フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
『タイムカプセル』
投稿日:2016/1/20
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『タイムカプセル』 photo by Shurei codi by Kazumi
毎日たくさんのご家族に出会い、その数だけたくさんの人生と想いに触れています。
どのような関係性でどのような想いを持っているのか。
私はそれをそっと感じながら静かにあたたかい気持ちになる瞬間が大好きです。
そしてその気持ちは、ときに撮影をとおして出会った子供たちをみながら自分自身へも向けられて、
想像を超えた子供たちのアクションに心動かされ、また翻弄されながら、
自分がこのぐらいの年齢の時はどんな様子だったのだろうとかどんなことを感じていたのだろうと思うことがあります。
そんなとき私にとって戻る場所のひとつが母が大切にのこしてくれた数冊の写真アルバムになりました。
1年前の年末に10年ぶりくらいにひらいて、写真をライフワークにしていながらそれまで自分自身はなぜもっと大切にしてこなかったんだろうと恥ずかしい気持ちがおきましたが、物事にはきっとタイミングというものがあるのでしょう。
うまれたころからのアルバムを見返すとそこには母の想いがいっぱいつまっています。
私は長女だから妹のそれよりもアルバムの厚さがすこしだけ分厚いことに気が付いて、そこはいつの時代も同じなのだなと失笑しながら。
その重たいアルバムの中にはたくさんの写真があり、一枚一枚の写真の下には撮影日、撮影場所と、そして母の気持ちがひとことが添えられ、マメな母の性格がこんなところにも表れているなあと感心しながらページをめくるのです。
すこしだけ茶色く変色した写真のなかで、みんだで笑っていてたり私だけ大号泣していたり。
はじめての父とのお風呂
はじめての歩行器
はじめてのたっち
日常もイベント事も、そこには『家族の歴史』がたくさん詰まっています。
父と母にも若い頃があり、初めての子どもを授かって、そこには喜びも不安も葛藤もたくさんあったことでしょう。
月日を経て自分が大人になったからこそ想像することができる、そのころの情景・心情。
写真に添えられた短い一言が、想像をよりリアルにします。
その1枚1枚から伝わってくるもの。
それは
『あぁ。私はこんなにも大切に想われ、たくさん愛されていたんだ』
ということ。
写真を目にすることで、時が経ってふれることができる親の想いや愛情は、まるで愛がつめこまれたタイムカプセルのように、今の私の心に届きます。
あぁ。なんて素敵なことなのでしょう。
写真をとおして過去から現在へ愛されていると再認識すること。
それは私という存在を、より一層尊く感じることができるということ。
時が過ぎれば過ぎるほどより大きな愛となって。
きっと写真がもつ価値はそういうことなのだと思います。
写真の価値は記録だけではありません。
もっと深い大きな価値があること。
いつか子供たちにもそんなふうに昔の自分を振り返る瞬間がくるかもしれないのだなあと思うと、
今こうして出会うことができたパパさんママさんへ、私が出来ることでお手伝いをしようという気持ちがこみ上げてきます。
753のお祝い。
3歳のお祝いをこうして無事に迎えられる喜び。
このお着物をご用意してくれたパパさんママさんの想い。
写真のなかにのこる3歳の彼女の笑顔は、数年後どんなミラクルをおこすのでしょう。
愛のカタチをたくさん残しましょう。
愛のキモチをたくさんたくさん残しましょう。
未来の我が子へのタイムカプセルを。
写真の価値を信じている。
だから私は今日もこうしてこの場所にいるのだと思います。
kazumi
毎日たくさんのご家族に出会い、その数だけたくさんの人生と想いに触れています。
どのような関係性でどのような想いを持っているのか。
私はそれをそっと感じながら静かにあたたかい気持ちになる瞬間が大好きです。
そしてその気持ちは、ときに撮影をとおして出会った子供たちをみながら自分自身へも向けられて、
想像を超えた子供たちのアクションに心動かされ、また翻弄されながら、
自分がこのぐらいの年齢の時はどんな様子だったのだろうとかどんなことを感じていたのだろうと思うことがあります。
そんなとき私にとって戻る場所のひとつが母が大切にのこしてくれた数冊の写真アルバムになりました。
1年前の年末に10年ぶりくらいにひらいて、写真をライフワークにしていながらそれまで自分自身はなぜもっと大切にしてこなかったんだろうと恥ずかしい気持ちがおきましたが、物事にはきっとタイミングというものがあるのでしょう。
うまれたころからのアルバムを見返すとそこには母の想いがいっぱいつまっています。
私は長女だから妹のそれよりもアルバムの厚さがすこしだけ分厚いことに気が付いて、そこはいつの時代も同じなのだなと失笑しながら。
その重たいアルバムの中にはたくさんの写真があり、一枚一枚の写真の下には撮影日、撮影場所と、そして母の気持ちがひとことが添えられ、マメな母の性格がこんなところにも表れているなあと感心しながらページをめくるのです。
すこしだけ茶色く変色した写真のなかで、みんだで笑っていてたり私だけ大号泣していたり。
はじめての父とのお風呂
はじめての歩行器
はじめてのたっち
日常もイベント事も、そこには『家族の歴史』がたくさん詰まっています。
父と母にも若い頃があり、初めての子どもを授かって、そこには喜びも不安も葛藤もたくさんあったことでしょう。
月日を経て自分が大人になったからこそ想像することができる、そのころの情景・心情。
写真に添えられた短い一言が、想像をよりリアルにします。
その1枚1枚から伝わってくるもの。
それは
『あぁ。私はこんなにも大切に想われ、たくさん愛されていたんだ』
ということ。
写真を目にすることで、時が経ってふれることができる親の想いや愛情は、まるで愛がつめこまれたタイムカプセルのように、今の私の心に届きます。
あぁ。なんて素敵なことなのでしょう。
写真をとおして過去から現在へ愛されていると再認識すること。
それは私という存在を、より一層尊く感じることができるということ。
時が過ぎれば過ぎるほどより大きな愛となって。
きっと写真がもつ価値はそういうことなのだと思います。
写真の価値は記録だけではありません。
もっと深い大きな価値があること。
いつか子供たちにもそんなふうに昔の自分を振り返る瞬間がくるかもしれないのだなあと思うと、
今こうして出会うことができたパパさんママさんへ、私が出来ることでお手伝いをしようという気持ちがこみ上げてきます。
753のお祝い。
3歳のお祝いをこうして無事に迎えられる喜び。
このお着物をご用意してくれたパパさんママさんの想い。
写真のなかにのこる3歳の彼女の笑顔は、数年後どんなミラクルをおこすのでしょう。
愛のカタチをたくさん残しましょう。
愛のキモチをたくさんたくさん残しましょう。
未来の我が子へのタイムカプセルを。
写真の価値を信じている。
だから私は今日もこうしてこの場所にいるのだと思います。
kazumi
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