フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
be loved…
投稿日:2016/1/31
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『記憶の、記録』。
新生児の撮影を行いながら、いつも意識しています。
自分の意志で覚えていようとすることができない時期、ごくわずかな間の、まだひとりでは何もできない時期に、ただただ愛された、その記憶。あるいは、眠い目をこすりながら夜泣きする我が子をあやし、自らの何もかもを置いてひたすら心を注いだ時期、ただただ愛した、その記憶。それを確かな記録として、残す為に。
写真は正直なものです。
目の前にある、その現実しか写すことはできません。ヒト、モノ、ヒカリ、レンズの前にあるそれらはただその物質として、カメラという機械に無感情に処理されて、数値として弾き出されたその通りに写ります。ただシャッターを押すだけであれば。
しかし、写真を写すこの機械を扱うのは『ひと』であり、できあがった写真を見るのも『ひと』です。『ひと』には心があり、主観があり、感情があります。写真を写す、この機械を私たちは扱いながら、心や感情を反映させるべく四苦八苦しています。
家族写真において、機械的な記録など、欲しいとは思いません。欲しいのは、『心』が感じられるもの。『ひと』はそういうものを美しいと感じ、価値を感じ、残しておきたい、共有したいと思うのではないでしょうか。
母と子の姿を美しいと思うのは、そこに『愛』があると感じるからです。
母親が我が子に向ける愛情は、ただただ一心に注がれるもので、自らの何もかもを置いて受け入れようとするその姿勢、その関係性が、美しいと感じさせる。愛を与えるひとを、私たちは美しいと感じます。
では、目の前の母と子に、その美しさを感じた時、私たちはどのようにそれを記録すれば良いのでしょうか。
ただシャッターを押す、それだけでは、この美しいと感じる心は、きっと残らない。
眠気で愚図る赤ちゃんに対して、母親はむしろそれを喜ぶようにあやし、包み込むように抱きました。母の鼓動を感じる位置で、赤ちゃんは落ち着きを取り戻し、微睡み始めます。(この後眠ります)
母の優しい微笑みと、すべてを委ねて包み込まれるBaby。その穏やかな空気感を残したくて、横写真で被写体と空間をフレーミングしました。新横浜店のレースの天蓋は、『柔らかさ』に視覚的に一役買ってくれます。この時は、前ボケを入れることで、光で飛んでしまう薄いレースのドレープ感を『柔らかさ』として残しました。はだかの肌の質感や、その体温を感じる色味を残せるように露出を合わせて、ゆっくりとゆらゆら揺れる動きの表現として少しカメラを振りました。
この時の、母と子の姿の美しさを表現するにあたり、これが唯一の正解ではないかもしれません。しかし、その場にカメラを持って立っていた自分は、自らの中の拙い技術やイメージや想いを引っ張り出して繋ぎ合わせて、こういう構成をしました。『わたし』という『ひと』の主観であり、感情であり、心が反映されています。しかしそれは、特にこの1年間、集中してBabyを見詰め続けた経験に依るものであり、ともすればクローズアップに終始して『Baby』と『空間』を関係づけることができなかった自らの写真において、ひとつの新しさをもった表現になりました。
心があり、主観があり、感情がある『ひと』として、愛を感じる『ひと』の姿を記録します。
残したいという価値を感じ、美しく表現したその記録は、1時間後に母の涙を誘い、1年後に懐かしく思い起こされ、10年後に愛おしい記憶となり、20年後に掛け替えのない宝物になれるでしょうか。
ただただ主観に依るのではなく、そこに普遍的な価値観を伴ってこそ、記録はその価値を持ちます。
自分の心が、主観が、感情が、目の前の『ひと』に寄り添っていられるように。深く、深く見詰めたいと思っています。
Life studio No,17
Shinyokohama
photo by Reiri, / coodi by shie
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