フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
『record』
投稿日:2015/3/20
931 2
Photographer:Volvo
Coordinaite:Nishi
Lifestudio No.5, Koshigaya
よく「撮影の時、何を考えてシャッターを押しているのか」と聞かれることがあります。
私は撮影に関わるすべての事柄に対してアンテナを張っているつもりではありますが、もし撮影で実践しなければならない事に優先順位があるのだとしたら、一番最初に成し遂げなくてはならないのは被写体の特性を知る事だと思っています。
被写体の特性を知るというのは外見的なものももちろんですし、それも含めてよく言われる「相手に深く入る」という行為と
言い換えることもできます。
言い換えることもできます。
しかし私がこの言葉を聞くたびいつも思うのは、撮影において「人に深く入る」とは一体どういうことを言うのかということです。この言葉は本当によく使われますが、いまいち抽象的で「わかってはいるんだけど」という域を出ません。
例えば笑顔を引き出すことということもできますし、被写体らしさを表現した時だとも言われます。そうした表現のどれもが間違ってはいないと思いますが、被写体によっては来店した時から笑ってる人もいますし、被写体らしさ、ありのままだけを撮るのならば技術の必要性は少なくなります。そのどれも正解のようで「人に深く入る」という言葉の全てを説明しているには何か物足りない印象を受けます。
私は前に投稿したフォトジェニックで、撮影とは「技術と対話の相互作用である」と書きました。私はそれが撮影における「人に深く入る」
ためのキーワードだと思っています。
ためのキーワードだと思っています。
写真として表現するならば「意思疎通の結果物を形に残す」とも言えます。
例えば好きな人と付き合いたいと思ってアプローチをするとしたら、話しをしなければそもそも気持ちも何も伝わりませんし、彼女の好みを
知らなければ話したとしても実りなく終わってしまいます。
知らなければ話したとしても実りなく終わってしまいます。
撮影も同じだと思います。
話をしなければ被写体の特性を知ることはできず、逆に被写体から見ても私たち撮影者の特性を知ることができません。ようは意思疎通とは
撮影者と被写体が互いに自分を知らせる行為、投げ出す事だと考えています。
撮影者と被写体が互いに自分を知らせる行為、投げ出す事だと考えています。
意思疎通は、ラジオのように送信機と受信機の周波数が合わなければ成されません。
被写体がどんなに自分を表現していたとしても撮影者のチューニングが適切でなければ見逃すことになります。
逆に言えば、受信機の性能が上がればあがるほど被写体から出る微弱な電波も受信することができ、情報は多く入ってきます。
だから私はいつもたくさんのアンテナを張ろうと心がけています。
そして、そのチューニングをうまくする事が技術と言われるものだと思っています。
私が撮影においていつも持っていたいと考えている技術としてのチューナーは「目的を持った統一感」です。対話、技術、ポーズ、動作、表情、目、光、全てに「目的」を持った状態を作り出すこと。なぜその光なのか、なぜその構図なのか、なぜそのポーズなのか、なぜその目なのか。それらすべてがひとつの目的のもとに構成される
状態が私の中の意思疎通であり、写真における「人に深く入る」という事の根本になります。
この写真で最も注目すべき点は「彼の目」です。
この目からはまるで卒業式シーンの台本を読み込んだ役者が窓辺でたそがれているようなたくさんの感情を感じることができます。
彼はとても元気で明るくたくさんの表情を見せてくれたので、だからこそ見えてくる「動」と「動」の間にある「静」に周波数を合わせそのためのポーズと光を組み合わせました。
ホームページのour mindにこのような文章があります。
『その瞬間の感情を表現し思い出として記録していくこと。それが写真なのです。写真館はその瞬間の感情ほどではなくとも可能な限りの人為的な条件を作り出しその中で最大限に自然な姿を引き出していかなければなりません。そして同時に楽しい時間として記録されていかなければならないのです。』
「静」の瞬間に訪れるらしくない瞬間とそれでも彼であるという二面性を表現できるのが写真であり、人生を記録することなのではないでしょうか。
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