フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

「彼女と私」

投稿日:2017/1/31

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彼女からにじみでているもの
彼女の奥に潜んでいるもの
彼女が自ら発しているもの
彼女が見てほしいと思っているもの
彼女の心のうったえ

私から見えるもの
私が感じること

誰かが彼女の魅力を引き出そうとかける声かけ

そこにあるもの
カメラを通してとらえたその世界

要素と要素がぶつかり合い重なり合い
織りなされる一枚の写真

自由に
そして、まっすぐ…。

彼女と私

彼女と私は正反対

写真だって
性格だって
得意と苦手も…

けど、
彼女と私はどこか似ている
お客さんに言われる
電話の声がそっくりですね!って
なんか姉妹みたいですね!って
息があってますね!って…。


ライフスタジオのマインドに美しさの表現という言葉がでてくる。
被写体が自ら表現する美しさ。
コーディネーターが引き出す美しさ。
カメラマンが捉える美しさ。

カメラ、レンズ、光、構図…
すべての物的条件的要素。

それらに加え
被写体、カメラマン、そこにいる人たち、空気…。
そこにある全てが1つになり、1つの形として表現される。

写真は、今、その時、その場所、その共同体により生み出される芸術なのだと思う。

被写体のもつ美しさは、その個々により違う。
同じ被写体でも、その場その場の雰囲気によって被写体の美しさの表現は変化する。
そして、同じ被写体、同じ空間にいても、それを捉えるカメラマンの思考や目線によって、映し出されるものは違ってくる。

写真にはどこか自分が入る気がする。

この日は水戸店の皆がお互いを撮りあった。
被写体1人、コーディネーター1人、カメラマン2人を、みんなでローテーションして、撮りあった。

みんなで生みだしている空間の中で

彼女が私を撮ってくれた。
私も彼女を撮った。

彼女の撮った私は、カッコよく表現されている。
自分だけでは引き出せない、表現できない、見ることのできない姿。
いつも知っている自分、自分が主観的にみている自分とは別の姿。
新しい自分との出会いがそこにあった。

私の撮った彼女は、どこかまだ少女の面影を残す。
彼女は、妻であり、母であり、普段の姿を表面的にみると強くて、元気で、ザ浜っ子な元ヤンキーガール。笑
けど、頭の中ではちゃんと考えてる。そして、本当はきっと弱い。

私+αが、彼女のフィルターを通しうつしだされたもの

彼女+αが、私のフィルターを通しみえたもの

写真を通して、私を知ることができる

写真を通して、彼女に気づくことができる

写真を通して、そこにいるすべての人で空間を共有することができる

だから写真って、おもしろい。



Mito Photo
Photographer:erika
Model:yuki
Other involved:mikiko.karen
 

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