フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
ひとつになる
投稿日:2015/4/30
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草加店写真
人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・
家族写真を撮る時に私は最大限、その家族を『ひとつ』にしたいと考えています。
『ひとつ』にしようと考える理由はいくつかありますが、
まず前提として家族とは一番身近な人間関係だという事です。
母親のおなかから生まれてきた私たちは最初に、両親と関係を結んでいきます。
母親からおっぱいをもらわなければ私たちは生きていけないし、
父親の存在があってこそ家族として経済的に自立ができ生活ができます。
このように、子は親から沢山のものを与えられて大きく育ったいきます。
親が子に対して与えられるものとしては、
衣食住が安心して提供されている空間、
知能が発達するような遊び道具、
自分の存在を認めてくれる無条件の存在が居るという心強さ、
常識や知識や社会の現実や厳しさなど様々である。
そうした全てを総称して、私たちは『愛』という言葉を使っているのではないでしょうか。
だから、愛は与えるのことです。
では、次に与えるとはどういうことなのかをもう少し考えていきたいと思います。
私たちが幸せでないとき、私は愛されていない。私は満たされていないと自分のことばかり考えています。
もちろん自分のことを考えるのは必要な事ですが自分のことばかり考えていると意識が自分にだけ向く可能性が非常に高くなります。
今日もなぜか虚しい、つまらないし、なんか嫌だな言葉にして顔を上にあげている人はいない。ですから、そのように自分が幸せな状態でないとき人は下を向いています。
目線は下を向いています。このような状態ですと見えるのは自分の足元だけになり限られた視野の中で自分のことを考えようとします。
そういうような状況になってしまうと自分の周りにあるものが見えなくなります。
このような状態は目線だけでなく心の状態もそうなのです。
私は愛されていない。自分は満たされていない。と自分のことだけに意識が向きますから
自分に与えられているものに気が付かないし気付けないのです。
与えるとは誰かに何かをしてあげることですが「、何かをしてあげようと思うと意識が相手に向かいます。この人は何を喜ぶのだろうと考えるので。
そうすると心の目線も相手に向けられることになるし相手に意識を向けることによって心の視野が広がってきます。
心の視野が広がった分、
〖自分にも沢山与えられているものがあったんだと〗
気が付くことができるようになります。
与える時に注意しないといけないことがあります。
それは相手に意識を向けるという事です。
自分が何かをほしいから相手に何かをしてあげる。
これは見返りを期待していることなので、自分が欲しいものが相手から貰えなかったときに拒絶されたり、傷ついたります。
そして何かをしてあげることで負けたような気持ちになり自分が何かを我慢しているのであればそれは犠牲にしていることになります。
与えるとは見返りを求めず、自分が我慢することなく誰かに何かをしてあげることです。
ですから、与えることをやりはじめるととても難しいということが分かります。
だから与えられることに感謝するという確認行為は
本当の意味で人から何かを与えられるということがどういうことなのか、
またその与えられるものがあるという有難みを本当の意味で分かるのだと思います。
そういった意味では、自分の与えられたもの大切にすることは
当たり前のことかもしれませんが非常に重要なことなのです。
だから記憶を記録するという目的の中には、
与えられてきたも、与え続けてきたものを忘れないでおくということも含まれるのだと考えます。
家族写真は、与えられたものと与えるものを同時に記録することができる非常に素晴らしい写真だと考えます。
だから、家族写真を撮る時に家族をひとつにするということに集中する大きな理由としては、
与えられたものと与えるものをひとつに統一して記録することにより、
人間関係をより豊かに築く『人生の価値』が
目に見える形として表現できるからだと考えます。
人生の価値である人と人との『関係』は、私達の日常を大きく変えるというよりは、
日常の土台となって私たちを支えてくれるものなではないでしょうか。
だからこそ、その土台の上で生きていく日常はどんな状況でも
自分のことだけに捉われるのではなく、意識的にでも相手のことを考えて
人に意識や関心を向けながら生きていくことが大切だと考えます。
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