]で追求する価値と方向を現実に適用できる唯一の事業です。
13pについての面談をしながら幾つか共通点がありました。1つ目に、13pの意味と重要性に対する認識がないという点。2つ目に、大体が、論理が整っていないということ。3つ目に、宿題をやるように熾烈さや緊迫感が期待に満たないという点です。構成員達は、[ひとつの点から始める]に多くの内容があり、13pはその中の1つだという認識があったのだと思います。だから簡単に題名だけを出した状態で発表をするという形でした。面談が終わって1つ疑問が浮かびました。
なぜ私達はこんなふうに仕事をするのだろう?
外出するのに下着だけを着ているような感覚とでも言いましょうか?
流行に合わない洋服であったり、真冬に半ズボンをはいているというよりは、外出することが不可能な下着の姿で外に出ようとしているような感覚でした。机の脚が脆く、高さが合っていなくても、最低限、3つはないといけません。ところが、2つだけ脚があり、バランスがとれず、倒れないようにありったけの力を振り絞っている姿です。サッカーでの基本は、走る事とボールを自分のものにする能力です。基本テクニックがないと、いくら柔軟性と個人のテクニックがあったとしても限界が訪れます。私達も仕事をする上で、何か新しい仕事を始める段階で基本が脆いという考えにいたりました。未だに、現実と離れ、習う学生のような感覚です。私達の実力がこの程度だという考えよりは、何故基本ができてないのかということに対する話がしたいのです。
仕事というのはそんなに簡単な事ではありません。綜合芸術とも同じようなことです。自身が経験しできる事の綜合が仕事です。ところが、仕事に対して具体的に学んだこともなく、本当に仕事をしたことがないのかもしれません。写真を大学で専攻したとして、ライフスタジオで仕事が上手だというのと、どれくらい相互関係があるでしょうか?一部分ではよりうまくできる可能性を持っている程度です。むしろ、喪失の沼にはまっている友達を、お酒を飲みながら真に慰労し、良い方法を共に探す事の方が良いかもしれません。国家が指定した社会が作った教育問題です。大部分、社会に出て、床にヘディングをするように学ばなければなりません。仕事は、どのように構成されていて、どのような過程を経るのか、何の能力が必要なのかに対する悩みを最初から、もう一度やらなければならなさそうです。
事が成されていく原理について話をしました。13pが事が成されていく原理を具体的に事業化したという思いです。我田引水(他人のことを考えず、自分に都合がよいように考えたり、物事を行ったりすること)のような解釈ですが、言葉を作ってみるとそうです。このように考えてみるのはどうでしょうか?13pは、事が成されていく原理のための事業です。13p自体も重要ですが、事が成されていく原理に対する自覚のきっかけとし、自分だけの事が成される方式を確立する事業です。自覚について哲学入門で学びましたよね。客観化させ、真空状態を経験し、自分自身がそのように存在するということが自覚であると。13pをやってみると、自身が主題にしている内容を書き、発表し、適用することに集中していくことになるでしょう。13pの核心が、事が成されていく原理にも関わらず、宿題をやるように、自身の主題にだけ集中していく可能性が高いのです。勿論、集中することは必要ですが、13pの核心が、事が成されていく原理だということを忘れず、自身が行っている事を、客観化させる作業を優先しなければいけないのではないでしょうか?ならば、投げて受ける事も、事が成されていく原理に関する内容にならなければなりません。事が成されていく原理で、現在私はどの地点にいるのか、そして私の行く手を妨げている障害物を何として規定するのか、その障害物を除去する私だけの方法は何なのかに対する内容を投げて受けなければなりません。
構成員達は、13pを決めました。各自の内容が実現されるならば、一言で[大当たり]です。[マニュアル1000]の話をする時、世界初、日本初という言葉を使いました。面白く表現した言葉でしたが実は事実です。当たり前のことを当たり前のこととして受け入れる社会で、当たり前の事を各個人や組織が規定し、現実に存在するようにするということ自体が伝説であり、人間らしさです。死を目前に、あなたが人類と日本の社会に残したものは何ですか?と、質問されたら何と答えますか?鈴木なら[ライフスタジオの写真を規定し日本の写真文化を変えることに寄与したと言え、清子なら、目覚めた市民になるために、教育プログラムの基礎を作りました。という事ができ、正国は35pを通し労働と賃金の関係を究明しながら、少しでも労働の真の意味を知ることができました。と、いうのではないでしょうか?13pは、うまくいけば伝説であり、できなければ、さんざんやってきた宿題の内、数字が1つ増えたにしか過ぎません。
