フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

幸せの温度

投稿日:2018/1/30

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幼い頃の記憶
人それぞれ、覚えている記憶の量は異なる。
外で身体いっぱい遊んで泥んこになった土の匂い、
幼い頃住んでいた木造の階段のキシキシとした音、
大好きだった公園から見た住み慣れた街の風景、、、
情景ではなくもしかしたら初めてタッチが出来て、喜んでくれたお父さんとお母さんの表情の記憶かもしれないし、
兄弟と遊んでケンカをして泣いてしまった涙の味かもしれない。
 

目で見た光景、感じた感情。
味わった思い出の味、匂い、音、、、
どれも愛おしいもの。
もし、もう一度思い出したいと思えばそれを感じる場所に行くこともできるし、食べることもできる。
しかしそれは“モノ”だけ。
思い出したいのはきっとそれだけではなくて自分への愛情を感じる温もり、相手の体温や触れ合った人と人の質感、
心動かされる愛情という目に見えない五感を超えた特別なものだと思います。
 
お母さんの身体に安心して身を預け、気持ちの良さそうな赤ちゃん。
瞳を閉じて大好きなお母さんの心臓のリズムを感じながらきっとお腹にいた時の感覚、
心地よい温もりを感じているのでしょう。
今、感じられる自分への愛情と懐かしい記憶を共に感じる、幸せの記憶はこうやって構築されていく。
そしていつか大人になった時、幼い記憶が少なくても、どんなに断片的であっても必ずそこには心から愛されていたという愛情があったのだと、幸せの記憶はなくならない。
 
なくならないけど見ることはできない。
だから写真がある。
たった1枚の写真から記憶を辿ることもできるし、そこから想像させることもできる。
そこに母の顔、髪の毛、体が僅かにしか写っていなくとも伝わる姿。
 そして赤ちゃんの気持ち良さそうな気持ち、母の我が子への想い、
余白の白の部分には2人の心、幸せの記憶を表現しました。
母の目から見た我が子の姿はお母さん自身に愛おしい気持ちを思い出してもらえるように。
お子様には自分を見守るお母さんの表情を想像してほもらえるように。

いつかこの赤ちゃんが大きくなって自分が愛されていたことを確認したくなった時、
または思い出してほしいとお母さんが思う時がきたら2人で見てほしい。
少し照れ臭い写真かもしれないけれどこの1枚にたくさんの愛情がここには詰まっていて、
お互いの温度を感じられると思うから。
 

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