フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
繋がり
投稿日:2016/5/31
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"自分"を構成する要素を分解していくと、何が見えてくるでしょうか。
外見だと、髪の色、肌の色、瞳の色。鼻や目の形、体型。
中身だと、優しい、優柔不断、頑固、繊細、几帳面など、いろいろな特徴をあげることができます。
そして、そのすべてが総合して、人と違う自分をつくりあげています。
外見は、自分の意思とは関係なく、変化をしていくものです。
でも自分の中身は、自分の意思で変化をしていきます。無意識にどうするか選択をして、今のような人格になっています。
ではその人格は、どのようにしてできているのでしょうか。
スタッフで映画討論をしたときに、自分たちの父子関係について喋っていたら、面白い話が出ました。
「今まで親と自分は全然似ていないと思っていたけれど、気が付いたら似ている部分があって、なんだか妙な気分になった」というのです。
自分の性格だと思っていたことが、実は親から譲り受けた部分だったというのは、自分なのに、自分じゃないような、変な感じだねという話をしました。
確かに、今の自分は確かに一個人として、親とは別の人間なのですが、親から譲りうけた性格は必ず存在します。
人と人の違いは、私たちの身にふりかかる出来事そのものではなく、その出来事をどう処理するか、によって決まってくるように思います。
ピクサー映画「インサイド・ヘッド」では、少女の頭の中でいろんな感情が話し合いをしています。
外部で起きた出来事を少女の頭に中の感情たちが整理し、いろいろな感情が彼女を動かして行動を起こしています。
ただ引っ越しをして、新しい場所に馴染めなかった、親の顔を見て、思っていることを言えなかった。
そんな些細に見える事柄でも、彼女の中では感情たちが右往左往しています。
一番は事故によって指令塔から「ヨロコビ」がいなくなってしまったことが原因ですが、次第に彼女は笑顔をなくしていきます。
行動だけで見ると、外側の人たちには彼女の中で何が起きているのかがわかりません。だからこそ、わがままを言っていたり、わけもなく不機嫌になっていると思って、親が怒ったりし、そのことで彼女と両親の溝ができてしまいます。
映画では、主人公の少女の頭の中にはたくさんの思い出が蓄積しています。
小さいものから、彼女の性格に影響する大きなものまで、様々な思い出たちが収納されています。
その中でも「特別な思い出」は、彼女が彼女であるために必要なものです。
特別な思い出が、人格の島をつくり、彼女という人間を形成しています。
子供の頃は単純だった世界が、たくさんの経験をし、いろいろな感情をもった記憶が増えることで人格がつくられていきます。
だからこそ、人はみな違うといえるのだと思います。まったく同じ経験をしている人はいません。
その特別な記憶こそが、その人の核ともいえるものです。
記憶を積み重ねていくこと、それが、自分を形成していくことなのだと思います。
親と共通している部分は、
私はいたって普通に育ち、何かの英才教育を受けたり、大きな事柄が起きたことがありません。
そんな自分が思い出した特別な経験は、そういえば小さいころから文章を書いていたな、ということでした。小さいころから、お母さんと交換日記のような感じで話を書いていました。小説といえるほど立派なものではないのですが、国語も本も好きだったので特に大変に思う事なくお話を書けていました。
私は詩などが好きで、よく印象深い言葉をこういった文章に使ったりすることがありますが、親の影響をがあったのだなと感じます。
子どもと親を繋ぐ橋は、記憶です。
親子は似た者同士、共通する部分がきっとあると思います。
パパやママにも、その人格を形成する特別な思い出が何かあったのだと思います。
それをお子様に話すことで、何か共通する繋がりが、お子様にも伝わるのではないかなと思います。
そして、そのつながりを大切に思い、伝えていけるような存在であればいいなと思います。
外見だと、髪の色、肌の色、瞳の色。鼻や目の形、体型。
中身だと、優しい、優柔不断、頑固、繊細、几帳面など、いろいろな特徴をあげることができます。
そして、そのすべてが総合して、人と違う自分をつくりあげています。
外見は、自分の意思とは関係なく、変化をしていくものです。
でも自分の中身は、自分の意思で変化をしていきます。無意識にどうするか選択をして、今のような人格になっています。
ではその人格は、どのようにしてできているのでしょうか。
スタッフで映画討論をしたときに、自分たちの父子関係について喋っていたら、面白い話が出ました。
「今まで親と自分は全然似ていないと思っていたけれど、気が付いたら似ている部分があって、なんだか妙な気分になった」というのです。
自分の性格だと思っていたことが、実は親から譲り受けた部分だったというのは、自分なのに、自分じゃないような、変な感じだねという話をしました。
確かに、今の自分は確かに一個人として、親とは別の人間なのですが、親から譲りうけた性格は必ず存在します。
人と人の違いは、私たちの身にふりかかる出来事そのものではなく、その出来事をどう処理するか、によって決まってくるように思います。
ピクサー映画「インサイド・ヘッド」では、少女の頭の中でいろんな感情が話し合いをしています。
外部で起きた出来事を少女の頭に中の感情たちが整理し、いろいろな感情が彼女を動かして行動を起こしています。
ただ引っ越しをして、新しい場所に馴染めなかった、親の顔を見て、思っていることを言えなかった。
そんな些細に見える事柄でも、彼女の中では感情たちが右往左往しています。
一番は事故によって指令塔から「ヨロコビ」がいなくなってしまったことが原因ですが、次第に彼女は笑顔をなくしていきます。
行動だけで見ると、外側の人たちには彼女の中で何が起きているのかがわかりません。だからこそ、わがままを言っていたり、わけもなく不機嫌になっていると思って、親が怒ったりし、そのことで彼女と両親の溝ができてしまいます。
映画では、主人公の少女の頭の中にはたくさんの思い出が蓄積しています。
小さいものから、彼女の性格に影響する大きなものまで、様々な思い出たちが収納されています。
その中でも「特別な思い出」は、彼女が彼女であるために必要なものです。
特別な思い出が、人格の島をつくり、彼女という人間を形成しています。
子供の頃は単純だった世界が、たくさんの経験をし、いろいろな感情をもった記憶が増えることで人格がつくられていきます。
だからこそ、人はみな違うといえるのだと思います。まったく同じ経験をしている人はいません。
その特別な記憶こそが、その人の核ともいえるものです。
記憶を積み重ねていくこと、それが、自分を形成していくことなのだと思います。
親と共通している部分は、
私はいたって普通に育ち、何かの英才教育を受けたり、大きな事柄が起きたことがありません。
そんな自分が思い出した特別な経験は、そういえば小さいころから文章を書いていたな、ということでした。小さいころから、お母さんと交換日記のような感じで話を書いていました。小説といえるほど立派なものではないのですが、国語も本も好きだったので特に大変に思う事なくお話を書けていました。
私は詩などが好きで、よく印象深い言葉をこういった文章に使ったりすることがありますが、親の影響をがあったのだなと感じます。
子どもと親を繋ぐ橋は、記憶です。
親子は似た者同士、共通する部分がきっとあると思います。
パパやママにも、その人格を形成する特別な思い出が何かあったのだと思います。
それをお子様に話すことで、何か共通する繋がりが、お子様にも伝わるのではないかなと思います。
そして、そのつながりを大切に思い、伝えていけるような存在であればいいなと思います。
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