フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

to be prove.

投稿日:2015/10/1

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photo by yatsu  coordi by kobayashi

私たちができることは、存在の美学に対して常に提案し続けることだと考えています。 
真新しいものではなく、新しく珍しいものでなければならない。 
しかし、その新しく珍しいものに理論や価値が付与することによって、普遍的なものへと変化する。 
普遍的な美しさとは、そういうものの積み重ねではないかと思うのです。 
 
 
「君は自由だ。選びたまえ、つまり作りたまえ。」 
これはサルトルが多く残した自由に対する名言の中の1つです。 
 
「カメラマンは自由にならなければならない。 
それは、被写体を自由にすることによって可能になる。 
また被写体を自由にすることは、コーディネーターを自由にすることにもなる。 
そうして初めて、自由で自然な空間は存在し、それを共有することができる。」 
これは私が尊敬するライフスタジオのカメラマンが教えてくれたことです。 
 
この自由で自然な空間の存在は、「作れる」か「作れない」かの2つしかありません。
「作れる」という状態がスタンダードになると、その次に『空間の範囲』が課題になると考えています。 
スタジオにあるすべての環境や条件は、自由で自然な空間の中にあることをベースに作られています。
何故ならそこが私たちの出発点であり、着地点でもあるからです。 
その空間にあるすべての環境や条件を組み合わせることは、サルトルの言う「選び作ること」と何ら変わりはありません。
その空間の範囲の大小によって、自由の範囲も、表現の範囲も変化するのです。 
 
例えば、空間の基準を部屋にした場合、その部屋から出ると突然自分の存在を見失います。そうすると自然と部屋の中からしか撮影ができなくなるのです。しかし反対に、その部屋の外にまで空間を広げることができると、空間を表す単位が変化します。部屋ではなくフロアになると、これまでとは全く違った空間に対するアプローチができるわけです。 
 
この空間の範囲を広げるという行為は、果たして写真に対する影響だけなのでしょうか。 
私はそれだけではないと考えています。 
携帯の電波で言えば、通信範囲が広くなると、基地局も増え、当然電波の質も良くなります。これは、その空間の範囲が広がれば広がるほど、人と人の間で共有できる、あるいはキャッチできる信号は多くなるということなのです。 
被写体とコーディネーターだけではなく、その空間にいるすべての人と、互いをより深く共有することができるのではないでしょうか。 
 
 
私たちは常に自由であり、選び、作ることができます。 
先入観とか固定概念とか、そういった類のものは本来無縁なはずです。 
 
自由の空間範囲を最大限に広げ、そこにあるすべての環境と条件を使って、存在の美学に対して常に提案し続けること。
それが私たちが挑戦し続けるべき課題のひとつだと考えています。

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