フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

僕たちは記憶の虜

投稿日:2016/8/31

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No.10 omiya photo
 
Photo:tomiki
Coordi:Kazu
 
僕たちは記憶の虜だ
 
 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。 
 
 話を進めるにあたり私達の存在は、この3つに集約されています。
 
・美しさ ・表現の楽しさ ・思い出の為の記録
 
表現者としての私達のアイデンティティ
 
 私は表現者として淡く存在する愛おしさを、様々な工夫こらしながら一つ一つ丁寧に、いかにこぼれ落さないで拾い上げるかを常に考えています。 そのための工夫が自由な空間を創造していくということです。自由という言葉はとても抽象的な言葉です。もし自由というものが暴走すれば無秩序が生まれます。そこで自由な空間には必ず緊張と緩和が存在する必要性があると考えるます。例えば名作と言われる映画は緊張と緩和のバランスが本当に良く取れていると言われます。心踊らされる楽しさ、美しさにうっとりするような情緒がうまく織り成されているのです。私達のライフスタジオにおける撮影もそのような映画のようなものであると私は考えます。喜びあふれる姿ばかりではなく、ふと悲しみに触れるような瞳もどちらも大切で愛おしいのです。
 
 
愛おしさとはすべてのものに存在する人生
 
 大切なのは楽しさばかりを追求する事が正しいことではなく、ただ美しさだけを表現することが正しいことでは無いと私は考えます。その2つ絶妙なハーモニーを奏でながら交差する点に思い馳せ恋い焦がれるのです。その点に愛おしさを感じる瞬間、私達が人として生まれてきた命の喜びを被写体と撮影者が共に甘受できる様な空気に包まれるのです。また人が人としてお互いが持ち合わせている生を瞬間的にあれ共に体感することによって素晴らしい感動が愛おしさとして実るのです。その実を大切に収穫していくことが我々の責任でも在ると考えています。
 
楽しい遊びの空間
 
 具体的に私たちは、関係性をなによりも大切にします。関係性とは人生と人生が交わることを表す事なのだと私は考えています。つまり他の人の人生が私の人生の一片となるのです。関係性をつくり上げるためにらリラックスした空間は必要となります。しかしただ癒される空間があっても仕方がありません。そこで私たちは遊びを一つの導火線として使うのです。ジリジリと迫る導火線の火が爆弾に点火し「ドン!」という音とともに楽しさがあふれだすのです。そこでお互いが持つ丸裸の人生が出会うとき愛しさを心から感じることができるのです。
 
 どのような写真を撮るか?と考えることは大切なことです。しかし結果、撮影においてお互いの人生が出会う事がなければそこに残るものは何だったのでしょうか?

 閑話休題

 私が彼らに出会った時、こう撮りたいあゝ撮りたいとは強くは考えませんでした。どこに彼らの人生に向かい合える瞬間が在るかに胸をときめかすのです。そのための空間を作り上げていく事が一種の楽しみであるわけです。そして一番最後に、どのような光を手に入れるか?どのようなフレーミングにするのか?という結果を考え息を吸い込みシャッターを切りました。愛おしさを感じることが出来たのです。楽しい遊びの空間が宇宙のように広がりを見せるのです。

まとめに、この写真は以下の点で分析しました。

1.光が与える美しさ
逆光の光を使うことによって画面には柔らかさが生まれます。

2.空間の広がり
光を取り入れるために画角は少し歪みます。しかし広角的表現が歪みを不安定感をなくし、何よりも被写体の表現に自由度が生まれます。

どんなに素晴らしい写真であっても愛しさがなければ私たちはやかましい銅鑼と同じなのだ。
 

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