フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
声に応えること、とは。
投稿日:2016/9/30
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撮影に対する思い、感じたもの、表現したかったものとは―
入学の記念として撮影に来た彼のこの撮影を始める前に、ママから一つの要望をお伺いしていた。
「前歯が抜けているので、(歯が)見えているのと見えていないのを、両方のパターンで撮ってください。1人、兄弟、家族どのパターンも、両方お願いします」。
彼と同じくらいの年齢の子ならば歯が何本か抜けているのはごく自然なことで、パパママからも「この(写真を撮る)タイミングで抜けちゃって…」と苦笑いをされている姿もよく見かける。そうした、歯が抜けているということに対して少しでも気にしていらっしゃる様子がある場合(もちろんそうでない場合も)、事前に「口を開けて笑っている写真を撮っても良いですか?」と確認をする。けれど、こうして事前に念押しをされるということは、普段よりもお子様の表情を気にして、撮影後の写真を見られるのだろうと思った。
だからと言って撮影スタイルや雰囲気を変えるわけではなく、ママのその一言をいつもの撮影以上に頭によく書き込んで臨むことにした。
穏やかでよく笑う彼は、家族や弟と一緒にいる時がとても楽しく大好きなのだろうということが、ファインダー越しに伝わってきた。家族・兄弟写真では、そんな彼の様子をあまり制限したくなく、最低限の「口を閉じている表情」を残すことに留めた。
その後、彼1人の撮影に入ったのだが、彼自身も「口を開けないように」と意識していることが、よくわかった。まず私が撮り始めた場所も、それまでの明るい雰囲気から一転し、クールな雰囲気の場所を選んだことが、もしかしたら彼に少なからずそうした意識を持たせる影響を与えてしまったのかもしれない。
私から表情の指示を何もしていないけれど、彼は最初から口元を閉じて口角を上げた表情をしてくれていた。
入学という、それまでの幼稚園生という子供らしい雰囲気から、男の子という雰囲気への変化を表現するために、しばしば私はその表情やポーズに細かい指示を出すことがある。今回の彼にも初めのうちはそうしていたのだが、彼の表情がどうも気になって、あまりこちらから細かい指示を出しすぎてしまうと、彼の表情がどんどん固まって行ってしまうような気がしてしまった。
そこまでで、所謂「かっこいい」写真はたくさん撮れていた。あと少しだけ残っていた写真は、彼の彼らしい表情を残したいと強く思ったのだ。口元を気にせず、今だからこそ撮れる「前歯の抜けている写真」を。
そのためにまず用意したのは、彼がうつ伏せ出来るぎりぎりの大きさの椅子。そこにうつ伏せになってもらい、「椅子が小さいけど、絶対落ちないでね?落ちたらこちょこちょするからね!」と、彼の笑いを誘いながらその目線をカメラに誘導する。まずその一言で、彼に少しだけリラックスしてもらうことが出来た。それからは、彼と私の一対一での会話の時間だ。
それまでは望遠レンズを多用して撮影していたが、ここでは彼に思い切り寄りたかった。彼の僅かな表情の変化を逃さないように。
コーディネーターは近くにいる弟と一緒に遊んでくれているため、自然と私と彼の空間になる。それまで物理的に遠かった彼との距離も縮まり、彼の表情がよりよくわかる。
「カメラの真ん中の色が変わるんだけど、何色に見える?」。
撮影中よく使う言葉だ。この言葉を彼にかけた瞬間に、私は集中した。それまでの彼の口角の上がり方が、意識的にされていたものから、筋肉の弛緩からくるものへと変化する瞬間を捉えるために。自らの口元に向けられていた意識が、私の提示した「カメラの真ん中」へ向けられる瞬間を。
そして私はそれに成功した。
口元だけではなく、目元も、それまでの表情とは違い柔らかい印象をしている。
モニター時にこの写真が流れた時にも、ママから一際大きな「可愛い!」という感嘆の声を頂けた。ママのご要望だった、「口を閉じている笑顔の写真」を、不自然でない表情として残せたことに安堵しつつ、この1枚にかけた「瞬間」に確かな手応えを感じた瞬間だった。
この写真の核心とは―
この写真の核心は、「意識的な中に生まれた無意識の表情」である。
前述してきたように、被写体の彼自身が、抜けている歯が見えないように口元に意識を集中していた状態であった。その中で生まれた、「口を閉じている【けれど】意識的に見えない口元」。
