フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
ハピネス
投稿日:2016/6/30
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「写真とは何か」。
カメラを持って、ファインダーの中を覗きながら撮影を繰り返す日々の中で、ふと投げかけられたこの問いは、私がシャッターを切るまでの時間を、少し長くした。
ここでこのボタンを押すだけで、「写真」が残る。
何故、自分は今この瞬間、このタイミングでシャッターを切ろうとしているのか。
何故、この光景を写真にしようとしているのか。
「写真」とは、「何」かを、いつも考えているようで、ともすれば習慣化されたそれは、無意識的な作業の中に「何となく」片付けられてしまっているのではないだろうか。
写真とは、何か。
改めて考えながら、シャッターを切っていた1ヶ月。
私は、「家族写真」が好きだ。家族写真を撮っていたい。
自分が大家族で、家族全員が写った写真を持っていないからか、私が撮る写真には、「家族写真」への憧憬のようなものが、時折見え隠れする。
少し極端な例かも知れないけれど、例えばその人の人生で大きな危機とか波乱とかが訪れて、気持ちがどうしようもなく落ち込んだとしても、大切な家族の写真が1枚あれば、人はその危機に立ち向かう勇気や気力を得ることさえできるのではないかと、私は漠然と思っていた。
写真には、そういう力があって欲しい。自分は、その為に写真を撮っていたい。
ただ、それはきっと、どんな写真であってもそうなのではないだろう。
その写真に写った人たち、その家族が、それが「真」の自分たちの姿を写していると感じられる写真でなければ、恐らくはそんな力を持った写真には、なり得ない。
お客様からのご要望でよく言われるような、「自然な写真を撮ってください」という言葉は、広い意味で、そんな力を持った写真を残して欲しい、という要望の一端でもあるのではないだろうか。
「自然な自分の姿」は、普段自分が実際に目にすることはあまりない。客観的に「写真」という形に残されたそれが、その人にとって初めて見るような自分の姿であって、撮影者が発見したその人たちの美しさである。
ライフスタジオのHPを見て、Photogenicに並ぶ写真を見て、スタッフblogやFacebookを見て、お客様は「自然な写真を撮って欲しい」と思う。そして私たちは、撮影者として、その人たちができる限り「自然」でいられる条件や環境を作り出さなければならない。
緊張していれば会話をし、作り笑顔であれば少し待ち、観察し、投げかけ、返ってきたものを受け止めて、考えて、投げ返すことを繰り返す。
それは、言葉でのやり取りができないBabyにおいても同じだ。
会話はできなくても、コミュニケーションを図ることはできる。観察して、状態を把握し、緊張していればパパとママの抱っこから離れなくて良いし、ひとりで歩いて動きたいならそうさせる。笑えば、私たちはもっと笑うし、泣けばいつでも抱っこしてもらえば良い。
Babyもまた人であって、その「ひと」としての美しさがある。その人が、その人として柔らかくそこに存在していられるように、私たちは整えていく。
ただ、そのすべてを知ることはできない、と思っている。撮影の間、ものの1時間やそこらで、私たちがその人たちの「真」の姿をすべて発見し、規定できる訳ではない。「その人らしさ」を声高に語ることを、おこがましく思う時もある。
私が撮る写真は、飽くまでも「わたし」というフィルターを通す。「わたし」は、「あなた」たちの美しさをこのように発見し、演出し、表現した。その結果がこの写真であって、それはその人たちのすべてを余すことなく語る訳ではないけれども、それでもこの時見付けた美しさは、四角い世界を温かく満たした。
ニコニコと笑って機嫌の良かったBabyが、撮影の終盤に疲れと共にぐずり始める。最後のカットは家族写真にしようと思っていて、抱きしめてあげてください、とパパママに声をかけ、3人の世界が作られるのを、待つ。
抱っこされたBabyが少し落ち着き、パパとママに更に距離を詰めてもらう。3人の内側の空気感に集中してフレーミングのラインを探し、パパママの頭をトリミングした。少し首を傾げてもらうことで、ふたりの顔が立体的になる。
前ボケは、対角線上に柔らかく、原形を残さないくらい淡く入れ込んだ。空間の距離感と、柔らかさの視覚的表現。また、Babyの足というやや主張すると思われるパーツを不自然でない程度に隠し、表情により集中させる効果を狙っている。
ぐずっていたBabyが、パパママに触れ、体温を感じ、柔らかく笑った。その瞬間綻んだパパとママの口元、その表情が、この世界を完成させた。私がシャッターを切ることで、ほんの一瞬のこの世界が、写真に残る。
この日、この撮影の75カットめ。初めまして、から始まって、共にこの時間を過ごしたことで、最後に生まれる一種の連帯感のような、達成感のような、そんな感覚を共有しながら残された彼らの姿は、美しかった。
私の目を通して、ファインダーを通して、記録される「写真」が、人に力を与えるものであって欲しい。
あなたがこんなに愛していること、あなたがこんなに愛されていること。
どんな時であっても、それを思い出せる写真を残していきたい。
写真とは、人を幸せにするもの。人に、力を与えるもの。
だから、写真を撮っている。
Life studio No,17
Shinyokohama
Photo by Reiri, / coodi by Hachiyama
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