13pをうまくやるのも重要で、この過程で事が成されていく原理を知っていくことも重要です。この2つが共に回るタイヤのようです。片方が回らないと、もう片方に直接影響がいきます。13pは、仕事の基本に関する事業です。自身が仕事を行っていく傾向を変える作業です。
5. 新しい翼
現在、朴泰赫を中心とし、[新しい翼]という名の集まりが活動されています。数回集まりがあり、[日本のウエディングを整理する]と[ついに関西へ]という話をしています。新しい翼が作られた背景を簡単に説明します。[ひとつの点から始める]を構成し、提案書を書きながら、ライフスタジオの未来について考えました。[ひとつの点から始める]は、基本的に外から中に深く入り込む事業です。ライフスタジオは、10ある個別の法人と18の店舗で構成されています。10の法人は、不可侵領域です。18ある、店舗も簡単に変えることはできない塊です。[ひとつの点から始める]は、10ある個別の法人と18ある店舗を基準に、もう一度ひとつの点から始める事業です。他の言葉で言うと、中に深く入り、ひとつの点から10の法人と18の店舗に向かうということです。つまり、これから、現在の人員と規模は大きく変化しないことになります。この作業は何年かかるでしょうか?3年、5年10年…一言で言うと、死ぬまでやるということではないでしょうか?ひとつの点から始まるというのに、新しい店舗をオープンしたり、ライフスタジオの次元で新しい事業を起こす事はできません。そうなると、2つの質問が浮かびます。
この作業の最適人員はどれくらいか?
この事業だけで、心がときめくのか?
本社、加盟店、事業中断、Bチーム、Dチーム、オーナー達、成人写真、新しいエネルギー、韓国人等。ライフスタジオが10年経てきながら発生した事の結果物等があります。この全ての結果物を[ひとつの点で始める]で受容することができるのかという悩みが始まりました。[ひとつの点から始める]は、最小限の人員がひとつの点を構成し、自ら表れる事業です。[ひとつの点から始める]がライフスタジオの唯一の事業だといっても全ての人々と共にやることはできません。つまり、10年の結果物を[ひとつの点で始める]が、全てを受容することはできないのです。もう1つは、[ひとつの点から始める]は、未来が予測可能です。成功と失敗の結果が予想でき、私達の方向と形態を確認する事業です。それ自体も重要な事ですが、重要な事と心が弾む事には違いがあります。私達が持っている能力の半分しか使っていないということです。何か新しく、私達の心が弾む事をやらないといけないという考えは自然なことです。勿論、現実で出来るのかという事は別の問題です。このような意見を言った時に、誰かが手を挙げました。朴泰赫が、自分がやると意見を明かしました。具体的に何をするかは、今はわかりませんが、自分が請け負い自分の方式で、推進して見るという言葉に、その日はお酒をたくさん飲みました。新しい事業は、10年間何回も話してきたことですが、結局誰がやるのか?という時に、その誰がいなかったのです。朴泰赫が手を挙げ、自然に話しが続きました。
その後、緩やかに[ひとつの点から始める]の人員が構成され、新しい翼は朴泰赫を中心とし、草加店と.withが行動隊員、李ウンヨンと朴禹圭が左右の翼で支えていく姿が作られました。新しい翼では、所有構造、意志決定構造、事業の方向性についての論議を行っており、現在ウエディングと関西地域に進出という話がされています。まだ、公式的に発表するくらいではなく、内部の論議を続けている状態です。
[ひとつの点から始める]と[新しい翼]は、同じ事業でしょうか?違う事業でしょうか?
それは、やりかた次第でしょう。良い方向で言うとこうです。まず、領域が広がります。分配と資源活用の側面で、シナジー効果が期待できます。[ひとつの点から始める]は、既存の家を直す作業であり、[新しい翼]は、新しい土地へ行き、荒地を開墾する事業です。確認と創造の弁証法的発展を追求できる、理想的な構造です。[ひとつの点から始める]で、生産される理論と現実適用は、そのまま[新しい翼]として認識されなければならず、[ひとつの点から始める]で可能性を発見した人員の新しい活動空間として[新しい翼]が役割をもたないといけない。また、[新しい翼]で新しく始める活動空間として[ひとつの点から始める]で再構築材料にならなければなりません。うまくいかなければ、話すことはないでしょう。
まあ…これくらいにして2月の間[ひとつの点から始める]で起きた内容についての説明を終えます。
それでは、春風と共に3月に会いましょう。