フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
『Change the World』
投稿日:2016/2/18
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Photographer: Ryo
Coordinater: Misato
Lifestudio : YokohamaAoba
Coordinater: Misato
Lifestudio : YokohamaAoba
ファインダー越しの世界を見つめ、被写体ごとに違う空間を感じ何を写し出すのかを日々考えます。
『表現』という写すための方法は実に範囲が広く、そのすべてをつかむには一生かかっても無理なのかもしれません。
どんな有名なカメラマンや芸術家達も『表現』という広い物の一部を手に入れたにすぎないのではないでしょうか。
しかし広い分、多彩なそれは操る人間によって変わらない物を変えていく方法となります。
カメラを持つある人は影を表現する為に光を捉え、ある人は影を表現する為に光を遮断したとします。
一見この両極端な方法も写したい物が『影』であるならばその写真の主題は変わりません。
ただ私達は人を撮るのですから闇の中であっても光の中であっても人が美しく写る方法を考えなければいけません。
カメラマンはいつも広い海の中で地図も無く小さな島を探すように、表現という曖昧な言葉の中で一つの光を探す事になります。
私達が身を置く撮影環境のように、被写体が人であれば写真の決定的な部分は人を中心に展開されます。
何も無い所であってもそこに人が居れば写真を導く目印となってくれるのです。
空間や人を見るときの目線は等しく、対象が居る限り外も中も見なければ写真は誕生しません。
写真を完成させるために重要な物の一つとして『技術』が有ります。
しかしこれは写真の全てではなく方法にすぎません。
ふとした瞬間のふとした発想を写真として可視化する為に必要なのが技術です。
では表現は技術のみで表される物なのか。
それは違うと考えます。
もう一つ大切な物があります。意図してイメージを可視化させるには『感性』が必要なのです。
伝えたい物を感じる感性、瞬時にそれを適切に写す技術。
その二つが伴って想像は可視化され写真が誕生します。
技術はメカニズムであるため、理屈を理解し反復を繰り返せば必ず身に付きます。
では感性はどのように養い磨いていけば良いのでしょうか。
感性を磨くとは写真をやっていれば必ず聞いた事のある言葉だと思います。
多くの写真を見なさい。多くの映画を見なさい。絵を描きなさい。
多くの方法の提示を受けた事があると思いますし、この方法に疑問に感じた事も有ると思います。
これで本当に写真が上手くなるのだろうかと。
私自身もこのようなアドバイスを受け努力した事が有りますが写真を上手くなろうとしてこの事を繰り返しても何も変わらない事実にたどり着きます。
なぜなら感性を磨くという事は『写真』の変化ではなく『自分自身』の変化を生むためだからです。
写真は人が作るものであるため、変化するには作り手である人が変化しなければ変わる事はありません。
技術面を排除して写真を見たとき、一年前の自分の写真と今の自分の写真に変化を感じたならそれは今の私と過去の私が違う何かを得たからではないでしょうか。
表現とは被写体や空間を見つめ、今の撮影者の世界観がうむイメージを写真として可視化する事。
この写真の瞬間、今の私に見えた目の前の美しさは影が多くを支配し僅かな光が美しい場所をなぞる光景でした。
それを今の私の感性はこの写真のように捉えます。
この写真の美しさは影と光のバランス、そして被写体の照らされる輪郭にあります。
このような繊細な光で写すときには被写体のどこからどこまでに光を入れるかを考え、この画に対する美しさの基準を持ち一つ一つ捉えていきます。
手前側の瞼までハイライトを入れる。
反逆光であるが角度を調整し全体のイメージが暗くなりすぎないように手前側を落としすぎないでぼんやりと細部を残す。
装飾品の質感を表すために僅かなキャッチライトを入れる。
瞳の位置やまつげの長さをみて顔の角度よりやや下を見てもらう。
瞳に反射を入れ目に生命力を残す。
輪郭の美しさを高めるため口は閉じる。
指先は女性らしく僅かに曲げ、しなやかに写す。
手前側のあごのラインまで光を入れ、よりシャープな輪郭を作る。
少し上を向いてもらう事で壁と首の間に空間を作りより首を細くしなやかに写す。
など、一枚の写真を撮りながら見る事や今の私があらかじめ用意している感覚を会話しながらパズルのように組み立てていきます。
そして組み上がった瞬間ようやくシャッターを切ります。
ハーフ成人式など高年齢の子供達の撮影は彼女達自身が写真を意識しているため本人達の期待値も超えていかなければいけません。
