フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
Weltanschauung
投稿日:2015/12/31
921 0
Photo by Chiba
Codi by Gahee
私達は思い描いている世界観があります。
それは自分の瞳を通して観ている世界です。その瞳を通して観ている世界とは経験をもとに考えることの出来る範囲であり、他人からの影響で知った範囲であります。『私なりの常識』とでも言えましょう。なのでその世界観とは何億通りもの感性や見方が存在し、また、人と人とが触れあった時に広がっていくものです。
その中でそれが誤りであったということが判明することがあり、それに気づいた時にまたその事柄の真実に気がついていくのだと思います。その繰り返しの中で成長を感じ、それを成長と呼びます。
何事にも『確実に』または『絶対的に』と言い切れることはなく私達はただただその事柄は他の事より正しい可能性が高いということしかわかりませんし、そう判断するしかありません。ゆえに私達は毎日同じ場所で、同じ時間帯で撮影しながら変化を求め前へと進むために考えもがく日々を送っているのかと思います。少なくとも私はそういった日々を過ごしています。そのもがく時間こそ人生におけるターニングポイントであり、それが大きかろうが小さかろうが越えるべき壁は多く存在していると考えられます。被写体のコンディション、イメージ不足、撮影の流れ、ファインダー越しに見た画角、被写体の姿勢、被写体へのアプローチ、そして私自身のポテンシャル。人それぞれで様々ですが常に課題が降ってくるようで自分の撮影中の過ごし方はどうすればよりよく出来るのか反省の日々でもあります。だからこそ写真は人を教育してくれます。写真の面白味とはそういう所だと感じますし、そのためにこれまで学んできた全てを少しづつ修正していくのだと思います。
たくさんの事を知って、たくさんの好きなものをみて自分自身の物の見方の正しさの確立をあげ自分が人の経験値となれる様にし、私も相手も豊かにして行こうと思いました。
これまで同じ場所で何度も撮影してきた中で発見した新しい被写体の見方がありました。固定概念が強い場合に、存在した写真しか残せないこと。それが問題になってきます。つまりはそこ止まりの世界観だったということ。場合によってはそれが世界観とも言えるのかも知れませんが常に前に進むためには沢山の知識と技術を手にしなければなりません。
自分の中でしかない世界観。
相手にも世界観はあるにも関わらずそこに気付けなかった。
おそらく『らしさ』を写す勘違いだったのかもしれません。
もちろん、自分の世界観は大切にしていきたい。また相手が居てこその写真ということを大切にしていきたい。
その大きくも小さい葛藤を私は埋めて生きたいです。
彼女は4度目の撮影で余裕がありました。10歳であり2人の妹弟がいる長女である。家族の話をたくさんしてくれました。話し方、振る舞い、全てに置いて余裕がありました。家族の前ではお姉さんとして、そして一人の時は一人の女性として。彼女の印象が美しい女性で、10歳ながら大人の様であればそのとおりに残したい。
接してわかる彼女の世界観を写せるように私は彼女を、彼女は私を知れるようにと。撮られる彼女が自分を好きになれる面をみいだせる様にと。
Codi by Gahee
私達は思い描いている世界観があります。
それは自分の瞳を通して観ている世界です。その瞳を通して観ている世界とは経験をもとに考えることの出来る範囲であり、他人からの影響で知った範囲であります。『私なりの常識』とでも言えましょう。なのでその世界観とは何億通りもの感性や見方が存在し、また、人と人とが触れあった時に広がっていくものです。
その中でそれが誤りであったということが判明することがあり、それに気づいた時にまたその事柄の真実に気がついていくのだと思います。その繰り返しの中で成長を感じ、それを成長と呼びます。
私達が学んできた全ては論理と確立によるものです。
何事にも『確実に』または『絶対的に』と言い切れることはなく私達はただただその事柄は他の事より正しい可能性が高いということしかわかりませんし、そう判断するしかありません。ゆえに私達は毎日同じ場所で、同じ時間帯で撮影しながら変化を求め前へと進むために考えもがく日々を送っているのかと思います。少なくとも私はそういった日々を過ごしています。そのもがく時間こそ人生におけるターニングポイントであり、それが大きかろうが小さかろうが越えるべき壁は多く存在していると考えられます。被写体のコンディション、イメージ不足、撮影の流れ、ファインダー越しに見た画角、被写体の姿勢、被写体へのアプローチ、そして私自身のポテンシャル。人それぞれで様々ですが常に課題が降ってくるようで自分の撮影中の過ごし方はどうすればよりよく出来るのか反省の日々でもあります。だからこそ写真は人を教育してくれます。写真の面白味とはそういう所だと感じますし、そのためにこれまで学んできた全てを少しづつ修正していくのだと思います。
たくさんの事を知って、たくさんの好きなものをみて自分自身の物の見方の正しさの確立をあげ自分が人の経験値となれる様にし、私も相手も豊かにして行こうと思いました。
これまで同じ場所で何度も撮影してきた中で発見した新しい被写体の見方がありました。固定概念が強い場合に、存在した写真しか残せないこと。それが問題になってきます。つまりはそこ止まりの世界観だったということ。場合によってはそれが世界観とも言えるのかも知れませんが常に前に進むためには沢山の知識と技術を手にしなければなりません。
自分の中でしかない世界観。
相手にも世界観はあるにも関わらずそこに気付けなかった。
おそらく『らしさ』を写す勘違いだったのかもしれません。
もちろん、自分の世界観は大切にしていきたい。また相手が居てこその写真ということを大切にしていきたい。
その大きくも小さい葛藤を私は埋めて生きたいです。
彼女は4度目の撮影で余裕がありました。10歳であり2人の妹弟がいる長女である。家族の話をたくさんしてくれました。話し方、振る舞い、全てに置いて余裕がありました。家族の前ではお姉さんとして、そして一人の時は一人の女性として。彼女の印象が美しい女性で、10歳ながら大人の様であればそのとおりに残したい。
接してわかる彼女の世界観を写せるように私は彼女を、彼女は私を知れるようにと。撮られる彼女が自分を好きになれる面をみいだせる様にと。
この記事をシェアする