彼は恐らく、口を閉じて微笑むということが上手な子なのだと思う。だから余計に、それを意識している時とそうでない時というのがわかりにくく、それでいてとてもわかりやすい。というのは、ずっと意識的にそうしている姿に見慣れてしまうと、それが自然なのだと思ってしまうのだが、一瞬口元が緩んだ時のその表情は、その直前までとはまるで違う。
その「無意識」を知ることで、それまでが意識的なものだったのだと改めて知ることになる。
それを見つけるためには、彼が「今」意識しているのかそうでないのかをまず見極めなければならない。その意識している状態で、その意識を他の方へ向けさせることが出来た時、彼本来の表情が出てくるのだ。
この1枚を撮るために適用した技術とは―
この1枚を広角写真として撮ると決めた時、まずその効果をわかりやすく出せる場所を選んだ。ここでポイントにしたのは、画面右側の白い扉である。この扉には格子がついているため、縦横のラインがたくさんある。それを画面の端に配置することで、中心に向かってそのラインは集まるように描かれる。ラインの終着点に被写体の顔が来るような配置にすることも意識した。
また背景のポイントとして入る緑も、被写体にかぶってしまっては意味がなくなってしまう。格子扉と背景のポイントである植物の間には、窓がある。その窓の部分は何もない空間であるため、そこを埋めるという意味でも被写体の位置を決定した。
次にライティングについて話をすると、まず光源は画面右から来るライト。左側に設置してあるライトはすべて消し、ダブルライトにならないように注意した。また、右側のライトを全てつけてしまうと明るくなりすぎてしまうため、真ん中の部分を3、4つ程つけた状態にした。
ポージングとしては可愛らしいイメージのあるものだが、男の子らしさを表現するために顔に影を付けたいと思った。そのため、被写体の体・顔の角度も、顔半分に当たる光は少し落ちるように調整している。
最後に被写体との距離を測る。レンズは24㎜にし、ぎりぎりまで被写体に近付くことでより広角写真としての特徴を出すように意識した。
ここで構図の切り方として、椅子の上面ラインで切ってしまうと椅子の脚が切れてしまうため、被写体の寝転がっている場所が椅子の上なのか何なのかわからなくなってしまう。しかし椅子の脚を入れると、床の余計な部分が写ってしまうため、画面内のバランスが悪くなってしまう。
そこで椅子の脚元にランドセルを入れたのだが、ここではランドセルの入れ方が効果的ではないため、入れない方が良かったかもしれない。ランドセルとカメラの間に植物の前ぼかしを入れており、これは右下の床を隠すためのものである。ランドセルをなしにして、この植物の位置を調整すれば、画面下の比重が少し軽くなりより被写体に目線が行きやすいものになっていたかもしれない。
この撮影で得たものとは―
普段、パパママからのご要望やご希望があれば、出来る限りその期待に応えられる撮影・写真を撮ろうという意識が働く。けれどそれはいつも、それに「応える」ということが自分の中でのゴールになってしまっていたのかもしれない。
今回も、ご要望としては「口を閉じている写真」という、言葉だけ見ればとてもシンプルなものだ。けれど、ではただ口を閉じていればいいというわけではない。口を閉じていても無表情であったり、写真のイメージ・雰囲気も統一感のないものであれば、それは本当に「ただ口を閉じている写真」でしかないのだ。そしてママのご要望としても、口を閉じているというのは最低限のもので、そこには笑顔やその他被写体の彼のきらきらと輝く表情が必要条件なのだということは、言うまでもないことなのだということは理解しなくてはならない。
今回この撮影の中で、私はその一歩先を考えた。
被写体の彼が表情やポーズを作ることがとても上手な子だったということはもちろんあるのだが、ママのご要望をただのご要望で終わらせるのではなく、そこにいかに被写体の彼らしさを加えられるか、ということが重要なポイントになる。
彼がリラックスできるポージング、言葉かけ、私との距離。そうしたもの一つ一つを、いつも以上に意識しながらの撮影であった。
年齢が上がるにつれて、被写体となる子供達には様々な意識が働く。その意識の間を縫いながら、その緊張を解しながら、被写体の魅力を出来る限り引き出して残していくこと。
カメラマンとしてそれは当たり前のことなのかもしれないが、実はそう簡単なことではないのではないだろうか。実際、彼のようにポージングも表情も出来る子は、それを維持することに意識が働いてしまい、表情が強張ってしまう場合もある。
そうした中で、どんな風に接していくのか。そうしたものを、被写体に合わせた方法・速度・距離で探していくことが、一番その子らしい瞬間を残すのに最短な道なのかもしれない。