ですから私は私なりの表現で、今見える美しさの限界を写真として贈ります。
一年前この瞬間に出会ったとしたらまた違う写真を撮っていたでしょう。
そして一年後この瞬間にであっていたらまた違う写真を撮るのだと思います。
写真に変化がないと感じたときは、自分自身が変わる時かもしれません。
『表現』という写すための方法は実に範囲が広く、そのすべてをつかむには一生かかっても無理なのかもしれません。
どんな有名なカメラマンや芸術家達も『表現』という広い物の一部を手に入れたにすぎないのではないでしょうか。
しかし広い分、多彩なそれは操る人間によって変わらない物を変えていく方法となります。
カメラを持つある人は影を表現する為に光を捉え、ある人は影を表現する為に光を遮断したとします。
一見この両極端な方法も写したい物が『影』であるならばその写真の主題は変わりません。
ただ私達は人を撮るのですから闇の中であっても光の中であっても人が美しく写る方法を考えなければいけません。
カメラマンはいつも広い海の中で地図も無く小さな島を探すように、表現という曖昧な言葉の中で一つの光を探す事になります。
私達が身を置く撮影環境のように、被写体が人であれば写真の決定的な部分は人を中心に展開されます。
何も無い所であってもそこに人が居れば写真を導く目印となってくれるのです。
空間や人を見るときの目線は等しく、対象が居る限り外も中も見なければ写真は誕生しません。
写真を完成させるために重要な物の一つとして『技術』が有ります。
しかしこれは写真の全てではなく方法にすぎません。
ふとした瞬間のふとした発想を写真として可視化する為に必要なのが技術です。
では表現は技術のみで表される物なのか。
それは違うと考えます。
もう一つ大切な物があります。意図してイメージを可視化させるには『感性』が必要なのです。
伝えたい物を感じる感性、瞬時にそれを適切に写す技術。
その二つが伴って想像は可視化され写真が誕生します。
技術はメカニズムであるため、理屈を理解し反復を繰り返せば必ず身に付きます。
では感性はどのように養い磨いていけば良いのでしょうか。
感性を磨くとは写真をやっていれば必ず聞いた事のある言葉だと思います。
多くの写真を見なさい。多くの映画を見なさい。絵を描きなさい。
多くの方法の提示を受けた事があると思いますし、この方法に疑問に感じた事も有ると思います。
これで本当に写真が上手くなるのだろうかと。
私自身もこのようなアドバイスを受け努力した事が有りますが写真を上手くなろうとしてこの事を繰り返しても何も変わらない事実にたどり着きます。
なぜなら感性を磨くという事は『写真』の変化ではなく『自分自身』の変化を生むためだからです。
写真は人が作るものであるため、変化するには作り手である人が変化しなければ変わる事はありません。
技術面を排除して写真を見たとき、一年前の自分の写真と今の自分の写真に変化を感じたならそれは今の私と過去の私が違う何かを得たからではないでしょうか。
表現とは被写体や空間を見つめ、今の撮影者の世界観がうむイメージを写真として可視化する事。
この写真の瞬間、今の私に見えた目の前の美しさは影が多くを支配し僅かな光が美しい場所をなぞる光景でした。
それを今の私の感性はこの写真のように捉えます。
この写真の美しさは影と光のバランス、そして被写体の照らされる輪郭にあります。
このような繊細な光で写すときには被写体のどこからどこまでに光を入れるかを考え、この画に対する美しさの基準を持ち一つ一つ捉えていきます。
手前側の瞼までハイライトを入れる。
反逆光であるが角度を調整し全体のイメージが暗くなりすぎないように手前側を落としすぎないでぼんやりと細部を残す。
装飾品の質感を表すために僅かなキャッチライトを入れる。
瞳の位置やまつげの長さをみて顔の角度よりやや下を見てもらう。
瞳に反射を入れ目に生命力を残す。
輪郭の美しさを高めるため口は閉じる。
指先は女性らしく僅かに曲げ、しなやかに写す。
手前側のあごのラインまで光を入れ、よりシャープな輪郭を作る。
少し上を向いてもらう事で壁と首の間に空間を作りより首を細くしなやかに写す。
など、一枚の写真を撮りながら見る事や今の私があらかじめ用意している感覚を会話しながらパズルのように組み立てていきます。
そして組み上がった瞬間ようやくシャッターを切ります。
ハーフ成人式など高年齢の子供達の撮影は彼女達自身が写真を意識しているため本人達の期待値も超えていかなければいけません。
ですから私は私なりの表現で、今見える美しさの限界を写真として贈ります。
一年前この瞬間に出会ったとしたらまた違う写真を撮っていたでしょう。
そして一年後この瞬間にであっていたらまた違う写真を撮るのだと思います。
写真に変化がないと感じたときは、自分自身が変わる時かもしれません。
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