フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
CORE
投稿日:2015/7/31
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Photographer:Volvo
Coordinaite:Kaori kobayashi
Lifestudio No.2, URAYASU
先の工藤さんの書いた文章にもあるように、私たちはその子らしさとそれを美しく残すことの両立を図ることが求められています。
もしもそうでないのならば、ライフスタジオの撮影理念は成し遂げることができませんし「私とあなた」のバランスが取れていない状態と言うことになります。
その子らしさとはいわゆる「生命力」のようなものともいう事ができますが、それを表現する為に必要なことはたくさんあります。
その中でも一番分かりやすいのは「動くこと」です。
よく「被写体を動かす力」と言いますが、目が、顔が、手が足が、その人が動けば動くほどその人らしさは現象として現れ、現象を記録する写真という媒体にとって、動くということは「その子らしさ」を表現するための絶対条件とも言えます。
私はこの「動くこと」について二つの考えを持っています。
ひとつは「自由と規律のバランス」、もうひとつは「何をもって《動いている》と判断するのか」です。
「自由と規律のバランス」とは、言い換えると「自分の意図をしっかりと持ちながらどこまで柔軟にできるか」とも言えます。
撮影に来てくれるのは大体が子供達です。子供達はこちらの予想を超えるものをたくさん提供してくれますし、それが一番の美しさであり撮影の醍醐味でもあります。ところがこちらに予想を超えるものを受け止める力が無ければ逃すことになりますし、そもそも被写体から発せられる
ものだけを待っている状態ではカメラマンとは言えませんので、まずは撮影者自身が枠を設定することが必要になります。
しかし、その枠も、被写体から発せられるものも二度と同じ状態はやってこない相対性を持つことから、自由と規律のバランスは常に変化していきます。だから難しいですし、楽しい部分でもあります。
また、「何をもって《動いている》と判断するのか」という言葉を言い変えるならば「自分はどんな基準をもってシャッターを押しているのか」ということになります。「その人らしさ」を導くために被写体を動かし、それによって現れた子供達の予想を超える動作を捉えるには撮影者の中にそれを感じ取るアンテナが必要だからです。
ただ単純に被写体を動かし、動作のみを捉えていくだけでは「被写体を動かす」とは言えません。被写体を動かすとは「生命力を生み出す為の行為」だと思っています。だから動作の大小とは関係がありません。
この写真は指示をした部分とそれによって生まれたもの、その中に現れた決定的な瞬間とそれを逃さないフレーミングと設定の技術的な準備の総合を表現しています。
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