フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

美しい時間。

投稿日:2016/2/29

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家族写真を撮影される方は多い。ほとんどの方がご希望される。
その中でも、父子、母子それぞれで撮りたいという方もいらっしゃる。
また、祖父母も一緒に来店された場合、おじいさま・おばあさまとお孫さんで、というご希望もよく聞く言葉だ。

では、「祖父と孫」、あるいは「祖母と孫」はどうだろか。

祖父母の方が遠方であったり、様々な事情のためこうした組み合わせで撮影する機会は、多い方ではない。
祖父母お2人とも来店され、それぞれがお孫さんと撮りたいということももちろんある。
けれどこの時の撮影は、ママとおばあさまが一緒に来店された。

構図において特に特別変わったことをしたわけではない。
父子、母子で撮影する際にも、同じように被写体同士で向き合わせたアップの写真を撮ることも多い。
それでも、この1枚は私にとって特別な感情をもたらした。
言いようのない感情だが、一言で言えば「昔を思い出した1枚」であったのだ。
撮影後分類をし、撮影を思い出しながら75枚の原本としてまとめる。
その時、この1枚を見て私はなぜか目の奥が熱くなったのだ。



祖母の事を、思い出した。



私は出産予定日の1ヶ月も早く、いわゆる「未熟児」として生まれてきた。
1ヶ月の間、保育器の中で育ち、母はその間直接母乳をあげることが出来ず、とても悲しくて心配だったと話してくれた。
小学生の頃に、生活の授業の中で、自分が生まれた時のことや名前の由来等を、親に書いてもらうということがあった。母の特徴的な丸文字で、私が生まれた時のことやその時の母の気持ちが書かれ、当時はよく理解できなかったが成長するにつれその意味がわかった。

その母の話と共にいつも私の中にあるのが、祖母の言葉だ。


「あなたが産まれた時は本当にちいさくて、頭なんてじゃがいもくらいの大きさだったのよ」。


小さな頃から会う度に、祖母はそう話す。
そしてそんな私を母と一緒に大切に育ててくれたという話も。

祖母とは一緒に暮らしているわけではない。
母の実家は県内だが、車で1時間半ほどかかる。
私が生まれた頃は姉もまだ2歳で、祖母は娘の助けになろうと来てくれていたそうだ。

祖母との記憶で一番古い物は、保育園に通っていた時のもので、夕方の時間に着替えをさせてもらっていた時のことだ。
家には祖母と私の2人で、母も姉も妹もいなかった。
夕方の子供番組を観ながら、祖母が話しかけてくれていたことを覚えている。


祖母は昔から、3姉妹の中で私を一番可愛がってくれている。
母も同じように言う。
私が未熟児として生まれたからなのだろうか。
それでも今は何不自由なく健康に生きている。
家族にも祖父母にも親戚にも、たくさんの人からの愛に恵まれ生きてきた。

けれどそれはほとんどの事が、母や周りから聞いた話でできた記憶である。
幼子の記憶など、多くの人が覚えていないだろう。
もしかすると大げさに言っている部分もあるかもしれない。
それでも私は、そんな周りの言葉をとても幸せな言葉と記憶として受け止めてきた。

昔の人の中では身長が高かった祖母は、小さな私にとってとても大きな人だった。
けれど成人し私の身長も伸び、昔は見上げていた祖母との目線もほとんど同じになってしまった。
嬉しくもあり、なんだか切なく悲しくもある。

祖母は私にとって、家族と同じくらい特別な人だ。
祖父や親戚、いとことはほんの少し違う。
それはなぜかと考えればやはり、そうした昔の話を私が自分の中でとても大切にしてきたからなのだろう。

私の祖母の記憶は、優しくて暖かくて幸せな思い出ばかりだ。
それを、この1枚を見て思い出した。



小さな手を握る、大きな手。
小さな手を包む、温かい手。


私自身の記憶と重なるものがあり、この子が、そしてこのおばあさまがとても愛おしいと思えた。
あの頃の私も、こんな風に愛してもらっていたのだろうか。幸せだったのだろうか。

優しく見つめるまなざしと、小さな手に握る積み木を見つめる目線は、決して交差することはない。
けれどそこに、私は何物にも代えがたい「愛情」を感じるのだ。
まだ難しい感情なんて生まれていない小さな子供。
子供は自由だ。大人が「笑って」「泣きやんで」と願っても、そう簡単にはいかない。「カメラを見て」なんて理解出来ない。それこそが、子供本来の姿なのだ。
それを優しく見守り、愛情を持っているのが周りの大人たち。
目線が交わって意思疎通が出来なくても、そこにはきちんと互いの存在を意識している空間がある。

また、この写真のような色合いのセピア写真は、見る者に「懐かしさ」を与える色味だと思う。
哀愁漂うような雰囲気。
昭和時代の写真なんかをテレビや雑誌で見ると、ほとんどがこのような色合いだ。
それに見慣れた私たちからすれば、「セピア=昔」という印象が強い。
モノクロ写真と違い、どこか温かさを感じるのはその色の持つ温度のせいだろう。

色褪せてしまったような写真ではない。
風化してしまった記憶ではない。

この美しい一瞬を、私はここに閉じ込めたいと思った。
この子が大きくなった時、この写真を見てくれるだろうか。
おそらくこの撮影の記憶はないだろうが、それでもこの写真を見た時に、彼女の祖母から愛されたことを思い出してくれるだろうか。
私がそうだったように、彼女の心にもそうした何かが残って欲しいと思う。

構図の中で、色の情報はいらないと思った。
この2人の関係と雰囲気を、そのまま伝えたいと思った。
だから限りなく色を排除し、けれど温かみの残る1枚にしたかった。

彼女の記憶が、美しいまま色褪せてしまわないように。
大きくなった彼女が見た時、愛情や温かさであふれた記憶になるように。

2人にとって、幸せな時間でありますように。


Photo:Miya
Coodi:Tanaka
in Lifestudio NISSHIN

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