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涙の意思。

投稿日:2016/9/30

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まだ生まれて数か月の彼女と、私の体感時間は恐らく全く別の速度で進んでいるのだろう。

毎日大体23時に就寝して、起床するのは朝4時半。
睡眠時間は平均5時間半の私に対して、彼女は1日の内に何度か就寝と起床を繰り返す。
食事も、1日3回の私よりも彼女の回数はずっと多い。

けれどそんなまだまだ小さな彼女にも、彼女なりの生活リズムというものがあって、
それはこの日撮影に来ることで少し、いつもと違う感覚にさせてしまった。

いつもなら心地の良い家でゆったりとした時間を過ごしているであろう時間帯。
車に揺られて目が覚めたら、初めて感じる雰囲気。
そのよくわからない感覚に、不安を感じる子も多い。

そんな不安からか、空腹からか、眠気からなのか、
彼女は撮影中に何度もその不快感(と表現して良いものか…。
とにかく彼女にとって、好ましくないであろうその感情を)私たちに訴えてきた。

この1枚を撮ったのも、そんな最中のある瞬間。
小さな目にたまった涙が、ライトの光を反射して輝いているように思えた。

「涙」と一言で言えば、最初はなんだか悲しいようなイメージを持ってしまう。
けれど私たちは悲しい時ばかりに涙を流すわけではない。
嬉しくて幸せな時にも涙は出る。
悔しくて腹立たしい時にも涙はこみあげてくる。
この時の彼女の涙はそうした類の物ではなく、
ただただ不快感や嫌悪感から来る悲しさだったのだろう。

それがなぜ、美しいと思えたのだろうか。
なぜ、私はその涙を収めたいとシャッターを切ったのだろうか。


その涙に、小さな彼女の頑張っている姿を見たからだ。
その涙に、小さな彼女の両親へ求める愛情を見たからだ。
その涙に、小さな彼女のはっきりした意思を見たからだ。

物事がよくわからない小さな時から、私たちには意思がある。
でなければ、お腹がすいたと主張するために泣かないだろう。
その空腹を満たしたいという意思があるから、それを主張するために声を上げるという選択をするのだ。

もちろんその選択は、生きるために必要だからこそ行われるもので、何よりも大切な主張だ。


大人になれば、主張したいことがあってもぐっと堪えなければならない場面も数多くある。
それは人と生きていく中で必要な「我慢」であり、人と人との関係性を築くために必要な「意思」でもあると思う。



そうした日々の中で、彼女の涙に見た意思は、私にハッと何かを気付かせてくれたように思う。


けれど、その涙が零れ落ちてしまう前に、パパママの腕に抱え上げられ、ぎゅっと抱きしめさせてあげよう。



Photo:Miya
Coordi:Tanaka

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