フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

記憶の、記録

投稿日:2015/11/30

1108 0

 
記憶の記録
 
 
誰もがそうであったけど、誰もが忘れてしまうこと。
限られた時間のあいだ、ただただ『赤ちゃん』であったこと。
あなたが忘れてしまっても、あなたの家族は覚えている。
 
それでもいつか、遠い未来で、記憶がおぼろげになったとしたら。
その記憶を繋ぐものが、『写真』でありたい。
 
そんなかけがえのない時間のために、私たちはシャッターをきります。
”いつか”の日を、想像しながら。
 
人は、記憶と共に、生きてゆく。
 
*****************************
 
新横浜店で、新生児の撮影に取り組みながら、『残したいものは何なのか』を考えていました。
私たちが、Baby撮影店舗として残したいもの。パパやママが残したいと思うもの。そのBabyが、大きくなった時に、『この写真が残っていて良かった』と思えるもの。
きっとそれが、『価値ある写真』であるのではないかと信じて。
 
新しいことを始めるということは、新たな価値の提案に他なりません。
ライフスタジオ全店で、毎日Baby撮影が行われています。その中から、店舗として特化して専門性を発揮すること、『誰もが美しいと感じるBabyの写真』を残すことが、Baby店舗としての新横浜店の責任であり、最重要な命題でもありました。
新横浜店はOpenから2年が経ち、リピーターのお客様も増えてくる中で、1歳から2歳、3歳への変化と成長に、ただただ驚かされます。つかまり立ちがやっとだった1歳から、1年経てばお話ができるようになり、自我の芽生えとともにイヤイヤ期が訪れ、いないいないばぁで笑ってくれていたあの笑顔は、警戒感を剥き出しにしてこちらを伺う目に変わります。かと思えば、その1年後には自ら服を選んで遊びを提案し、『撮ってとって!』と言わんばかりにポーズを決めてくれたりもします。
1歳の時には想像もつかなかった、3歳になった姿。3歳の姿を通して、過去の面影を振り返り、あの時の小さなぷくぷくした手やほっぺに思いを馳せても、目の前のその子はその名残を残すのみです。
そんな時、写真を撮っていて良かった、と思います。あの時のその姿、『可愛い!』と大人が声を上げるような、『赤ちゃん』としての限られた時期の特徴を、写真を見ることで鮮明に思い出すことができるのだから。
 
では、もっと前の記憶はどうでしょうか。
生まれた直後の赤ちゃんは、胎内で育まれた生まれ出てくる最低限の体つきをしています。手足は細く、首はぐらぐらで、その表情もまだ乏しい。あまりにもか細く、弱々しく見えるその体。それでも、その体は熱い血潮を流し、心臓は鼓動を打ち、羊水で満たされていた肺は空気を送り込まれて膨らんで、声を上げます。
生命というものの神秘性が、そのまま目の前にあるような、新生児の姿。その小ささ、か弱さ、それでいて鮮烈に放たれる生命としての存在感。それを前にして、私たちは殆ど本能的な意味で、生まれたばかりの純粋なひとの姿が、その存在が、ただただ愛おしく大切なものに思えます。これはもう、主観的な感覚で、これを論理的に説明しようとすることは、少し無粋にも感じます。大袈裟なようであっても、生命の営みという壮大でありながら常に身近にあるものに対しての、一種の畏敬の念のようなものなのではないでしょうか。
しかし、その生まれたばかりの姿は、あっという間に変化していきます。へその緒から得ていた栄養を、母乳やミルクで経口摂取するやいなや、1ヶ月に1キロ以上のペースで体重は増え、脂肪がついてぷくぷくとした『赤ちゃん』の姿へと変わっていきます。それはもう、もの凄いスピードで。
生後半年までの1ヶ月毎の変化は、あまりにも顕著です。胎内の名残を残す、生まれ出てくる最低限の体つきという小ささは、ママが寝不足になりながら2時間毎の授乳をしている間にどんどん変化していきます。毎日の忙しなさの中で、気付けばそれは通り過ぎてしまった過去の時間の中にしか見付けられないものになってしまいます。
限られた時間の、その瞬間の1/100秒が、いつか遠い未来で宝物になるかも知れない。そんな可能性がちょっとでもあるなら、もう撮りに戻って来られないのだから、記録しておかなければならないと思うのです。
その記録が、遠い未来の記憶を繋ぐものになり得るのなら、それはきっと、価値ある記録、価値のある写真になれるのではないでしょうか。
 
私たちが残したいものは、ただ『新生児』という『対象』ではありません。
目の前の新生児の、生まれたばかりのその人の、スタートラインを記録する。『あなた』という人の始まり。そしてその始まりを待ち侘びていたパパとママの姿。『あなた』と共にある、『あなた』を愛して育むひとたちの姿。
ずっと覚えていることはできないから、あまりにもあっという間に過ぎ去ってしまう時間だから、写真という形で残しておきたい。『あなた』という人の始まりの時、こんなに小さかったその体、それをこんなにも大切に抱きしめる、『あなた』を愛して育むひとの姿。
Baby撮影をしながら、もっと深く見詰めたいと思う。人生の写真館、その始まりの場所として、わずかな時間の記録を、美しい記憶として残すことが、今の自分たちへの命題だと思っています。
 
Life studio No,17
Shinyokohama
Photo by Reiri, / coodi by Yonezu
 
 
 

この記事をシェアする