フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
"ふつうの日"
投稿日:2016/2/1
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そのときは
「カエデ」という名前であること。
8歳であること。
3兄弟の長女であること しか知らなかった。
知らないからこそいろんな興味が湧く。
"どんな子なんだろう”という疑問から少しずつ彼女を知っていく。
”いつからこんなポーズをができるようになったんだろう”
”いつからこんな表情をするようになったのだろう”
と、親心のようなを気持ちも持ちながら撮影をした。
時間が経つにつれ、家族が見ている恥ずかしさで下唇を噛む癖があることなど細かな彼女の一面もみることができた。
「今日はなんの日?」と聞くと
「ううん。ふつうの日」と答えた
記念でもなく誕生日でもなく、
何の変哲のない日の写真でも一枚一枚 彼女の記憶にあり続けてほしい。
そして日常的に写真を撮ることがあるご家族にあえて幸せだ。
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1月に入りクローズアップに重点をおいて撮影をしてきた。私の中のクローズアップという概念を破った写真である。
今までカメラ目線だとか、1:1だとか、いろんな固定概念があった。
しかしいろんな写真をみて、これもクローズアップなのかと思い始めると止まらなくなった。
私は大きい子にポーズをさせる時に、簡単な全身のポーズをさせ出来具合を確かめてから指示をしていく。
なぜなら、あくまでも「自然体」であることが前提だからである。表情だけでその子らしさもわからないし限らない。
一定の年齢を超えたらみんながポーズができるとは思っていなくて、不自然では意味がない。だから無理なことはさせない。
手を肩に乗せるという行為は簡単である。しかし、この手の向き、開き方は簡単なことではない。
指の間一つ一つに均等に感覚をあけるよう調整。さらにこれでもかというほどの指示の量。
嫌になるかと思いきや、むしろ夢中で私を追いかけるように指示に答えてくれた。
衣裳も大人の一面を見せる背中が大きく開いたドレスでしっかりとわかるよう、横の画角で画面いっぱいに彼女を写した。
初対面の相手、倍以上の年の離れた人と分かち合うことは難しい。
今回、「クローズアップの幅」と「彼女」を同時に理解した瞬間、撮影者と被写体が一致した瞬間
それはとても気持ちの良いものであった。
lifestudionisshin tanaka
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