フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

自由に、真っ直ぐであるために・・・

投稿日:2015/12/28

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OMIYA Photo

Photographer: Soo

Cordinater: Kozu Chifumi

 

 

私にとってのライフスタジオの写真を一言で表すとするならば「素直」という言葉を選ぶでしょう。

素直という言葉にも様々な捉え方がありますが、何かにとらわれるのではなく、良いと思ったものを受け入れ、ありのままに見ようとすること。

私はそういった意味合いで素直という言葉を受け止めています。

 

人は本来、素直な心をもった存在なのかもしれませんが、それが表立って実際に働くかというとそうもいかない。

たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんは素直な心以外のものは何もないのかもしれません。パイパイが欲しければ、オシメが湿れば、そのまま態度に表す。ある意味で素直な状態だと思います。

赤ちゃんや幼い子どもたちにしても、もともとは素直な心をもって生まれてくる。しかし年を経て様々な経験をするにつれ、素直さは表面に出にくくなってくる。その弊害として、一つのことしか見えず、自分の考えや感情にとらわれてしまうということがあるのではないでしょうか。

人はつねに何かにとらわれながら生き、しかし素直になりたいと願う存在なんだと思います。

素直になるということは、あらゆる全てのものごとの本当の姿をとらわれることなく見つめ、意義や価値や長所そういったものを明らかにしてくれる。すると全てのものごとに無用なものはなく、自分の小ちゃな常識からはみ出るようなことがあったとしても、その良さを見て、それを生かしていこうと考えてみると、それなりの意義というものが分かるのではないでしょうか。

つまり、極端にいえば困っても困らない、一見できないようなことでもできるというように、自由自在に行動できる姿がそこに生まれるのではと思います。

それは単に自分の都合の良いような見方、考え方に変えるのではなく、すべてのものごとに対して適応していくことで、相手をあるがままに認めることができ、相手の思い通りにしてもらうことができる。そうすれば全てが自分の思い通りになっていくのだと思います。


 

撮影においても同じように、自らが素直にならないといけないと思うのです。

撮影者と被写体の皆が持っているものを外に表現できるようにすること、すなわち素直になるために能動的に働きかけないといけません。
ライフスタジオの写真館としての役割のバランスを考えながら、けして何かにとらわれることなく、良さを受け入れ、撮影者と被写体の皆が思い通りになる状態を作りながら、その姿をありのままに残すこと、

それを可能にするには、私たちは常に素直であるために変化していかねばならない。
同じく常にものごとが変化していることに気づくために素直でいることが大切なのです。
素直と変化は表裏一体なのかもしれません。

しかし皆が素直になるための空間作りには数多くのアンテナを要し、素直な状態になったとしても、それを撮影者が写真に残していくという役割もあることを忘れてはいけない。

素直であるために常に変化しなくければならないのならば、写真の構成要素もずっと変化していくということ。
自ずと撮影者は変化とともに全ての要素を統一しなければならない。

そのために私たちはあらゆるものごとに関心をもち、さまざまな感情につき動かされ、仕事と学習を繰り返しながら生きているのだと思います。その中でものごとの本当の姿を見て、本質をみるということができるようになり、良いものはよいと認識し、受けとめることができるのではないでしょうか。

ブタに真珠という言葉がありますが、価値あるものでも、その価値を知らなければ、生かすことのできないのです。
ブタなら真珠を真珠として生かせなくても、エサがもらえればそれでいいということになるかもしれないが、私たちはそうはいかない。
価値あるものは、その価値を十二分に発揮できるようにしなければ勿体ない話だと思います。

撮影の中には多くの価値を感じて、表現するための多くの要素が溢れています。

被写体、そのご家族、撮影者(カメラマン&コーディネーター)、関係性、会話、インテリア、光、衣装、各種道具等、、あらゆる要素に価値を知り生かすために、日々磨き続けなければならないものです。
それらの中には、決して無用のものは何もなく、ひとつとして排除してはいけないと思います。
その中のどの要素が、誰かを"素直"にするはずですから。

そう信じて、各々が自ら素直になるために、より望ましい、より正しいであろう見方、考え方を求めて変化に応じて、思い通りに撮影していきたいものです。。。

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