Photo:Miya
Coordi:Tanaka
入学の記念として撮影に来た彼のこの撮影を始める前に、ママから一つの要望をお伺いしていた。
「前歯が抜けているので、(歯が)見えているのと見えていないのを、両方のパターンで撮ってください。1人、兄弟、家族どのパターンも、両方お願いします」。
彼と同じくらいの年齢の子ならば歯が何本か抜けているのはごく自然なことで、パパママからも「この(写真を撮る)タイミングで抜けちゃって…」と苦笑いをされている姿もよく見かける。そうした、歯が抜けているということに対して少しでも気にしていらっしゃる様子がある場合(もちろんそうでない場合も)、事前に「口を開けて笑っている写真を撮っても良いですか?」と確認をする。けれど、こうして事前に念押しをされるということは、普段よりもお子様の表情を気にして、撮影後の写真を見られるのだろうと思った。
だからと言って撮影スタイルや雰囲気を変えるわけではなく、ママのその一言をいつもの撮影以上に頭によく書き込んで臨むことにした。
穏やかでよく笑う彼は、家族や弟と一緒にいる時がとても楽しく大好きなのだろうということが、ファインダー越しに伝わってきた。家族・兄弟写真では、そんな彼の様子をあまり制限したくなく、最低限の「口を閉じている表情」を残すことに留めた。
その後、彼1人の撮影に入ったのだが、彼自身も「口を開けないように」と意識していることが、よくわかった。まず私が撮り始めた場所も、それまでの明るい雰囲気から一転し、クールな雰囲気の場所を選んだことが、もしかしたら彼に少なからずそうした意識を持たせる影響を与えてしまったのかもしれない。
私から表情の指示を何もしていないけれど、彼は最初から口元を閉じて口角を上げた表情をしてくれていた。
入学という、それまでの幼稚園生という子供らしい雰囲気から、男の子という雰囲気への変化を表現するために、しばしば私はその表情やポーズに細かい指示を出すことがある。今回の彼にも初めのうちはそうしていたのだが、彼の表情がどうも気になって、あまりこちらから細かい指示を出しすぎてしまうと、彼の表情がどんどん固まって行ってしまうような気がしてしまった。
そこまでで、所謂「かっこいい」写真はたくさん撮れていた。あと少しだけ残っていた写真は、彼の彼らしい表情を残したいと強く思ったのだ。口元を気にせず、今だからこそ撮れる「前歯の抜けている写真」を。
そのためにまず用意したのは、彼がうつ伏せ出来るぎりぎりの大きさの椅子。そこにうつ伏せになってもらい、「椅子が小さいけど、絶対落ちないでね?落ちたらこちょこちょするからね!」と、彼の笑いを誘いながらその目線をカメラに誘導する。まずその一言で、彼に少しだけリラックスしてもらうことが出来た。それからは、彼と私の一対一での会話の時間だ。
それまでは望遠レンズを多用して撮影していたが、ここでは彼に思い切り寄りたかった。彼の僅かな表情の変化を逃さないように。
コーディネーターは近くにいる弟と一緒に遊んでくれているため、自然と私と彼の空間になる。それまで物理的に遠かった彼との距離も縮まり、彼の表情がよりよくわかる。
「カメラの真ん中の色が変わるんだけど、何色に見える?」。
撮影中よく使う言葉だ。この言葉を彼にかけた瞬間に、私は集中した。それまでの彼の口角の上がり方が、意識的にされていたものから、筋肉の弛緩からくるものへと変化する瞬間を捉えるために。自らの口元に向けられていた意識が、私の提示した「カメラの真ん中」へ向けられる瞬間を。
そして私はそれに成功した。
口元だけではなく、目元も、それまでの表情とは違い柔らかい印象をしている。
モニター時にこの写真が流れた時にも、ママから一際大きな「可愛い!」という感嘆の声を頂けた。ママのご要望だった、「口を閉じている笑顔の写真」を、不自然でない表情として残せたことに安堵しつつ、この1枚にかけた「瞬間」に確かな手応えを感じた瞬間だった。
この写真の核心とは―
この写真の核心は、「意識的な中に生まれた無意識の表情」である。
前述してきたように、被写体の彼自身が、抜けている歯が見えないように口元に意識を集中していた状態であった。その中で生まれた、「口を閉じている【けれど】意識的に見えない口元」。
彼は恐らく、口を閉じて微笑むということが上手な子なのだと思う。だから余計に、それを意識している時とそうでない時というのがわかりにくく、それでいてとてもわかりやすい。というのは、ずっと意識的にそうしている姿に見慣れてしまうと、それが自然なのだと思ってしまうのだが、一瞬口元が緩んだ時のその表情は、その直前までとはまるで違う。
