フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
Two-Faced
投稿日:2016/1/6
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Photo by volvo
Coordinate by ta-na-
Lifestudio No.2, URAYASU
写真には二つの物語があると私は考えています。
ひとつはその写真が本来持っているストーリー、もうひとつはその写真を見た人が想像するストーリーです。
写真には見る人に想像させる力があります。
よくドキュメンタリー番組などで流れる戦場の写真などからはその1枚に測り知れない程のストーリーを感じさせます。
写真が見た人に想像力をかき立たせる1番の理由は「一枚の静止画を、人は動画の中の一枚として確認する」からだと私は思います。
言葉を変えれば、一枚の画から過去や未来を想像させるのが写真です。
分かりやすいのが動画との違いです。
動画は、伝えたいことを伝えきることが出来る性質を持っています。
例えばサッカーの試合を90分の動画で見るのと、決定的な1シーンを一枚の写真で見るのとでは点差やメンバーなど伝わる情報量が違います。
ハイビジョンテレビの走査線は1080本あり、1秒間に60回コマ送りをする事で動画として視聴者に伝えたいことを確実に伝える役割を果たしますが、
反対に写真は動いている被写体のほんの一瞬、たったの1枚を切り取る事に核心があり、簡単に言えば「これを見てどう感じるかはあなた次第」感が動画よりもより強くなります。
一方で撮影者は、写真を見る人とは反対でシャッターを切るきっかけを得るために目の前にいる被写体を動画の中の一枚の静止画として捉えようとします。
ファインダーを覗いている時に「あ、今だ」という瞬間を察知する能力は、動いている被写体を一枚の写真として残そうと集中している人にのみ訪れる感覚です。
撮影者と写真を見る人の性質が反対になる理由は、撮影者は「作成者」だからに他なりません。
撮影者は「動画」を見ながら「静止画」を作り、写真を見る人は「静止画」を見て「動画」を想像します。
その撮影者がどの瞬間を切り取る感覚をもっているのか。
5/60なのか43/60なのか。
それは撮影者によって変わり、結果として表現が変わります。
その決断する力は、撮影者の持っているものに委ねられることになります。
先ほどの例で言えば、サッカーの中の1シーンを写真に残したとして、それによってどれくらいの想像を沸かせるかはその内容によります。
決定的なゴールシーンが写っていれば試合結果が予想できますが、芝生だけが写っていても何の写真かよくわかりません。
つまり決定的な一枚の写真は、それだけでその写真の前後を説明することが出来るという事になります。
戦争の写真を見て色々なことを考えてしまうのは、その写真の前後、過去や未来、背景などを見る側が想像してしまうからです。
ところが、想像したものが現実とは違ったりその写真の本質とは違うこともあるかもしれません。ほとんどがそうだと思います。
そもそも私は写真は伝えたいことが必ず見るものへと伝わるものではなく、又伝わり切る必要も無いと思っています。
その写真が伝えたいことはその写真の持つ物語として表現をすればいいし、それを見た人達がどのような物語を想像するか。それもまた自由なのだと思っています。
私達撮影者が精進しなければならないのは、この二つの物語がどれだけ膨らんでいくのかをイメージしてシャッターを押すことではないかと思っています。
私は、被写体のうつむいた姿や、顔の見えないもの、後ろ姿や影などおおよそ写真館とは思えないような写真を撮る事があります。
しかし、必ずではありませんがモニターでこのような写真を見た親御さんは喜んでくれます。
直接喜んでくれる理由を聞いたわけではありませんが、それはただ表情の見えない後ろ姿だからではなく、この一枚の写真から
動画のようなこの一枚の前後にある物語を想像できるような一枚を目指しているからなのではないかと、私は思っています。
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