フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
心を拾う
投稿日:2016/4/30
776 0
なんでもない時間が愛おしいと思うときがあります。
晴れた日に広い公園を歩いているときや、電車から景色を眺めているとき、ぼんやりと人を待っているとき、何にも予定の無い日に早起きしてみて、どう一日を過ごそうか考えている瞬間。「何かをしている」ときではなく、「何かをする前」または「何かをする途中」の、小説でいえば「空白」の時間。そんなときに、なぜかふと急に「いいな」と思うときがあります。いつもは時間を見て、「次にこれをしなくちゃ」という予定を考えるのですが、たまに時計を気にせずに過ごしてみると、いつもは追いかけたり急き立てられていた時間というものが、自分の手の中にあることに気が付きます。なんでもない時間が愛おしいと思えるのは、たぶん、「なんでもできる」からでしょう。
時間は自分の周りを常に流れていて、けしてつかむことも止めることもできないものであり、目には見えないけれど確実に存在しているものです。
その当たり前のような存在を確かに自分の手の中に感じたとき、それをどう使おうか、と考えます。
なんでもできるから、自分の心に問いかけます。「今、何がしたいか?」「今、何を思っているか?」なんでもない時間は、自分が自分の心を見つめるときです。
小説などでは、電車の窓から景色を眺めたり、ぼんやりとしているとき、体が動いていないときは心理描写が入ります。
過去に思いを馳せてみたり、未来を考えたり、誰かのことを考えたり、頭や心はせわしなく動きます。そんななんでもないときに考えていることは、実は価値のあるものだったりします。
そのときにでてきた言葉とは、その人がどういう人かを、表すものです。
そうして考えていったことが積み重なって、自分の頭の中の世界観をつくっていきます。
大きくなる、というのはそうした思いが増えていくことかなと感じます。
3年前に初めて会った時、まだ赤ちゃんよりの体型で、手もほっぺたも柔らかくて丸っこかった彼女はもう6歳。
すらりとスタイルが良く、すっかり大人のお姉さんになっていました。
昔から人なつっこくて、何をしてもにこにこしてくれていた彼女。
今回も変わらないその笑顔を見て、「お花のように笑う」とは、このことなのだろうと思いました。
可愛らしい笑顔はそのままでした。
靴を触って、と声をかけて撮っていたら「これでいいのかな?」というようにこちらをちらりと見た彼女。
恥ずかしかったのか、何かが面白かったのか、ふふっと笑ってくれました。ほとんど考えずにシャッターを押していました。
心に響いた瞬間というのは、頭を通さないでも指を動かすのだなと感じます。
このとき考えていた写真とは違うものでしたが、それでいいのだと思います。その瞬間にしかないものをおさめることができたということ、それが大事です。
彼女は、照れて屋さんで、あんまり多くは話しませんでした。
たぶん、彼女に1年後「どうしてこのとき笑ったの?」と聞いてみても、覚えていないのでしょう。
でもそれを拾うことができて、こうして残せたことで、なにげない日常として彼女の世界のひとつになってくれればとても嬉しく思います。
小さなときは、こちらが何かアクションをすれば笑うので、なぜ笑っていたのかなんとなくわかっていたのですが、もう「幼児」から「少女」へと変わった彼女には、彼女だけの世界ができています。
秘密めいたその心に何があるのか、わかりません。
でも、きっと彼女は彼女で、いろんなことに心を揺らしていくのだと思います。
そうして何気ない日常を過ごしながら、世界に色をつけていうのかなと思います。
「なんでもない」に価値を与えていくのは、人の心と言葉です。
そうして世界はどんどん色づいて、輝いていくような気がします。
この記事をシェアする