その「無意識」を知ることで、それまでが意識的なものだったのだと改めて知ることになる。
それを見つけるためには、彼が「今」意識しているのかそうでないのかをまず見極めなければならない。その意識している状態で、その意識を他の方へ向けさせることが出来た時、彼本来の表情が出てくるのだ。
この1枚を撮るために適用した技術とは―
この1枚を広角写真として撮ると決めた時、まずその効果をわかりやすく出せる場所を選んだ。ここでポイントにしたのは、画面右側の白い扉である。この扉には格子がついているため、縦横のラインがたくさんある。それを画面の端に配置することで、中心に向かってそのラインは集まるように描かれる。ラインの終着点に被写体の顔が来るような配置にすることも意識した。
また背景のポイントとして入る緑も、被写体にかぶってしまっては意味がなくなってしまう。格子扉と背景のポイントである植物の間には、窓がある。その窓の部分は何もない空間であるため、そこを埋めるという意味でも被写体の位置を決定した。
次にライティングについて話をすると、まず光源は画面右から来るライト。左側に設置してあるライトはすべて消し、ダブルライトにならないように注意した。また、右側のライトを全てつけてしまうと明るくなりすぎてしまうため、真ん中の部分を3、4つ程つけた状態にした。
ポージングとしては可愛らしいイメージのあるものだが、男の子らしさを表現するために顔に影を付けたいと思った。そのため、被写体の体・顔の角度も、顔半分に当たる光は少し落ちるように調整している。
最後に被写体との距離を測る。レンズは24㎜にし、ぎりぎりまで被写体に近付くことでより広角写真としての特徴を出すように意識した。
ここで構図の切り方として、椅子の上面ラインで切ってしまうと椅子の脚が切れてしまうため、被写体の寝転がっている場所が椅子の上なのか何なのかわからなくなってしまう。しかし椅子の脚を入れると、床の余計な部分が写ってしまうため、画面内のバランスが悪くなってしまう。
そこで椅子の脚元にランドセルを入れたのだが、ここではランドセルの入れ方が効果的ではないため、入れない方が良かったかもしれない。ランドセルとカメラの間に植物の前ぼかしを入れており、これは右下の床を隠すためのものである。ランドセルをなしにして、この植物の位置を調整すれば、画面下の比重が少し軽くなりより被写体に目線が行きやすいものになっていたかもしれない。
この撮影で得たものとは―
普段、パパママからのご要望やご希望があれば、出来る限りその期待に応えられる撮影・写真を撮ろうという意識が働く。けれどそれはいつも、それに「応える」ということが自分の中でのゴールになってしまっていたのかもしれない。
今回も、ご要望としては「口を閉じている写真」という、言葉だけ見ればとてもシンプルなものだ。けれど、ではただ口を閉じていればいいというわけではない。口を閉じていても無表情であったり、写真のイメージ・雰囲気も統一感のないものであれば、それは本当に「ただ口を閉じている写真」でしかないのだ。そしてママのご要望としても、口を閉じているというのは最低限のもので、そこには笑顔やその他被写体の彼のきらきらと輝く表情が必要条件なのだということは、言うまでもないことなのだということは理解しなくてはならない。
今回この撮影の中で、私はその一歩先を考えた。
被写体の彼が表情やポーズを作ることがとても上手な子だったということはもちろんあるのだが、ママのご要望をただのご要望で終わらせるのではなく、そこにいかに被写体の彼らしさを加えられるか、ということが重要なポイントになる。
彼がリラックスできるポージング、言葉かけ、私との距離。そうしたもの一つ一つを、いつも以上に意識しながらの撮影であった。
年齢が上がるにつれて、被写体となる子供達には様々な意識が働く。その意識の間を縫いながら、その緊張を解しながら、被写体の魅力を出来る限り引き出して残していくこと。
カメラマンとしてそれは当たり前のことなのかもしれないが、実はそう簡単なことではないのではないだろうか。実際、彼のようにポージングも表情も出来る子は、それを維持することに意識が働いてしまい、表情が強張ってしまう場合もある。
そうした中で、どんな風に接していくのか。そうしたものを、被写体に合わせた方法・速度・距離で探していくことが、一番その子らしい瞬間を残すのに最短な道なのかもしれない。
Photo:Miya
Coordi:Tanaka
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