フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
今この時
投稿日:2016/2/29
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きょうだいっていいな。兄弟の撮影に入るといつも思う。
見ているだけで楽しそう、みんながみんなお互いが好きなのだなと感じるから。
恥ずかしくて抱っこやちゅうが出来なかったり、逆に可愛すぎて構ってほしくて自らちょっかいを出したり、一緒になってはしゃいだり、一緒だからはしゃげたり、つられて緊張しちゃったり。
兄妹でもたくさんの性格がある。年齢が離れていたり、近かったり、その差だけでも性格は変わる。兄弟の性格を見るのがとても楽しく、またそれを表現したいと思う。
ふたりだからこそ、きょうだいだからこそ表現できるものがある。
ひとりひとり性格も考え方、好みも、同じところはないが、似ているところがあるのは兄弟の特徴だ。なぜか一緒にいるだけで、目が合うだけで笑顔になってしまう。
弟君や妹さんは、お姉ちゃんやお兄ちゃんが笑うから楽しいこと、泣いているから悲しい事なんだとたくさんの感情や考え方を学んでいる。
また同じように感動したり、笑ったり、怒ったり、泣いたり、一緒になって共感出来るのも
一番近くにいる、お兄ちゃんお姉ちゃんだ。
喧嘩が多くとも、必ずお互いが支えになる。
私が、このスタジオに入社し改めて考えさせられたのは、家族や姉妹への気持ちだ。
私はスタジオや家の外でははしゃぎ、ちょっかいを出したり、ボケたりとしているが、家では恥ずかしく、なかなか自分自身が出せないで無口なほうだ。
私は3人姉妹の末っ子であり、上に8つほど離れた2人の姉がいる。
いつも服はお姉ちゃんたちのお下がり、喧嘩をしてもう負け、ご飯を食べる時も取り合いになったりしていた。真ん中のお姉ちゃんとは一番喧嘩を良くした。私がちょっかいを出すことが今では原因だったのではと思う。でも、いつも一緒に遊んでくれたのはお姉ちゃんたちだった。
お休みの日、良く自分の家の庭で縄跳びや自転車、シャボン玉などで遊んでいるお姉ちゃんたちの中に入り込み、一緒になって遊んでいた。ゲームも沢山した。
お出かけや旅行に来た時、おトイレやお店の中など、どこか行くにも一緒に連れて行ってくれた。
小学校3年ごろからお姉ちゃんたちも高校性になりすれ違いが多く、お姉ちゃんたちとの会話は少しずつ少なくなり、遊ぶこともなくなった。
始めは寂しかったが、自然と慣れていき、それが普通なのだと思えてしまった。
やはり年が離れている分、勉強も時間の使い方も違ってくる。その時くらいからお姉ちゃんたちと距離が出てきたと感じた。一番仲が良く、話合えていたのに、一番話す数が少なくなった。
今思えば、反抗期というのか思春期特有のものだったのかなと思う。
今ではお姉ちゃんは2人とも結婚し子供もでき家も建て、実家を出ている。
それでも毎週週末はみんなが実家に集まってご飯をたべている。
お姉ちゃんたちも、過去小さかった時のぬくもりや癒しをやはり自然と求めているのだなと思った。集まるようになってから、また、私がこの仕事を始めてから少しずつ会話が増えていった。
そんな時に、母がアルバムを持ち出し小学校時代や赤ちゃん時代の写真をみんなで見た。
その時に、家族みんなが懐かしい。こんな髪型、服装だったんだね!と言い合いながら大笑いしていた。その光景が、私は眩しく、幸せだと思った。
どんなにお姉ちゃんたちにムカついたり、嫌いになっても、今になっては本当に感謝しており大好きである。今の仕事につけたのも、お姉ちゃんのおかげでもある。
いつの日か、大きくなり、この写真を見てどんな会話をするだろうか。
昔はこんなに仲良しだったね!ほっぺをくっつけたり、チュウしていたり、きっと大人になって見返すとぷぷっと笑ってしまうんだろうな。
きょうだいはそんな幸せを一緒になって感じることが出来る。
私は自分の写真で、何年か経って感動してほしい。
今は写真を見て可愛いね。楽しいね。と思うだけかもしれない。
でも、きっとこの写真を大きくなったみんなで見ている光景は、素晴らしい物だと思う。
