フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

Pure and Simple

投稿日:2015/10/31

1023 2

Photo by volvo
Coordinate and write by kudo
Lifestudio No.2, URAYASU

まるでそこにいることが、当たり前かのように。
その場所が、その時間が、その衣装が、その写真が、あなたのものであるかのように感じる。
それは、純粋でシンプルなもの。
「その人だけの写真」であること。
「その人にしか出せない何か」があること。
その写真の世界が織りなす物語の主人公であり、その主人公が違えば物語も違い、それぞれにその人自身が生きている写真であること。
それこそがライフスタジオにおける被写体の概念であると私は考えます。

「ローマの休日」、「マイ・フェア・レディ」のポスターのオードリー・ヘップバーンを見ていると、
そのポスターにとてもフィットしていて、オードリーが纏う衣装・世界観・背景、そのポスターを構成する全ての要素が
彼女の為にあるような感覚に陥ります。
オードリー自身の被写体としての魅力や演技力、人としての素晴らしさももちろんあるのでしょう。
しかし、そのように全てが彼女の為に構成されたかのようなバランスと自然さは、それだけでは説明ができません。
それは「映画」の世界だから、もちろん演出というものがあります。
そこに出演している女優が、あたかも自然に主人公のように見えたり、その世界の住人のように感じられるのも、
演出という要素が色濃く出ていると思います。
それは映画という非日常を、その女優の日常のように感じさせる技術であると私は思います。

その被写体がそこに存在していて当たり前の様な、かと言ってその世界観は日常では味わえないような。
そんな「自然」と「不自然」を融合させるのが、私たち撮影者たちが日々行う写真を撮るということです。
スタジオという非日常の中で、その被写体の存在を自然に引き出すためには、
「その人」に合った衣装と、「その人」らしさを引き出す声掛け、何よりも「その人」が誰かということを知ることが必要です。
「その人」が誰かということは、年齢が高くなればなるほど隠れていきます。
赤ちゃんのように、泣いたり、笑ったりして感情表現をする年齢ではありませんし、人目も気になる年齢です。
だから、私たちは会話をし、「その人」の反応を受け取り、またさらに投げかけ…。
そうして「その人」が誰かということを徐々に知っていく過程を踏みます。

そうして「その人」から出された反応を受け取って、どんな衣装が合うのか、どんな場面が合うのかを考え、
どのようなポージング・どのような動作・どのような表情を引き出せば、その人が自然で魅力的に見えるのかを考えます。
それは、被写体・コーディネーター・カメラマンの相乗し作用していく関係性と、お互いに投げ出し受け取り反応しあうことで
世界観の広がりを生み出すことになります。
そこに生まれる写真は、自然で、統一感のある写真であり、それが「その人」自身の写真になる。
そうしてライフスタジオの写真は創出されていくと私は思います。

被写体である「その人」は、恥ずかしがりながらも少しずつ心を許してくれて、私たちの存在を受け入れてくれて、
一緒に撮影に入ってくれたvolvoさんは、私のコーディネートを受けて、被写体である「その人」から発せされる様々な要素を見て、
さらに「その人」自身を引き出すような声掛けや、わかりやすい動作の促し方をしてくれました。
そしてその人に合った演出は淡いモノクロ。
コントラストが強く、明暗がハッキリしているモノクロ写真はよく見ることがあります。
しかし、​その顔立ち・表情・動作、その場所に合ったもの、何よりも「その人」を表すためにvolvoさんは淡いモノクロという表現をしたのだと思います。

その時に一緒に撮影に入った被写体・コーディネーター・カメラマンが、それぞれ、投げかけ、受け取り、反応して生まれていく写真。
決して同じものは撮れない写真。
なぜならば、人はひとりひとり同じひとはいないからであり、「その人」自身の美しさや魅力を引き出す写真であるからこそ、
その関係性や演出、声掛けや動作も変わってくるからです。
ライフスタジオに来る誰にでも、「その人」にしかない美しさを、「その人」だけの写真を生み出していくこと。
そのためには、ポスターの様な演出も、モデルのように撮ることも必要です。
重要なのは、「その人らしさ」を引き立たせる世界観であることと、「その人」がいて自然な写真であること。

まるで映画のワンシーンのように。
まるでファッション雑誌の一ページのように。
被写体と、衣装、世界観が統一された写真。
だけど、その写真はそれだけではない「その人」自身を表す写真となること。

それがライフスタジオの写真が生み出されるということではないかと私は考えます。

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