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Permanent invariance

投稿日:2017/1/31

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変わらないもの、と言うととても曖昧で大雑把な括りではありますが、私たちの人生の中にはその「変わらないもの」がたくさん溢れています。
日々進化していく時代で、永遠に変わらないものというのは恐らく限られてくるのではないかと思います。
その中でも、私が思う「永遠に変わらないもの」の最たるものは、【家族】という関係性なのではないかなと思います。

父と母という存在は、どこまで行っても父と母でしかありません。
それ以外に、あり得ません。
例え私が50歳になっても、100歳になって父と母がこの世にいなくなってしまっても、そこには変わらず【家族】という関係があるのです。

自分にとって、人生の中で永遠あるいはほぼそれに近い状態で変わらないものって、なんだろう。
そんなことを、最近よく考えるようになりました。
環境、心境の変化もあるのかもしれません。

【家族】という言葉がまず出てきたのは、私がこの仕事を選んでいることが大きいのかもしれません。
この仕事に、誇りと、愛情と、そして楽しさを感じているからです。

「職業:カメラマン」と言うようになってから、今年で5年になります。
これまでに、たくさんのご家族様と出会って来ました。
そのご家族様もきっと、これから先何があっても、その関係は変わらないでしょう。



彼女達姉妹に出会ったこの日も、彼女達の姿を見て、ずっとこのままでいて欲しいと強く願いました。
三姉妹ということもあり、きっと私自身と重ねてしまったこともあるのかもしれません。

三人共が着物を着て、それぞれが主役で、とても華やかな撮影でした。

この1枚を撮ったのは、ちょうど一番下の子の揃撮影が終わった直後でした。
まだ小さな彼女にとって慣れない着物での撮影というのは、緊張もするだろうし心にかかる負担も多少なりともあるでしょう。
この位の年齢の子の撮影では、特にその部分に注意を払いながら、なるべく負担にならないよう、短時間で撮影を進められるようにしています。
それが無事終わり、私自身もほっと一息ついた時でした。

2人のお姉ちゃん達が、自然と妹の元へかけていき、「頑張ったね」「可愛かったよ」と声をかけてあげていました。
その自然な姿に、彼女たちにとっては当たり前の光景に、強く心を揺さぶられました。
お姉ちゃん達から妹への、深い、深い愛情を感じた瞬間だったのです。

午前中の柔らかい光が差し込む時間帯。
大通りに面した大きな窓からは、光が溢れるように注ぎ込まれてきます。
すぐさま私は自分の位置を移動して、彼女たちがその光に包まれる場所に移動しました。

その愛情あふれる瞬間は、逆光によってより美しく洗練されたシーンに変わるのだという確信がありました。
そこに不要だった黒い柱は、レースのカーテンで前ぼかしを作ることで消し去ることができ、なるべく彼女達だけの世界を作り上げることにしました。

ここで選択出来た構図は、他に圧縮写真や上半身のアップ写真もありました。
私がこの構図を選んだのは、人物に寄りすぎてしまえば、彼女達の間にある「愛情」を抑え込んでしまうような気がしてしまったからです。
ここに絶妙な空間を作ることで、その光の柔らかさや彼女達の愛情の広がり、子供ならではの伸びやかさを表現しました。
そして、華やかな彼女達の着物姿を、全身で美しく残したいという思いからでした。

またここでは三人の中で特に一番下の妹に注目を集めたいと思いました。
それはこの1枚のテーマが「お姉ちゃん達から妹への愛情」というものであったので、その対象である妹の表情に注目してほしかったからです。
妹を見つめるお姉ちゃん2人の表情はよくわからない角度です。
だからこそ、白い歯を見せてにこやかに笑む妹の表情が、より際立っているのです。
この瞬間が正に、私の待っていた、狙っていた瞬間でした。



そしてそれはまさに、「飛び込んできた」感情でした。




「アンテナを張る」という姿勢は、クリエイティブな活動をしている人たちにとってはとても重要なことだと思っています。
カメラマンにとっても、とてもとても重要なことです。
クリエイティブということに限らず、もっと多くの場面で言えることかもしれません。
アンテナを張るということはつまり、常に周りを意識し情報を探し求めている状況とも言えますから、そうした状況下にいる人達にとって皆大切なことだと思います。


撮影中だけに限らず、生活の中の多くの場面でアンテナを張るように意識しています。
私にとってのアンテナは大きく分けて二種類あります。
一つは「自分から掴みに行くアンテナ」と、もう一つは「向こうからやってくるアンテナ」です。
言葉にすると上手く表現できないのですが、何か小さなきっかけがあり、その「何か気になるな」と思った瞬間が前者、思いも寄らぬところから表れて「どうだ、気にせずにはいられないだろう!」と訴えかけてくるのが後者です。




今回、彼女達を見て反応したのは、後者のアンテナでした。
けれどそこにも、私自身のアンテナがなければ反応し得なかったものがあるのは確かです。
彼女達がこれから大きくなっても、この関係はなくならないで欲しいと思っています。
幼いころの私と姉妹を思い、どこか懐かしく、羨ましくもあり、そしてとても愛おしいと思えるのです。

いつも兄弟・姉妹写真を撮る時の私の原本の1枚目は、全員がカメラ目線の写真から始まることが多かったのですが、この原本では珍しく、こうしたイメージ写真を1枚目に選びました。
それを選んだ自分自身にも少し驚き、無意識のうちにあった自分自身の撮影スタイルを「変えさせた」のも、彼女達の存在なのです。


変わらないものもあればもちろん、変わるもの・変えなければならないものもあります。

ライフスタジオのホームページに、こんな言葉があります。


―現在は “記念写真” だけで構成されている日本の写真館の概念を変えなければなりません。―


ハウススタジオ型写真館と呼ばれるものが、ずいぶんと増えてきました。
従来の「記念写真館」というものは、どんどん減ってきています。
きっちりと、仰々しいイメージのあった写真館というものが、ずいぶんと生活の中に近くなり、その一部にもなってきています。
写真館という概念は、確かに変わって来ています。
けれど一方で、「日本特有の文化」というものは、決してなくしてはいけないものだとも思っています。
その中でも、着物文化というものは後世にまで残していきたいものでもあります。
お宮参りに始まり、初節句や七五三、卒業式、成人式、結婚式等、日本文化の中では節目のお祝いで着物を着る人がたくさんいます。
それが、日本人にとって当たり前だと、私は思っています。


先日、とあるテレビ番組の中で、中国から観光に来ていた女性が話していました。

Q.どんな目的で日本へ来られたのですか?
A.主人と結婚10周年なので、その記念に着物”体験”をしに来ました。

この女性の言葉を聞いて、改めて、着物というのは日本独特のものなのだと感じたのです。
チャイナドレス、漢服、チマ・チョゴリ、アオザイ等、同じアジア圏であっても着物とは全く違う形の衣裳が、それぞれの国の服としてあります。
着物を”体験”するために日本を訪れる外国人。
そこまでしたい魅力が着物にあるのだと思うと、やはりこの着物文化だけはなくしてはいけなものなのだと思ったのです。


人生の中で、あって当たり前のもの、変わらないものは意識していないだけでいくつもあります。
その存在に自分が気付けるかどうか。


そこには、人生をより豊かにするためのヒントがるような気がするのです。




Photo:Miya
Coordi:Noro

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