Lifestudio Nisshin
Photo:furusawa
Corde:miyahara
見ているだけで楽しそう、みんながみんなお互いが好きなのだなと感じるから。
恥ずかしくて抱っこやちゅうが出来なかったり、逆に可愛すぎて構ってほしくて自らちょっかいを出したり、一緒になってはしゃいだり、一緒だからはしゃげたり、つられて緊張しちゃったり。
兄妹でもたくさんの性格がある。年齢が離れていたり、近かったり、その差だけでも性格は変わる。兄弟の性格を見るのがとても楽しく、またそれを表現したいと思う。
ふたりだからこそ、きょうだいだからこそ表現できるものがある。
ひとりひとり性格も考え方、好みも、同じところはないが、似ているところがあるのは兄弟の特徴だ。なぜか一緒にいるだけで、目が合うだけで笑顔になってしまう。
弟君や妹さんは、お姉ちゃんやお兄ちゃんが笑うから楽しいこと、泣いているから悲しい事なんだとたくさんの感情や考え方を学んでいる。
また同じように感動したり、笑ったり、怒ったり、泣いたり、一緒になって共感出来るのも
一番近くにいる、お兄ちゃんお姉ちゃんだ。
喧嘩が多くとも、必ずお互いが支えになる。
私が、このスタジオに入社し改めて考えさせられたのは、家族や姉妹への気持ちだ。
私はスタジオや家の外でははしゃぎ、ちょっかいを出したり、ボケたりとしているが、家では恥ずかしく、なかなか自分自身が出せないで無口なほうだ。
私は3人姉妹の末っ子であり、上に8つほど離れた2人の姉がいる。
いつも服はお姉ちゃんたちのお下がり、喧嘩をしてもう負け、ご飯を食べる時も取り合いになったりしていた。真ん中のお姉ちゃんとは一番喧嘩を良くした。私がちょっかいを出すことが今では原因だったのではと思う。でも、いつも一緒に遊んでくれたのはお姉ちゃんたちだった。
お休みの日、良く自分の家の庭で縄跳びや自転車、シャボン玉などで遊んでいるお姉ちゃんたちの中に入り込み、一緒になって遊んでいた。ゲームも沢山した。
お出かけや旅行に来た時、おトイレやお店の中など、どこか行くにも一緒に連れて行ってくれた。
小学校3年ごろからお姉ちゃんたちも高校性になりすれ違いが多く、お姉ちゃんたちとの会話は少しずつ少なくなり、遊ぶこともなくなった。
始めは寂しかったが、自然と慣れていき、それが普通なのだと思えてしまった。
やはり年が離れている分、勉強も時間の使い方も違ってくる。その時くらいからお姉ちゃんたちと距離が出てきたと感じた。一番仲が良く、話合えていたのに、一番話す数が少なくなった。
今思えば、反抗期というのか思春期特有のものだったのかなと思う。
今ではお姉ちゃんは2人とも結婚し子供もでき家も建て、実家を出ている。
それでも毎週週末はみんなが実家に集まってご飯をたべている。
お姉ちゃんたちも、過去小さかった時のぬくもりや癒しをやはり自然と求めているのだなと思った。集まるようになってから、また、私がこの仕事を始めてから少しずつ会話が増えていった。
そんな時に、母がアルバムを持ち出し小学校時代や赤ちゃん時代の写真をみんなで見た。
その時に、家族みんなが懐かしい。こんな髪型、服装だったんだね!と言い合いながら大笑いしていた。その光景が、私は眩しく、幸せだと思った。
どんなにお姉ちゃんたちにムカついたり、嫌いになっても、今になっては本当に感謝しており大好きである。今の仕事につけたのも、お姉ちゃんのおかげでもある。
いつの日か、大きくなり、この写真を見てどんな会話をするだろうか。
昔はこんなに仲良しだったね!ほっぺをくっつけたり、チュウしていたり、きっと大人になって見返すとぷぷっと笑ってしまうんだろうな。
きょうだいはそんな幸せを一緒になって感じることが出来る。
私は自分の写真で、何年か経って感動してほしい。
今は写真を見て可愛いね。楽しいね。と思うだけかもしれない。
でも、きっとこの写真を大きくなったみんなで見ている光景は、素晴らしい物だと思う。
Lifestudio Nisshin
Photo:furusawa
Corde:miyahara
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