フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

影を作る

投稿日:2016/7/31

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Babyを表現する、ということを意識的に続けて、1年半が経った。

毎日スタジオに訪れる、多様な性格を持ったBabyたち。
彼らは、言葉を介したコミュニケーションを図ることはできず、誘導が困難で、それでもとにかく可愛いから、ある程度の『可愛い写真』を残すことは、ひょっとしたらそれほど困難なことではないのかも知れない。
偶発的な仕草や表情、あるいはパパやママと一緒に撮ることで安易に関係性云々と論じることができる。そして、「Babyの写真とはこういうものだ」という固定概念により、表現が画一化していく。
白くて明るいインテリアで、自然光が燦々と差し込む中で、Babyがニコニコ笑っていれば「素敵な写真」「ライフスタジオっぽい!」と言われる。勿論、それはそれで素敵だ。予約の電話の段階で、撮影時の天気を気にされるお客様も一定数いる。ライフスタジオの写真において「自然光」の使い方は重要な構成要素のひとつだ。
しかし、ただ自然光さえあれば「良い写真」になる訳ではない、とも思う。
「光」を効果的に使ってこそ、写真は「良い写真」になる。そこに、撮影者の作為がなければならない。良い撮影者は、良い光を作り出す。それは、晴れていても天気が悪くても、だ。
差し込む自然光を効果的に切り取る。あるいは、影の中に一筋の印象的な光を差し込ませる。影は、相対的に光をより印象づける効果も持つだろう。

ライフスタジオに入る少し前に、ストロボを使う写真館に10ヶ月だけいたことがある。
とある繁華街の雑居ビルの中、自然光の入らない奥まった部屋がスタジオで、そこでは、光は作るものだった。
ストロボを繋いで、太いコードをうねらせて、ライトの角度や光量を調整した。シャッターを切ると、狭い空間に閃光が溢れて、ジェネレーターがピーッと鳴った。Macintoshのディスプレイには、瞳の中にこちらの姿が写り込んでしまう程くっきりと写された、鮮明な写真が並ぶ。
そこで、「写真を撮る」ということの形式を、幾つか学んだ。先輩が細かなことを教えてくれる中で、印象的だったのは「どこに光を当てたいか、…あるいは、どこに影を作りたいかだね」という言葉だった。

今、自分は自然光を使って撮影をしている。そして、新横浜店で長くカメラを持つ以上、「Babyの表現」は常に追求していかなければならない課題だった。
ただ『可愛い写真』という基準だけを持つならば、きっとこんな写真は撮らなかっただろうと思う。求めていたのは、「ちょっと異質なBabyの写真」だ。
「ライフスタジオのBabyの写真」で連想されるような写真と、少し違うもの。しかし、ただ奇をてらったものではなく、撮影者の意図と結果がきちんと反映されているもの。
初めてのスタジオ勤務を思い出す。あそこには自然光はなく、自分で調整しながら光を作り、影を作った。その時の経験は、機材や環境が違っていても応用ができるものである筈だった。私はこの時、影を作りたかった。

天気の悪い日の最終枠は、絶好のシチュエーションだった。
窓から入る光もない薄暗いスタジオの中を、ところ狭しと駆け回ったスピードスターのBabyは、撮影の終盤になってもそのスピードを衰えさせることはなかった。普通に考えたら、ライトを全灯にして光を回し、シャッタースピードを少しでも上げて追いかけ回す状況である。
しかし、自然光がないことで可能になる表現も、ある。燦々と自然光が差し込む環境では逆に、思うような光と影を作り出すことは難しい。
アンダーな写真はライティングがシビアで、光の当たる角度を細かく調整しなければならない。Babyにそんな理解はできないことは明白だったが、それでも、自分の中に欲求が出てくる。
今、環境は整っている。
そして何よりも、被写体である彼自身が、少しくらいの暗がりを恐れることなく「自分」を存分に謳歌していた。
インテリアの明かりをすべて消し、小さなライトボックスを1灯ホリゾントに放り込んだ。
光は、彼のBabyらしい曲線の輪郭をなぞる。額と頬の曲線、丸みのある腕。ぺたりと直に座った、体の柔らかさを感じさせる一筋の光と、それを引き立たせる為の影。
暗がりの中、Babyの存在感を際立たせる。
ただその為だけに、このシンプルな空間を構成した。

『可愛い写真』だけに価値を置いていれば、こんな写真は撮らなかった。
あらゆる角度からのBabyの表現。ただその為に、「いつもなら、こうする」というスタンダードの逆を行く。

たまにはこんなのも、良いんじゃないだろうか。


Life studio No,17
Shinyokohama
Photo by Reiri, / Coodi by Yonezu

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