フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

舞台に立つ。

投稿日:2016/1/31

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人は「その人」でしかない。
私は私以外の人間ではないし、私の代わりは誰もいない。
人はいつだって、「そこ」に立っているのは自分ひとりだ。
自分という人間を生きられるのは、自分しかいない。
けれど、生きること自体は誰にも代われないひとりきりのものでも、自分という人間の周りにはたくさんの人であふれ、
たくさんの人の愛に包まれている。 
人生という舞台に立つのはひとりきりでも、それを見守り支えてくれる存在はそれは多くの人々がいるのである。
そうした人々に愛されながら、豊かな人生を歩めることが出来ればなんと幸せなことであろうか。

まだ両手で数えられる程の人生を歩んでいる彼女も、きっと「ひとりきりの舞台」に緊張していたことだろう。 
家族に見守られながら「写真を撮る」と舞台に立つということ。
これは彼女にどういった影響を与えているのだろうか。
彼女の心情にどのような変化が起こるのだろうか。
非日常的な行動―写真を撮るということ―に対する緊張、強張り、高揚、羞恥…
彼女の中に一体いくつの感情が生まれ消えていったのだろうか。

そうした様々な感情からその時際立っていた「緊張」のうかがえるその表情は、
凛とした彼女の魅力をより引き出していると思った。 
薄暗い中で光の方をまっすぐ見つめるまなざし。

「女の子」を撮影する時、少女らしい、この先続く未来や可能性、希望をイメージし光に包まれた写真を撮影することが多いが、
この子にはそれとは違う印象を抱いた。
恥ずかしさから見せる笑顔の狭間に、憂いを帯びた表情を見た。

以前からこの場所で、自然光のみを使い、静かで落ち着きのある写真を撮りたいと思っていた。
そこへ彼女という被写体が現れ、この衣裳を纏い、僅かながら緊張した面持ちであった。
私の中にあったイメージとぴたりと一致し、挑戦してみたいという意欲に駆られたのだ。

結果として、幼女から少女へと変化する彼女の過程をうまく表現出来たと思う。
画面全体のまとまりとして暗くなり過ぎず、大人っぽい雰囲気を孕みつつ、
被写体のその表情はまだ幼さの残る絶妙なバランス。

舞台に立つ、という言葉がよく似合うと思った。

表情は左側には光が当たっているが、右側は暗く影になっていてよくわからない。
人間という生き物そのものを表現したかった。
周りに見えて(見せて)いるのは、その人のほんの一部分でしかない。
彼女の見えている部分の表情と、影になりよく見えていない部分の表情。
少し下がっている眉は不安気な印象を与えるが、光の方向を見ることにより入ってくるキャッチライトは、
彼女の右目に力を与えている。

これから立つ、様々な「舞台」を見据え彼女は何を思うのだろうか。

撮影をしているこの瞬間、この舞台で、彼女は主役になるために様々な感情と戦っているだろう。
けれどどんな感情がどれだけ溢れて来ても、見守る家族の溢れる愛には敵わない。
撮影中の温かな雰囲気と正反対の1枚。
ひとり、だけれど、ひとりではない。
彼女が演じた「舞台」は、愛に包まれながら存在している。


Photo:Miyahara
Coodi:Shibata
in Lifestudio NAGOYA

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