フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

主観的な写真

投稿日:2012/3/11

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私の写真は主観的である、と私の写真の先生から教えてもらったことがある。それまで全く気がつかなかったが、私の写真は計算され説明できるものというよりは、主観的に自分がいいと思うもの、を撮影している要素が強いという意味だ。

この写真を撮影するまでの経緯を説明すると、彼女はひどく撮影を拒んでいて敏感な彼女の肌には化繊の衣装がどうしても嫌で涙が溢れ、声が響き渡る撮影だった。

でも、彼女の笑顔を撮ろうとして、コーディネーターで入ってくれたかきさんや、パパやママがあれこれ全力で頑張ってくれた。結果として彼女は、やっぱり嫌だった。私は、お母さんに「たくさんほめてあげてください」と言った。

お母さんは彼女の側に行って抱きしめた。パパは自然と頭をポンポンとした。夕陽がさした。ハイキーになった。1STEPおとした。

お父さんとお母さんの輪郭が光って、とても美しく見えた。私は、これは子育てをしているお父さんとお母さんのいい写真だと説明する。これでも主観的である。

しかし、感情移入してしまった。私は、彼女のような子どもだったから、彼女の母親がどんな気持ちか聞いたことがある。また息子も彼女と似ているから私はよりお母さんのことがわかった。何度泣いて、何度も苦しんだんじゃないか、そう思った。本当はもうすこしお父さんに前に出てもらえばよかった。深度の点からそう思う。

しかし、私は、この時声がかけられなかったし、とっさのことで絞りを操りきれなかった。それでもこの写真は良い写真だと思う。なにより空気があたたかい。いいにおいがする写真だと思う。「・・・思う」じゃなく、なぜ良いのか、具体的に説明するにはもう少し私の知能が必要だけど、被写体と撮影者の間に愛がある1枚を撮影したから、これはいい写真だと私は考える。

 

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