フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

『 旅立ちの理由 』

投稿日:2018/3/31

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No.24  Life studio Shonan
photographer :  Masashi Kuroki
coordinator :  Akiko Miyokawa
 
 
 
 
                                   あなたが尊敬する人は誰ですか?
                                 尊敬する人がいるならばそれはなぜですか?
                           もしかしたらそれは過去の自分と重なる部分があるからかもしれません。

 
 


あなたの尊敬する人は?と問われれば、私の頭にはギタリスト、プロレスラーそして父母など様々浮かびますが
その中でも映画監督で、と言われれば私はまずティムバートンを上げます。
映画「バットマン」や「シザーハンズ」「チャーリーとチョコレート工場」等々でご存知の方も多いかと思います。
その中でも、私は中学一年生の頃に劇場でバットマンを見た時に身体に電流が流れたかのような衝撃と安堵感を感じたのを覚えて
います。
その衝撃というのはバットマンという人物だけにではなく、その映画の持つ世界観にです。
全体的に暗く明暗がはっきりとしてエッジの効いた画作り。
どことなく奇妙な描写。
そして、重厚で深みのある音楽。
この世界観というのは元々、もしくはたまたまその映画が持っていた訳ではなく、この監督がこの映画に付けたものです。
彼の世界観が今の自分には切っても切り離せず今の自分にへと影響しています。
 
彼は幼少の頃、描く絵や発想に奇妙なものが多かったため周りから奇異のレッテルを貼られていたそうです。
ある種それは「個性」であるのに周りのマイナスな感情から「奇異」となってしまいました。
そしてひとりで遊ぶ事も多くなったそうです。
彼は「子どもの頃に孤独感を経験するとその後に誰より多くの友達が出来たとしても
当時感じていた気持ちはずっと付いて回るものだ
」と言っています。
そこで彼は、その自分の奇妙さこそが自分らしさなのだと受け入れ肯定することで自分を作っていったそうです。
私は小学校五年生の頃、これといった理由も無しに一年間クラスの仲間はずれにされていました。いわゆる「集団しかと」です。
当時は「引きこもり」「登校拒否」などという言葉を知らなかったので学校には毎日泣く泣く登校し、家に帰っては一人
枕に顔を埋めて泣いていたものです。
そこで、いつしか子どもながらにこの状況から抜け出すため、クラスのみんなを笑わせようと必死になりました。
そして五年生の終わり頃、クラスのボス的存在の子が私のした事で笑ったのをきっかけにその状況は元々無かったかのように
消え去りました。
もしかしたら、バットマンを観た時に感じた安堵感とは孤独を味わった事のあるバートンの世界観の何かが私に作用したのかも
しれません。
 
彼のインタビューの言葉の中にこうありました。

 
                     「 孤独を排除するために個性をつぶすのではなく、
                        自分らしさと受け入れて、それを糧とすることで唯一無二の存在になれる」  

                                                                                 Tim Burton

 
「自分らしさ」という言葉は私生活でもよく耳にすることですが、このライフスタジオでも「私らしさ」「その子らしさ」
「そのご家族らしさ」という言葉はいつも自分たちの隣にいます。
ここで撮影をする事になってから六年間、いつもその言葉を頭の真ん中に置き、葛藤し探究をし答えを探していました。
そしていつしかその探究は「自分らしさ」の探究に変わっていきました。
今となって私はこう思います。
「自分らしさを知らなければ、その子らしさは残せない」
したがって、この探究先の変化は自然なことだったのでしょう。
ライフスタジオでは皆、自ずと自分が自分を探し、自分を知っている自分を作ろうと努力しています。
その自分を自分で受け入れることが出来た人達が、その家族と向き合い、素直な気持ちで接し、シャッターを押せば
自ずとその家族らしい家族のための写真が浮き上がるはずであると思います。
 

どの照明器具も勝ることの出来ない太陽の光一発。
こちらから見て逆光に射す光が家族に当たってはじめてその光の姿を表す。
その光が生んでくれる家族のエッジ。
よりリアルな現実を表現するため一歩、いや、二歩家族に近寄る。
画角を敢えて狭くすることで無意識に想像させる空間の広さ。
そして、この写真が列記としたライフスタジオの「家族写真」であるということ。
 
 
そこにある家族の風景。
その家族は今、写真館にいます。
ですが、あたかもお家にいるような光景として残す。
それが属に言う「自然な写真」のひとつであり、
これもまた「ライフスタジオらしさ」のひとつなのかもしれません。
 

自分を、そして自分らしさを知る事はとても難しいことです。
もしかしたら、知っているつもりになっているだけかもしれません。
ただ、私はこのライフスタジオで「自分」の見付け方をひとつ知る事が出来ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


それでは、私はまた新たな自分らしさを見つけに出かけます。






















 

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